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山口県青少年育成県民会議

 
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令和4年度少年の主張コンクール山口県大会について
2022/09/13

主張発表風景

山口県青少年育成県民会議では、中学生が学校生活や日常生活を通じて日頃考えていること、同世代や大人に訴えたいことを、自分の言葉でまとめ、その意見を発表する機会を提供することにより、広く県民の皆様に少年に対する理解を深めていただき、青少年の健全育成に資することを目的として「少年の主張コンクール」を行っています。
 令和4年度の山口県大会は、「青少年育成県民のつどい」と併催し、令和4年8月20日(土)に山口市の「山口県教育会館」(ホール)において開催しました。
 書類選考による1次審査、2次審査を経て、8名の生徒の皆さんに発表していただきました。
 発表者の映像、審査結果、講評についてYouTubeで10月末までの間、関係者にのみ限定公開しておりますので、視聴をご希望の関係者様におかれましては、事務局(TEL:083-933-2634)へご連絡ください。

令和4年度少年の主張コンクール山口県大会発表作文の御紹介

☆☆☆最優秀賞(県知事賞)☆☆☆

『未来へのバトンは私達に』
山陽小野田市立小野田中学校 2年 河本 芽郁さん

 「地域貢献」「地域との交流」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。もしかすると、「地域貢献」について深く考える機会があまりない人も多いのではないだろうか。実際、私も中学生になっても、真剣に意識したことがなかった。しかし、生徒会に入り、いろいろな活動を通して、地域の方々の思いを知る機会を得るたびに、地域の一員としての立場を考えることが増えてきた。
 今年の5月末、本校の学校運営協議会が開かれ、私達生徒会役員も、生徒代表として「熟議」に参加した。そこでは「小野田中が目指す生徒像」について協議した。参加者は、地域の方々、先生方、そして生徒会役員だ。
 最初は、先輩と先生の中、緊張してしまいあまり発言ができなかった。しかし、地域の方の優しい声かけや先輩や先生方の発言のサポートにより、自分の意見を声に出して言ってみることができた。そして次第に、自分の発言や意見が採用されるととてもうれしく、「より意見を深めたい」という気持ちになった。地域の方々とのコミュニケーションも増え、「難しいですね。」や「どうまとめましょうか。」など、自分の気持ちを伝えることもできるようになっていった。
 このように話し合いは深まり、各教科やその他の学校生活、家庭・地域で、「地域を愛し、地域に愛される生徒」「積極的に学習に取り組むことができる生徒」などを目指そうと意見がまとまった。たくさんの異なる意見をまとめるというのが、こんなにも難しいとは思わなかった。しかし、その分、たくさんの難しい話し合いをまとめることができた達成感や、小野田中学校についての協議に、こんなにも一生懸命に考えてくださる地域の方がいるという事実が、こんなにもうれしいのだと思った。
 話し合いの後、今日の活動についての振り返りを行った。私はある思いが頭の中に浮かんだ。
「私たちの小野田中学校を、地域の方から愛される学校にしたい!」
と。話し合いで出た意見を、決して無駄にしてはいけないと思った。振り返りを発表していくとき、地域の方が、「これを実行し、よりよい小野田中学校をつくっていけるよう頑張ってほしい。」とおっしゃった。地域の方々の期待をうらぎることは、絶対にダメだと強く思った。そして、私たちを支えてくれている方へ恩返しをしなくてはならないと思った。
 しかし、私達学生は、部活動や勉強に追われ、地域貢献をするという余裕がないのではないか。自分の時間を使いたいと思っている人が多いのではないだろうか。しかし、皆がそう思い、やらなかったら、誰がするのか。他の人がするだろうと平気で思ってしまっていいのか。自分一人ぐらいいいだろう、自分には関係ないと思ってしまっていいのか。でも、ここは私の町だ。みんなの町だ。私達を日々支えてくださり、見守ってくださる方々に私たちは未来を託されているのだ。あなたの、私達のたった一つの行動により、この町が大きく変わるかもしれない。
 私は、これからも地域のことに興味を持ち、進んで地域のイベントやボランティアに参加していきたい。いずれはみな、社会に貢献するときが来るだろう。小さなことでもいい。何事も狭い視野では見えないことでも、広い視野で見れば見えるようになることもたくさんあると思う。
 大切なのは、中途半端にせず、一生懸命することだ。まずは、地域のことを知ることから始めてみてはどうだろうか。私は学校運営協議会に参加しての気づきや自分の思いを忘れずに、これからも地域に貢献していきたい。
 私たちの手で、私たちに託されたバトンを未来へとつなげていこうと強く思う。


