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山口県青少年育成県民会議

 
基本情報 基本情報
活動レポート 活動レポート( 53 )
お知らせ お知らせ( 1 )
 

 

令和5年度山口県青少年育成県民会議 第58回総会
2023/05/26
会長あいさつ
令和5年度山口県青少年育成県民会議第58回総会を5月25日(木)、山口県庁共用第3会議室において開催しました。浅原司会長のあいさつに続き議事に入りました。議事では、令和4年度事業報告・収支決算、令和5年度事業計画・収支予算が審議され、全て原案どおり承認されました。


 

令和4年度山口県青少年育成県民会議会長表彰
2022/10/05
青少年の部
青少年指導者の部
令和4年8月20日(土)に「少年の主張コンクール山口県大会」と併催で開催しました「青少年育成県民のつどい」において、青少年の育成指導、奉仕活動、文化・スポーツ活動等を通じて地域社会に貢献し顕著な功績のあった方々について山口県青少年育成県民会議会長がその活動を表彰しました。


 

令和4年度少年の主張コンクール山口県大会について
2022/09/13
主張発表風景
山口県青少年育成県民会議では、中学生が学校生活や日常生活を通じて日頃考えていること、同世代や大人に訴えたいことを、自分の言葉でまとめ、その意見を発表する機会を提供することにより、広く県民の皆様に少年に対する理解を深めていただき、青少年の健全育成に資することを目的として「少年の主張コンクール」を行っています。
 令和4年度の山口県大会は、「青少年育成県民のつどい」と併催し、令和4年8月20日(土)に山口市の「山口県教育会館」(ホール)において開催しました。
 書類選考による1次審査、2次審査を経て、8名の生徒の皆さんに発表していただきました。
 発表者の映像、審査結果、講評についてYouTubeで10月末までの間、関係者にのみ限定公開しておりますので、視聴をご希望の関係者様におかれましては、事務局(TEL:083-933-2634)へご連絡ください。