☆☆☆優秀賞(県教育長賞)☆☆☆

『一本に込める思い』
下松市立久保中学校 3年 吉兼 陽菜さん

 「切磋琢磨〜全力で取りに行こうぜ、面・小手・胴〜」これは私が所属している剣道部のスローガンです。仲間と競いながらお互いに成長し、全力で一本を取りに行くという意味があります。剣道は一本を取りに行くまでの過程がとても大変です。試合時間も3分という短さで、その中で相手から一本取るというのはとても難しいことだと思います。
 そんな剣道を、私は中学校に入ってから始めました。右も左もわからない状態で始めたのですが、優しい先輩方や先生方にたくさんのことを教えてもらい、剣道の技や知識をたくさん得ることができました。
 しかし、剣道は自分が想像するより何倍も大変でした。夏は暑く、冬は足が凍えてとても冷たい。さらに、足の裏の皮は剥けて痛くなり、重い竹刀を何度も振ることがとても苦痛です。こう感じる私のマイナスの気持ちが積み重なった結果、試合でなかなか勝つことはできませんでした。「相手が打ってくるかもしれないから、自分からは打ちたくない。」「自分から打つと、そのすきを狙われて打たれるかもしれない。」試合を重ねるたびに「打つ」ということが怖くなっていた私は、いつの間にか剣道が嫌いになっていました。練習はたくさんしているはずなのになかなか成長することができず、悔しいと思いながらも、勝ちたいという気持ちすら薄れていきました。
 しかし、そんな私が顧問の先生からのあるメッセージで変わることが出来たのです。私たちの部活には、試合の後に書く「剣道ノート」というものがあります。そのノートに私は「応じ技で返されるのが怖くて打つことが出来なかった。私は最初からいつも気持ちで負けている。」と書きました。すると顧問の先生は「今、強くなる過渡期だから初心に戻って頑張ってね。あなたの一本はチームの一本です。ファイト」と書いてくださいました。
 私はその言葉を読んだ瞬間、涙がでました。いつも自分のことしか考えていなくて、「どうせ自分は勝てない。」と勝手にハードルを上げていた自分があまりに情けなく思えたからです。先生や仲間が応援してくれているのに、その声に応えようとしない自分はダメな人間だとその時初めて気づいたのです。「私の一本はチームの一本。」
 それからの練習に私は心を入れ替えて取り組みました。自分から声を出したり、後輩にいろいろ教えたりして、苦しくても全力で最後まで取り組みました。すると、今までと違って一本打ちに行くことが怖くなくなったのです。先生やコーチ、仲間に「最近すごく変わったね、いいね。」と言われるようになりました。私は練習を重ねるごとにだんだん自信がついていき、始めから気持ちで負けることがなくなりました。そして、新人戦の個人戦で1位になることができたのです。
 私は自分が苦しいとき、自分のことしか考えられなくなっていました。しかし、チームメイトは、みんなのために努力していたのです。そのことに気づいた私は、剣道に対する前向きな気持ちを取り戻すことができました。そして、初めて、人は支え合うからこそ成長できるのだという「切磋琢磨」の本当の意味を知ったのです。
何もかもうまくいかない辛い日々に、先生の言葉や仲間の日々努力する姿から、私は自分の弱い心を見つめ直し、変わろうとすることができました。そして、今ではそんな自分の剣道を誇らしく感じるようになりました。
 これからの人生で辛いことはたくさんあると思います。でも、そんなときは私を支えてくれている人のことを思い出そうと思います。
 私は次の試合に向けて、仲間と切磋琢磨しながら竹刀を全力で振り、活動しています。「面」「小手」「胴」今日も武道場に大きな声と竹刀の音が響いています。


☆☆☆優秀賞(県民会議会長賞)☆☆☆

『失敗を恐れずに』
周南市立周陽中学校 3年 銭村 謡 

 「自分に勇気があったらいいのにな。」
そう思ったことはありますか?
 勇気が必要な場面とはどのようなときでしょうか。手を挙げて発言をするとき、自分の非を認めて謝るとき、進路などの大きな決断を下すとき、新しいことに挑戦するとき、満員の電車の中で、お婆さんに席を譲るときなどもあるでしょう。大小を問わず、勇気が必要な場面に、幾度となく出くわしてきたことと思います。勇気を出して行動に移したいと思っていても、実際には行動に移すことが出来ずに、諦めてしまうこともあるかもしれません。
 私が、勇気を出せずに一番後悔したのは、文化祭のクラス合唱で大きな声で歌えなかったことです。音を外してしまうことが怖くて、いつもぼそぼそと小さく歌っていました。アルトパートはクラスの女子生徒の半分以下ともともと人数が少なく、他のアルトパートの子も小さい声で歌っていたので、大きな声を出すと目立ってしまいます。そんな中で音を外してしまうことを想像すると、
「大きな声で歌う」
たったそれだけの行為が、とてつもなく恐ろしいことのように思えてくるのです。
「誰かが大きな声で歌ったら私も歌おう」
そういった人任せな考えで、一生懸命練習している他のパートのクラスメートや音楽の先生に対して罪悪感を感じながら、ぼそぼそと小さく歌っていました。そんな自分に嫌気が差していましたが、それでも変わることは出来ませんでした。どうしても勇気が出せなかったのです。本番でもそれはついぞ変わることはなく、私は相変わらず小さい声で歌い、私たちのクラスは金賞を逃してしまいました。一生懸命練習していたクラスメート達が悲しそうにしているのを見て、自分が情けなくてしかたありませんでした。そのことがいつまでも後悔として胸に残っていました。
 転機が訪れたのは、2年生の終盤を迎えようとしている頃でした。そのころ仲良くなった友達から、
「立志式のクラス代表、一緒にやらない?」
そう誘われたことがきっかけでした。立志式という行事で、クラスを代表して司会・進行する者を数名募集しているとのことでした。それまでの私は、学校行事で主体的に活動したことはありませんでした。失敗を恐れていたからです。だから、その時も誘いを断ろうと思っていました。でも、ふとある考えが脳裏をよぎり、思いとどまりました。
「いつまでもこのままの自分でいいの?」
この誘いを逃せば、きっとまた後悔するだろうと思いました。クラス合唱でのことが、後悔として強く胸に残っていたからです。
 私は友達の誘いを了承し、立志式のクラス代表として行事に取り組むことを決意しました。しかし、その決意とは裏腹に、私の中には、クラス代表として司会・進行することに対して、大きな不安や恐れといった感情が湧き上がってもいました。なぜなら、私には今まで「人の前に立って目立つ役を成し遂げた経験」というものが一度もなかったからです。失敗が怖い。不安で仕方がない。けれど、そんな自分が悔しくて、後悔したからクラス代表になったのです。今更やっぱりやめるなんて言いたくありません。だから、クラス代表が集まって式の計画を立てるときにも、積極的に自分の意見を発言するようにしました。自分の意見に責任を持つことを恐れましたが、それでも勇気を出して積極的に発言をし、話し合いに参加しました。何よりも励みになったのは、他の代表の人たちの明るさや堂々とした態度です。そのおかげで、当日、保護者の方々の前でも、余裕のある心持ちで司会・進行をすることができました。もうそこには、かつての失敗を恐れていた自分はいませんでした。
 そして、式が無事終了した時、なんとも言えない充実感を感じていました。これまでもう一歩の勇気が出ずに、足ぶみしていた自分は何と損をしていたことかと痛感したのです。
 この経験をしてから私は「失敗したらどうしよう」ではなく「失敗したら、その時に考えよう」と考えるようになりました。きっと失敗からも学ぶことがあるはずです。そう思えるようになった私は、きっともう自分がやりたいことに対して、一歩を踏み出す前に臆病になることはないでしょう。勇気をもって手を挙げ、発言し、自分の非を認めていきます。電車では勇気をもって席を譲ります。そして、この先、大きな勇気が必要になったときも、失敗を恐れず、自分を信じて挑戦していきます。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『本当の幸せ』
萩市立萩東中学校 2年 西村 唯花