令和4年度少年の主張コンクール山口県大会発表作文の御紹介

☆☆☆最優秀賞(県知事賞)☆☆☆

『未来へのバトンは私達に』
山陽小野田市立小野田中学校 2年 河本 芽郁さん

 「地域貢献」「地域との交流」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。もしかすると、「地域貢献」について深く考える機会があまりない人も多いのではないだろうか。実際、私も中学生になっても、真剣に意識したことがなかった。しかし、生徒会に入り、いろいろな活動を通して、地域の方々の思いを知る機会を得るたびに、地域の一員としての立場を考えることが増えてきた。
 今年の5月末、本校の学校運営協議会が開かれ、私達生徒会役員も、生徒代表として「熟議」に参加した。そこでは「小野田中が目指す生徒像」について協議した。参加者は、地域の方々、先生方、そして生徒会役員だ。
 最初は、先輩と先生の中、緊張してしまいあまり発言ができなかった。しかし、地域の方の優しい声かけや先輩や先生方の発言のサポートにより、自分の意見を声に出して言ってみることができた。そして次第に、自分の発言や意見が採用されるととてもうれしく、「より意見を深めたい」という気持ちになった。地域の方々とのコミュニケーションも増え、「難しいですね。」や「どうまとめましょうか。」など、自分の気持ちを伝えることもできるようになっていった。
 このように話し合いは深まり、各教科やその他の学校生活、家庭・地域で、「地域を愛し、地域に愛される生徒」「積極的に学習に取り組むことができる生徒」などを目指そうと意見がまとまった。たくさんの異なる意見をまとめるというのが、こんなにも難しいとは思わなかった。しかし、その分、たくさんの難しい話し合いをまとめることができた達成感や、小野田中学校についての協議に、こんなにも一生懸命に考えてくださる地域の方がいるという事実が、こんなにもうれしいのだと思った。
 話し合いの後、今日の活動についての振り返りを行った。私はある思いが頭の中に浮かんだ。
「私たちの小野田中学校を、地域の方から愛される学校にしたい!」
と。話し合いで出た意見を、決して無駄にしてはいけないと思った。振り返りを発表していくとき、地域の方が、「これを実行し、よりよい小野田中学校をつくっていけるよう頑張ってほしい。」とおっしゃった。地域の方々の期待をうらぎることは、絶対にダメだと強く思った。そして、私たちを支えてくれている方へ恩返しをしなくてはならないと思った。
 しかし、私達学生は、部活動や勉強に追われ、地域貢献をするという余裕がないのではないか。自分の時間を使いたいと思っている人が多いのではないだろうか。しかし、皆がそう思い、やらなかったら、誰がするのか。他の人がするだろうと平気で思ってしまっていいのか。自分一人ぐらいいいだろう、自分には関係ないと思ってしまっていいのか。でも、ここは私の町だ。みんなの町だ。私達を日々支えてくださり、見守ってくださる方々に私たちは未来を託されているのだ。あなたの、私達のたった一つの行動により、この町が大きく変わるかもしれない。
 私は、これからも地域のことに興味を持ち、進んで地域のイベントやボランティアに参加していきたい。いずれはみな、社会に貢献するときが来るだろう。小さなことでもいい。何事も狭い視野では見えないことでも、広い視野で見れば見えるようになることもたくさんあると思う。
 大切なのは、中途半端にせず、一生懸命することだ。まずは、地域のことを知ることから始めてみてはどうだろうか。私は学校運営協議会に参加しての気づきや自分の思いを忘れずに、これからも地域に貢献していきたい。
 私たちの手で、私たちに託されたバトンを未来へとつなげていこうと強く思う。


☆☆☆優秀賞(県教育長賞)☆☆☆

『一本に込める思い』
下松市立久保中学校 3年 吉兼 陽菜さん

 「切磋琢磨〜全力で取りに行こうぜ、面・小手・胴〜」これは私が所属している剣道部のスローガンです。仲間と競いながらお互いに成長し、全力で一本を取りに行くという意味があります。剣道は一本を取りに行くまでの過程がとても大変です。試合時間も3分という短さで、その中で相手から一本取るというのはとても難しいことだと思います。
 そんな剣道を、私は中学校に入ってから始めました。右も左もわからない状態で始めたのですが、優しい先輩方や先生方にたくさんのことを教えてもらい、剣道の技や知識をたくさん得ることができました。
 しかし、剣道は自分が想像するより何倍も大変でした。夏は暑く、冬は足が凍えてとても冷たい。さらに、足の裏の皮は剥けて痛くなり、重い竹刀を何度も振ることがとても苦痛です。こう感じる私のマイナスの気持ちが積み重なった結果、試合でなかなか勝つことはできませんでした。「相手が打ってくるかもしれないから、自分からは打ちたくない。」「自分から打つと、そのすきを狙われて打たれるかもしれない。」試合を重ねるたびに「打つ」ということが怖くなっていた私は、いつの間にか剣道が嫌いになっていました。練習はたくさんしているはずなのになかなか成長することができず、悔しいと思いながらも、勝ちたいという気持ちすら薄れていきました。
 しかし、そんな私が顧問の先生からのあるメッセージで変わることが出来たのです。私たちの部活には、試合の後に書く「剣道ノート」というものがあります。そのノートに私は「応じ技で返されるのが怖くて打つことが出来なかった。私は最初からいつも気持ちで負けている。」と書きました。すると顧問の先生は「今、強くなる過渡期だから初心に戻って頑張ってね。あなたの一本はチームの一本です。ファイト」と書いてくださいました。
 私はその言葉を読んだ瞬間、涙がでました。いつも自分のことしか考えていなくて、「どうせ自分は勝てない。」と勝手にハードルを上げていた自分があまりに情けなく思えたからです。先生や仲間が応援してくれているのに、その声に応えようとしない自分はダメな人間だとその時初めて気づいたのです。「私の一本はチームの一本。」
 それからの練習に私は心を入れ替えて取り組みました。自分から声を出したり、後輩にいろいろ教えたりして、苦しくても全力で最後まで取り組みました。すると、今までと違って一本打ちに行くことが怖くなくなったのです。先生やコーチ、仲間に「最近すごく変わったね、いいね。」と言われるようになりました。私は練習を重ねるごとにだんだん自信がついていき、始めから気持ちで負けることがなくなりました。そして、新人戦の個人戦で1位になることができたのです。
 私は自分が苦しいとき、自分のことしか考えられなくなっていました。しかし、チームメイトは、みんなのために努力していたのです。そのことに気づいた私は、剣道に対する前向きな気持ちを取り戻すことができました。そして、初めて、人は支え合うからこそ成長できるのだという「切磋琢磨」の本当の意味を知ったのです。
何もかもうまくいかない辛い日々に、先生の言葉や仲間の日々努力する姿から、私は自分の弱い心を見つめ直し、変わろうとすることができました。そして、今ではそんな自分の剣道を誇らしく感じるようになりました。
 これからの人生で辛いことはたくさんあると思います。でも、そんなときは私を支えてくれている人のことを思い出そうと思います。
 私は次の試合に向けて、仲間と切磋琢磨しながら竹刀を全力で振り、活動しています。「面」「小手」「胴」今日も武道場に大きな声と竹刀の音が響いています。