 私の将来の夢は、NGO職員になることです。私はよく友人の相談に乗ります。思い通りに解決しないことも多く、心が折れそうになることは少なくありません。しかし、相談を受けるうちに、人を助ける喜びを感じるようになりました。あるとき、テレビ番組を見ていて目に飛び込んできた映像。学校に行けず湖で働いている子どもたちと、彼らを支援しているNGO職員。その姿に感銘を受けて、私が本当にしたいことはこれなんだ、と気がついたのです。利益を目的とせず、民間の立場から世界的問題の解決や支援活動を行う姿。私もそんなNGO職員のようになりたいと強く考えるようになりました。
 貧しくて学校に行くこともできない。十分に食べることもできない。そんな子どもたちをどうにかして救うことはできないのか。そう考えていたとき、道徳の授業で国際協力について学びました。開発途上国に訪れた筆者が貧困に苦しんでいる女の子を哀れみ、お金を与えようとしたとき、筆者の父はこう言いました。
「自己満足のための援助ではいけないんだ。」
と。当人の状況や立場、思いを知らずに自分の価値観を押しつけてしまうことはとても怖いことだと感じました。そのとき、はっとしたのです。「ああ、そうだ。自分も同じことをしていた。」と。ある友人の相談に乗ったときのこと。友人の意見に耳を傾けず、私は自分の価値観を友人に押しつけてしまったのです。それ以来、友人が私に口をきいてくれることはありませんでした。自分の言ったことは、友人にとって本当に正しいことだったのだろうか。良かれと思ってやったことが、相手にとって苦痛であったのではないだろうか。「人を助ける」という意味をはきちがえ、自己満足でしかないことをくり返していた自分がなんだか腹だたしく思えてきました。「私なんかには無理なのかもしれない。」そんな考えが頭をよぎり、何度も自分が嫌になりました。それでも、相談に乗って、人を助けたときの喜びと、映像を見たときの目に焼きついて離れない、NGO職員の輝く姿はホンモノです。私は、自分の価値観の幸せではなく、その人にとっての「本当の幸せ」を考えることができる人になりたい。私のNGO職員を目指したいという思いが、いっそう強くなりました。
 家族と過ごす日々や友人と遊ぶこと。自分の好きなことをすること。それを幸せなことだと思う自分の世界。反対に、家族と過ごすことが苦痛である人や、友人と遊ぶよりも一人でいることの方が幸せだと考える人もいます。インターネットを検索すれば、膨大な情報があふれ出てきます。しかし、そこには誰もが納得するような答えなどありはしないのです。本当の幸せとは、77億通りの考えがあり、自分で見つけていくものだからです。決して、他の誰かが決めつけていいものではないのです。地域や民族によって違うことはたくさんあります。貧富の差によっても幸せの形は異なってきます。だからこそ、仕方のないことだと簡単に諦めることのない未来を私は目指したいのです。
 私の夢は、誰かの役に立って、本当の幸せをともに見つけることなのかもしれません。私には特別なことはできませんが、相手の気持ちを理解しようと寄り添うことがしたいのです。幸せが77億通りあるのなら、その相手に寄り添うこと。その人の幸せをともに追い求めていこうとすること。そのことによって得られる喜びは、自分の中でかけがえのない体験となるはずです。
 この夏、私は苦手な英語に負けじと、イングリッシュ・サマーキャンプに参加します。これは夢への第一歩です。いつか私も、あの日夢見た理想の自分になれると信じて。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『今僕たちにできること』
下松市立久保中学校 3年 清水 穂貴