☆☆☆優秀賞(県民会議会長賞)☆☆☆

『失敗を恐れずに』
周南市立周陽中学校 3年 銭村 謡 

 「自分に勇気があったらいいのにな。」
そう思ったことはありますか?
 勇気が必要な場面とはどのようなときでしょうか。手を挙げて発言をするとき、自分の非を認めて謝るとき、進路などの大きな決断を下すとき、新しいことに挑戦するとき、満員の電車の中で、お婆さんに席を譲るときなどもあるでしょう。大小を問わず、勇気が必要な場面に、幾度となく出くわしてきたことと思います。勇気を出して行動に移したいと思っていても、実際には行動に移すことが出来ずに、諦めてしまうこともあるかもしれません。
 私が、勇気を出せずに一番後悔したのは、文化祭のクラス合唱で大きな声で歌えなかったことです。音を外してしまうことが怖くて、いつもぼそぼそと小さく歌っていました。アルトパートはクラスの女子生徒の半分以下ともともと人数が少なく、他のアルトパートの子も小さい声で歌っていたので、大きな声を出すと目立ってしまいます。そんな中で音を外してしまうことを想像すると、
「大きな声で歌う」
たったそれだけの行為が、とてつもなく恐ろしいことのように思えてくるのです。
「誰かが大きな声で歌ったら私も歌おう」
そういった人任せな考えで、一生懸命練習している他のパートのクラスメートや音楽の先生に対して罪悪感を感じながら、ぼそぼそと小さく歌っていました。そんな自分に嫌気が差していましたが、それでも変わることは出来ませんでした。どうしても勇気が出せなかったのです。本番でもそれはついぞ変わることはなく、私は相変わらず小さい声で歌い、私たちのクラスは金賞を逃してしまいました。一生懸命練習していたクラスメート達が悲しそうにしているのを見て、自分が情けなくてしかたありませんでした。そのことがいつまでも後悔として胸に残っていました。
 転機が訪れたのは、2年生の終盤を迎えようとしている頃でした。そのころ仲良くなった友達から、
「立志式のクラス代表、一緒にやらない?」
そう誘われたことがきっかけでした。立志式という行事で、クラスを代表して司会・進行する者を数名募集しているとのことでした。それまでの私は、学校行事で主体的に活動したことはありませんでした。失敗を恐れていたからです。だから、その時も誘いを断ろうと思っていました。でも、ふとある考えが脳裏をよぎり、思いとどまりました。
「いつまでもこのままの自分でいいの?」
この誘いを逃せば、きっとまた後悔するだろうと思いました。クラス合唱でのことが、後悔として強く胸に残っていたからです。
 私は友達の誘いを了承し、立志式のクラス代表として行事に取り組むことを決意しました。しかし、その決意とは裏腹に、私の中には、クラス代表として司会・進行することに対して、大きな不安や恐れといった感情が湧き上がってもいました。なぜなら、私には今まで「人の前に立って目立つ役を成し遂げた経験」というものが一度もなかったからです。失敗が怖い。不安で仕方がない。けれど、そんな自分が悔しくて、後悔したからクラス代表になったのです。今更やっぱりやめるなんて言いたくありません。だから、クラス代表が集まって式の計画を立てるときにも、積極的に自分の意見を発言するようにしました。自分の意見に責任を持つことを恐れましたが、それでも勇気を出して積極的に発言をし、話し合いに参加しました。何よりも励みになったのは、他の代表の人たちの明るさや堂々とした態度です。そのおかげで、当日、保護者の方々の前でも、余裕のある心持ちで司会・進行をすることができました。もうそこには、かつての失敗を恐れていた自分はいませんでした。
 そして、式が無事終了した時、なんとも言えない充実感を感じていました。これまでもう一歩の勇気が出ずに、足ぶみしていた自分は何と損をしていたことかと痛感したのです。
 この経験をしてから私は「失敗したらどうしよう」ではなく「失敗したら、その時に考えよう」と考えるようになりました。きっと失敗からも学ぶことがあるはずです。そう思えるようになった私は、きっともう自分がやりたいことに対して、一歩を踏み出す前に臆病になることはないでしょう。勇気をもって手を挙げ、発言し、自分の非を認めていきます。電車では勇気をもって席を譲ります。そして、この先、大きな勇気が必要になったときも、失敗を恐れず、自分を信じて挑戦していきます。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『本当の幸せ』
萩市立萩東中学校 2年 西村 唯花