 小学6年生の夏、平和学習の課題に取り組むため、曾祖父に話を聞きました。「大じいちゃん、戦争を体験したことある?」しかし、返事はありませんでした。僕は意味が分かりませんでした。しばらくの沈黙の後、曾祖父は「聞くな。」と子供のような小さく弱々しい手で僕の手を握り、優しく僕の問いかけを拒絶したのです。それからすぐ、曾祖父は帰らぬ人となりました。
 結局戦争の話が聞けなかった僕は、しばらくたって、もやもやを解決しようと、祖母に話を聞きました。祖母は戦後生まれだけど、父親である曾祖父の話なら、少しは聞いているだろうと思ったからです。僕が曾祖父に戦争の話を聞こうとしたことを言うと、祖母の顔は曇りました。
 「大じいちゃんはね、若いころから足が悪かったんよ。だから戦争には行けんでね。周りからは非国民だのいろいろ言われて、大変だったんてよ。」と祖母は教えてくれました。僕は驚くとともに、戦争を身近に感じ、恐怖に襲われました。戦争に参加した人だけでなく、参加していなくても、一生心に傷を負わせる戦争。残酷な現実を知り、より一層戦争という卑劣なものが大嫌いになりました。まだ、世の中のことを何も知らない11歳の僕は、その時、戦争なんて大嫌い、とただそう思うだけでした。
 中学2年生で迎えた冬、まだ寒い2月下旬のことです。「速報です。昨日2月24日、ロシアがウクライナに対し事実的な侵攻を開始しました。」怒り、悲しみ、いろいろな感情がこみ上げてきました。3年前に知った曾祖父の実体験。地球上のどこかに僕の曾祖父と同じ辛い思いをしている人々がたくさん生まれている。そう思うと、ただ苦しいだけでした。同時に感じた何もできない自分の無力さ。しかし、もうこれ以上辛い思いをする人が増えてほしくない。そう強く願いました。祖母の話を聞いてから、3年がたっていました。
 そんなある日のこと、僕の住む町のコンビニエンスストアに、ウクライナ人道支援のための募金箱が設置されました。それを見つけた僕は、迷わずお釣りの300円を入れました。3年前の僕ではまずしないことです。たった300円だけでした。このわずかなお金で何が変わるのか、そう思いましたが、そうせずにはいられなかったのです。
 あるインフルエンサーは、母国を助けるため、志願兵になる意志を固めたそうです。それに比べると中学3年生の僕にできることは限られています。3年前に感じた戦争を憎む気持ちは、変わることはありません。それなのに、自分は無力です。悔しいだけでした。
しかし、3年前の僕と、今の僕では大きな違いがあります。それは行動を起こしたということです。たった300円の募金でも行動を起こすことが最初の一歩だと僕は思います。
 5月上旬、まだ、ウクライナとロシアの戦争は続いています。2か月間でウクライナの民間人3,000人が亡くなっているそうです。目を背けたくなるウクライナの惨状。しかし、時間がたち世間の関心も薄れかけてきました。でも、まずは関心をもつことに大きな意味があると思います。今、皆さんは戦争を自分のこととして捉えているでしょうか。平和を実現しようと、どんな小さなことでも行動を起こしているでしょうか。
 「微力ですが、無力ではありません。」という言葉を聞いたことがあります。僕たち中学生にできることは限られています。でも、世界中で、一人一人の平和を願う気持ちが集まれば、必ず平和は実現できると思います。
 まず今世界で起きていることに関心をもち、自分にできる一歩を踏み出しましょう。こう呼びかけることが、今僕に起こせる最大の行動です。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『合言葉は、SOS』
田布施町立田布施中学校 3年 倉橋 和希