 私の将来の夢は、NGO職員になることです。私はよく友人の相談に乗ります。思い通りに解決しないことも多く、心が折れそうになることは少なくありません。しかし、相談を受けるうちに、人を助ける喜びを感じるようになりました。あるとき、テレビ番組を見ていて目に飛び込んできた映像。学校に行けず湖で働いている子どもたちと、彼らを支援しているNGO職員。その姿に感銘を受けて、私が本当にしたいことはこれなんだ、と気がついたのです。利益を目的とせず、民間の立場から世界的問題の解決や支援活動を行う姿。私もそんなNGO職員のようになりたいと強く考えるようになりました。
 貧しくて学校に行くこともできない。十分に食べることもできない。そんな子どもたちをどうにかして救うことはできないのか。そう考えていたとき、道徳の授業で国際協力について学びました。開発途上国に訪れた筆者が貧困に苦しんでいる女の子を哀れみ、お金を与えようとしたとき、筆者の父はこう言いました。
「自己満足のための援助ではいけないんだ。」
と。当人の状況や立場、思いを知らずに自分の価値観を押しつけてしまうことはとても怖いことだと感じました。そのとき、はっとしたのです。「ああ、そうだ。自分も同じことをしていた。」と。ある友人の相談に乗ったときのこと。友人の意見に耳を傾けず、私は自分の価値観を友人に押しつけてしまったのです。それ以来、友人が私に口をきいてくれることはありませんでした。自分の言ったことは、友人にとって本当に正しいことだったのだろうか。良かれと思ってやったことが、相手にとって苦痛であったのではないだろうか。「人を助ける」という意味をはきちがえ、自己満足でしかないことをくり返していた自分がなんだか腹だたしく思えてきました。「私なんかには無理なのかもしれない。」そんな考えが頭をよぎり、何度も自分が嫌になりました。それでも、相談に乗って、人を助けたときの喜びと、映像を見たときの目に焼きついて離れない、NGO職員の輝く姿はホンモノです。私は、自分の価値観の幸せではなく、その人にとっての「本当の幸せ」を考えることができる人になりたい。私のNGO職員を目指したいという思いが、いっそう強くなりました。
 家族と過ごす日々や友人と遊ぶこと。自分の好きなことをすること。それを幸せなことだと思う自分の世界。反対に、家族と過ごすことが苦痛である人や、友人と遊ぶよりも一人でいることの方が幸せだと考える人もいます。インターネットを検索すれば、膨大な情報があふれ出てきます。しかし、そこには誰もが納得するような答えなどありはしないのです。本当の幸せとは、77億通りの考えがあり、自分で見つけていくものだからです。決して、他の誰かが決めつけていいものではないのです。地域や民族によって違うことはたくさんあります。貧富の差によっても幸せの形は異なってきます。だからこそ、仕方のないことだと簡単に諦めることのない未来を私は目指したいのです。
 私の夢は、誰かの役に立って、本当の幸せをともに見つけることなのかもしれません。私には特別なことはできませんが、相手の気持ちを理解しようと寄り添うことがしたいのです。幸せが77億通りあるのなら、その相手に寄り添うこと。その人の幸せをともに追い求めていこうとすること。そのことによって得られる喜びは、自分の中でかけがえのない体験となるはずです。
 この夏、私は苦手な英語に負けじと、イングリッシュ・サマーキャンプに参加します。これは夢への第一歩です。いつか私も、あの日夢見た理想の自分になれると信じて。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『今僕たちにできること』
下松市立久保中学校 3年 清水 穂貴

 小学6年生の夏、平和学習の課題に取り組むため、曾祖父に話を聞きました。「大じいちゃん、戦争を体験したことある?」しかし、返事はありませんでした。僕は意味が分かりませんでした。しばらくの沈黙の後、曾祖父は「聞くな。」と子供のような小さく弱々しい手で僕の手を握り、優しく僕の問いかけを拒絶したのです。それからすぐ、曾祖父は帰らぬ人となりました。
 結局戦争の話が聞けなかった僕は、しばらくたって、もやもやを解決しようと、祖母に話を聞きました。祖母は戦後生まれだけど、父親である曾祖父の話なら、少しは聞いているだろうと思ったからです。僕が曾祖父に戦争の話を聞こうとしたことを言うと、祖母の顔は曇りました。
 「大じいちゃんはね、若いころから足が悪かったんよ。だから戦争には行けんでね。周りからは非国民だのいろいろ言われて、大変だったんてよ。」と祖母は教えてくれました。僕は驚くとともに、戦争を身近に感じ、恐怖に襲われました。戦争に参加した人だけでなく、参加していなくても、一生心に傷を負わせる戦争。残酷な現実を知り、より一層戦争という卑劣なものが大嫌いになりました。まだ、世の中のことを何も知らない11歳の僕は、その時、戦争なんて大嫌い、とただそう思うだけでした。
 中学2年生で迎えた冬、まだ寒い2月下旬のことです。「速報です。昨日2月24日、ロシアがウクライナに対し事実的な侵攻を開始しました。」怒り、悲しみ、いろいろな感情がこみ上げてきました。3年前に知った曾祖父の実体験。地球上のどこかに僕の曾祖父と同じ辛い思いをしている人々がたくさん生まれている。そう思うと、ただ苦しいだけでした。同時に感じた何もできない自分の無力さ。しかし、もうこれ以上辛い思いをする人が増えてほしくない。そう強く願いました。祖母の話を聞いてから、3年がたっていました。
 そんなある日のこと、僕の住む町のコンビニエンスストアに、ウクライナ人道支援のための募金箱が設置されました。それを見つけた僕は、迷わずお釣りの300円を入れました。3年前の僕ではまずしないことです。たった300円だけでした。このわずかなお金で何が変わるのか、そう思いましたが、そうせずにはいられなかったのです。
 あるインフルエンサーは、母国を助けるため、志願兵になる意志を固めたそうです。それに比べると中学3年生の僕にできることは限られています。3年前に感じた戦争を憎む気持ちは、変わることはありません。それなのに、自分は無力です。悔しいだけでした。
しかし、3年前の僕と、今の僕では大きな違いがあります。それは行動を起こしたということです。たった300円の募金でも行動を起こすことが最初の一歩だと僕は思います。
 5月上旬、まだ、ウクライナとロシアの戦争は続いています。2か月間でウクライナの民間人3,000人が亡くなっているそうです。目を背けたくなるウクライナの惨状。しかし、時間がたち世間の関心も薄れかけてきました。でも、まずは関心をもつことに大きな意味があると思います。今、皆さんは戦争を自分のこととして捉えているでしょうか。平和を実現しようと、どんな小さなことでも行動を起こしているでしょうか。
 「微力ですが、無力ではありません。」という言葉を聞いたことがあります。僕たち中学生にできることは限られています。でも、世界中で、一人一人の平和を願う気持ちが集まれば、必ず平和は実現できると思います。
 まず今世界で起きていることに関心をもち、自分にできる一歩を踏み出しましょう。こう呼びかけることが、今僕に起こせる最大の行動です。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『合言葉は、SOS』
田布施町立田布施中学校 3年 倉橋 和希