 みなさんは、SOSと聞いて何を思い浮かべますか。「そんなこと聞くまでもない。助けを求める言葉だよ」と当然のように答えるでしょう。僕も同じでした。そう、昨年の夏までは。
 1年前のことです。僕は今回のように少年の主張に取り組んでいました。学校でスピーチの練習を始めようとした矢先のことです。僕たちの町に、僕たちの学校にコロナが直撃しました。これまでの当たり前の生活が一変しました。友達は大丈夫だろうか。連日の感染状況に心配ばかり募ります。そして、学校は閉鎖となり、少年の主張に向けた練習は自分でやらざるを得なくなったのです。一人で何度も読みました。しかし、いくら練習しても、家族には「気持ちが伝わらんよ」と言われます。自分では一生懸命しているのになぜ?という責める気持ちが湧いてきました。学校にも行けない。先生にも会えない。自分で練習するなんて無理だ。もうやめてしまいたい。家族のアドバイスも素直に聞けず、投げやりな僕の心は、救援のSOSを発していたのでしょう。母が知人に事情を話し、数人の地域の方がスピーチを聞いてくださることになりました。スピーチを終えて、「よくここまで頑張ったね」の一言に、心に広がった霧がはれていくようでした。そうすると、自分の周りの景色がくっきりと感じ取れるようになりました。コロナのせいにして、自分一人が被害者のような気持ちになっていたのではないだろうか。
 みなさんは、どうですか。自分の思うようにならない時、社会を責め、人のせいにばかりしていませんか。自分はこれだけやっているのにどうして分かってくれないんだと自分中心の考えになっていませんか。そのような状態になった僕は、とても苦しい思いをしました。しかし視野が広がると、自分がいかに恵まれていたか思い知りました。ICTを使った指導を模索してくださる先生。あたたかく励ましてくださる地域の方。協力してくれる家族。僕は一人ではない。こんなにも支えられている。改めて感謝が生まれました。
 地域の方のアドバイスで強く心に残っていることが二つあります。
 一つ目は、鏡を見ながら練習しなさいというアドバイスです。初めて鏡の前で練習した後、僕は思わず苦笑いをしてしまいました。気持ちが伝わらないと言っていた家族の指摘になるほどなと納得したからです。どうしたら相手に伝わるのか練習を重ねて気づいたことがあります。この気持ちを伝えたいと強く思えば、発音も表情も、その場の空気さえも変化するのです。心を込めれば言葉にも心が宿り、相手に伝わる力となるのです。万葉集にある言霊と同じです。口先の言葉でいくら流暢に話しても、響かないのです。マスク生活で表情を感じ取りにくい今こそ、言葉に心を込める必要があるのではないでしょうか。
 二つ目は、「SOS」には「そう思えばそうなる」という意味もあるということです。どうせ無理だ、できるわけがないと思っていた時は、確かにうまくいきませんでした。気持ちを伝えたい、何とかやり抜きたいと思えば、少しずつ形になっていきました。この経験は、僕にとって大きな転機となりました。
 コロナをはじめ、戦争、環境破壊、貧困。僕たちの世界は大きな問題をいくつも抱えています。この先、当たり前だと思っていたものが、突然目の前から消えることもあるかもしれません。その時、不平不満を言うのではなく、諦めるのでもなく、前を向いて歩んでいく。その力は、毎日の積み重ねから生まれます。僕もあなたも、みんなで励ましあい、日常生活を力強く歩んでいきましょう。SOS、そう思えばそうなるを合言葉に。自分の心を信じて。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『私達の地球を守るために』
萩市立萩東中学校 2年 田村 律