 みなさんは、SOSと聞いて何を思い浮かべますか。「そんなこと聞くまでもない。助けを求める言葉だよ」と当然のように答えるでしょう。僕も同じでした。そう、昨年の夏までは。
 1年前のことです。僕は今回のように少年の主張に取り組んでいました。学校でスピーチの練習を始めようとした矢先のことです。僕たちの町に、僕たちの学校にコロナが直撃しました。これまでの当たり前の生活が一変しました。友達は大丈夫だろうか。連日の感染状況に心配ばかり募ります。そして、学校は閉鎖となり、少年の主張に向けた練習は自分でやらざるを得なくなったのです。一人で何度も読みました。しかし、いくら練習しても、家族には「気持ちが伝わらんよ」と言われます。自分では一生懸命しているのになぜ?という責める気持ちが湧いてきました。学校にも行けない。先生にも会えない。自分で練習するなんて無理だ。もうやめてしまいたい。家族のアドバイスも素直に聞けず、投げやりな僕の心は、救援のSOSを発していたのでしょう。母が知人に事情を話し、数人の地域の方がスピーチを聞いてくださることになりました。スピーチを終えて、「よくここまで頑張ったね」の一言に、心に広がった霧がはれていくようでした。そうすると、自分の周りの景色がくっきりと感じ取れるようになりました。コロナのせいにして、自分一人が被害者のような気持ちになっていたのではないだろうか。
 みなさんは、どうですか。自分の思うようにならない時、社会を責め、人のせいにばかりしていませんか。自分はこれだけやっているのにどうして分かってくれないんだと自分中心の考えになっていませんか。そのような状態になった僕は、とても苦しい思いをしました。しかし視野が広がると、自分がいかに恵まれていたか思い知りました。ICTを使った指導を模索してくださる先生。あたたかく励ましてくださる地域の方。協力してくれる家族。僕は一人ではない。こんなにも支えられている。改めて感謝が生まれました。
 地域の方のアドバイスで強く心に残っていることが二つあります。
 一つ目は、鏡を見ながら練習しなさいというアドバイスです。初めて鏡の前で練習した後、僕は思わず苦笑いをしてしまいました。気持ちが伝わらないと言っていた家族の指摘になるほどなと納得したからです。どうしたら相手に伝わるのか練習を重ねて気づいたことがあります。この気持ちを伝えたいと強く思えば、発音も表情も、その場の空気さえも変化するのです。心を込めれば言葉にも心が宿り、相手に伝わる力となるのです。万葉集にある言霊と同じです。口先の言葉でいくら流暢に話しても、響かないのです。マスク生活で表情を感じ取りにくい今こそ、言葉に心を込める必要があるのではないでしょうか。
 二つ目は、「SOS」には「そう思えばそうなる」という意味もあるということです。どうせ無理だ、できるわけがないと思っていた時は、確かにうまくいきませんでした。気持ちを伝えたい、何とかやり抜きたいと思えば、少しずつ形になっていきました。この経験は、僕にとって大きな転機となりました。
 コロナをはじめ、戦争、環境破壊、貧困。僕たちの世界は大きな問題をいくつも抱えています。この先、当たり前だと思っていたものが、突然目の前から消えることもあるかもしれません。その時、不平不満を言うのではなく、諦めるのでもなく、前を向いて歩んでいく。その力は、毎日の積み重ねから生まれます。僕もあなたも、みんなで励ましあい、日常生活を力強く歩んでいきましょう。SOS、そう思えばそうなるを合言葉に。自分の心を信じて。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『私達の地球を守るために』
萩市立萩東中学校 2年 田村 律

 私の趣味は、萩市のリサイクルセンターで掘り出し物の小説を見つけて読むことです。そこには、家庭で不用となった本以外に、服や雑貨もあります。リサイクルセンターで、これまでに様々な興味深い物との出会いがありました。
 皆さんは「リサイクルセンター」と聞いて、どんなことを思い浮かべますか。プラスチックや空き缶などのゴミを出す所、集める所というイメージではないでしょうか。私は、小学校4年の社会見学で初めてリサイクルセンターに行きました。そして、リサイクル以外に、リユース、リデュースという言葉を知りました。リユースとは、一度使った物をゴミにせず何度も使うこと。リデュースとは、ゴミの量をできるだけ少なくすることです。
 最近では、国連サミットで採択されたSDGsという言葉をよく耳にします。私がSDGs、「持続可能な開発目標」に興味をもち始めたのも、リサイクルセンターで再生や再利用のことを学んだからです。
 SDGsとは、17の目標からできています。その中で私が最も注目しているのは、エコに関する10、11、12番目の目標です。
あるとき、新聞で南米チリのアタカマ砂漠に巨大な服の山ができている写真を見ました。なぜこんなことが起きているのか、疑問に思い、夢中で記事を読みました。その山は「衣服の墓場」と呼ばれ、善意の寄付で発展途上国に送られたはずの古着や、先進国で安くて流行のデザインの服が大量生産され、売れ残った服が捨てられたものでした。化学繊維を材料とする服は分解されず、土壌汚染の原因となっています。日々の華やかな生活の裏で、遠く離れた世界の別の場所にしわ寄せがいっていたのです。そこに住む人たちのことを思うと苦しく、目を覆いたくなりました。
 SDGs10番「人や国の不平等をなくそう」11番「住み続けられるまちづくり」、そして、12番「つくる責任、つかう責任」が守られていないのです。悲しいことですが、これも私たちの住む地球の現実です。
 日本では、政府主導のSDGs関連の投資は4千億円と聞きます。そのことから日本も環境問題への取組に真剣なことがわかります。しかし私は、誰かが何かをやってくれるだろうという意識ではなく、一人ひとりがアクションを起こすことが必要なのではないかと思います。例えば、消費者側の私たちが愛着をもって長く着られる服を選ぶようになれば、どうでしょうか。そして、同じ考えの人が増えれば、生産者側だって変わらざるを得ないはずです。また、焼却されると有毒なガスが排出される化学繊維の服ではなく、天然繊維を原料とする服を選ぶようにしたなら……。
 最近、私は綿花を育てています。「衣服の墓場」ではなく、「衣服の未来」を創るために、環境に優しい服やその原料のことをもっと知りたいと思ったからです。
 家の庭の綿花は、今、茎を伸ばし、本葉が生長してきています。虫に葉を食われることもしばしばあります。猛暑のこの夏、花を咲かせることができるかどうかも心配です。
 リサイクルセンターで本を買うこと。綿花を育て、「衣服の未来」を発信すること。そんなことやって、何になるんだ。そういう声もあるかもしれません。しかし、10年先、20年先も安心して暮らすことのできる世界は,一人の小さな一歩から始まるのです。たった一人の力なんて何にもならないと諦めて嘆いているだけでは、何も変えられません。地球に暮らす一員として、みんなが望む持続可能な未来を思い描くこと。小さなことから変えていくこと。地球で暮らす全ての人を思う心は必ず広がり、やがて大きな力になる。私はそれを信じて、どのように思われようと今日も小さな挑戦を続けていきます。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『たった一言で』
萩市立むつみ中学校 3年 小野 こむぎ

 みなさんはSNSのメリットとは、何だと思いますか。私は、思ったことを気軽に投稿できる、見知らぬ人とのコミュニケーションの輪が広がる、などが挙げられると思います。
 一方で、メリットが時としてデメリットになることもあります。以前私は、テレビで好きな俳優さんが自殺したというニュースを目にしました。ずっと画面越しで輝いていた人が、ある日突然いなくなってしまったことに、私は強いショックを受けました。原因は、SNS上での誹謗中傷行為でした。心ない悪口や感情にまかせた一言が、いとも簡単に人を死に追いやったのでした。
 大勢の人が知る人には、誹謗中傷を浴びせてもいいのでしょうか。それは「仕方がない」で片付けていいことなのでしょうか。
 そこで私は、なぜ誹謗中傷が起きるのかを考えてみました。一つには、SNSには匿名性があるからだと思います。ハンドルネームやアカウントネームという強い味方がいることで、集団心理に拍車をかけ、他者を攻撃しやすくなってしまいます。また、他人を傷つけることで、自分を正当化しているのかもしれません。人よりも優位に立ちたいという人間の心理が、歪んだ正義感を生みだすのです。
 では、誹謗中傷を減らすために、私たちには何ができるのでしょうか。誰かがいくら注意したとしても、自覚のない悪意が消え去ることはありません。だからこそ、自分の発言がどこかで誰かを傷つけないかを、想像するのです。人を傷つける力があるのなら、想像する力もあるはずです。自分の投稿をもう一度見直すことで、それは思いやりに変わります。日常生活でも同じです。想像力を働かせて、自分の言葉や行動に責任を持つべきです。誰もが想像することで、悪意にまみれたこの世界が、変わる時が来るでしょう。
 私は報道をキッカケに、私たちの課題を考えるようになりました。何かあってからでは遅いと分かっていながらも、行動に移せない自分に、深い憤りと怒りを感じました。
 私たちには、心があります。強くて、でも本当は弱くて脆い心を持っています。だから、想像力を働かせて、人を思う心を大切にしてください。心は、傷つけるためにあるのではなく、支え合うためにあるのです。誰かの心が涙を流さないように、温かい心で向き合ってください。失った過去は変わらなくても、これからの未来は変えることができます。私も、人を思いやって、心でつながり合える未来へと変わっていきたいと思います。
 「SNSによる暴力。」情報にまみれたこの世界で生きる私たちにとっての、一番の問題です。この問題に向き合うことから逃げてきた私たちが、今変わるべきなのです。たった一言で心を傷つけてしまうのなら、たった一言で心を温かくすることもできるのではないでしょうか。たった一言が、自分にとっては小さな力でも、相手にとっては大きな力。言葉のもつ力を理解した上で、人と向き合ってみてください。そこには、たくさんの人の笑顔が広がっているはずです。


 

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