 私の趣味は、萩市のリサイクルセンターで掘り出し物の小説を見つけて読むことです。そこには、家庭で不用となった本以外に、服や雑貨もあります。リサイクルセンターで、これまでに様々な興味深い物との出会いがありました。
 皆さんは「リサイクルセンター」と聞いて、どんなことを思い浮かべますか。プラスチックや空き缶などのゴミを出す所、集める所というイメージではないでしょうか。私は、小学校4年の社会見学で初めてリサイクルセンターに行きました。そして、リサイクル以外に、リユース、リデュースという言葉を知りました。リユースとは、一度使った物をゴミにせず何度も使うこと。リデュースとは、ゴミの量をできるだけ少なくすることです。
 最近では、国連サミットで採択されたSDGsという言葉をよく耳にします。私がSDGs、「持続可能な開発目標」に興味をもち始めたのも、リサイクルセンターで再生や再利用のことを学んだからです。
 SDGsとは、17の目標からできています。その中で私が最も注目しているのは、エコに関する10、11、12番目の目標です。
あるとき、新聞で南米チリのアタカマ砂漠に巨大な服の山ができている写真を見ました。なぜこんなことが起きているのか、疑問に思い、夢中で記事を読みました。その山は「衣服の墓場」と呼ばれ、善意の寄付で発展途上国に送られたはずの古着や、先進国で安くて流行のデザインの服が大量生産され、売れ残った服が捨てられたものでした。化学繊維を材料とする服は分解されず、土壌汚染の原因となっています。日々の華やかな生活の裏で、遠く離れた世界の別の場所にしわ寄せがいっていたのです。そこに住む人たちのことを思うと苦しく、目を覆いたくなりました。
 SDGs10番「人や国の不平等をなくそう」11番「住み続けられるまちづくり」、そして、12番「つくる責任、つかう責任」が守られていないのです。悲しいことですが、これも私たちの住む地球の現実です。
 日本では、政府主導のSDGs関連の投資は4千億円と聞きます。そのことから日本も環境問題への取組に真剣なことがわかります。しかし私は、誰かが何かをやってくれるだろうという意識ではなく、一人ひとりがアクションを起こすことが必要なのではないかと思います。例えば、消費者側の私たちが愛着をもって長く着られる服を選ぶようになれば、どうでしょうか。そして、同じ考えの人が増えれば、生産者側だって変わらざるを得ないはずです。また、焼却されると有毒なガスが排出される化学繊維の服ではなく、天然繊維を原料とする服を選ぶようにしたなら……。
 最近、私は綿花を育てています。「衣服の墓場」ではなく、「衣服の未来」を創るために、環境に優しい服やその原料のことをもっと知りたいと思ったからです。
 家の庭の綿花は、今、茎を伸ばし、本葉が生長してきています。虫に葉を食われることもしばしばあります。猛暑のこの夏、花を咲かせることができるかどうかも心配です。
 リサイクルセンターで本を買うこと。綿花を育て、「衣服の未来」を発信すること。そんなことやって、何になるんだ。そういう声もあるかもしれません。しかし、10年先、20年先も安心して暮らすことのできる世界は,一人の小さな一歩から始まるのです。たった一人の力なんて何にもならないと諦めて嘆いているだけでは、何も変えられません。地球に暮らす一員として、みんなが望む持続可能な未来を思い描くこと。小さなことから変えていくこと。地球で暮らす全ての人を思う心は必ず広がり、やがて大きな力になる。私はそれを信じて、どのように思われようと今日も小さな挑戦を続けていきます。


☆☆☆ 優 良 賞 ☆☆☆

『たった一言で』
萩市立むつみ中学校 3年 小野 こむぎ

 みなさんはSNSのメリットとは、何だと思いますか。私は、思ったことを気軽に投稿できる、見知らぬ人とのコミュニケーションの輪が広がる、などが挙げられると思います。
 一方で、メリットが時としてデメリットになることもあります。以前私は、テレビで好きな俳優さんが自殺したというニュースを目にしました。ずっと画面越しで輝いていた人が、ある日突然いなくなってしまったことに、私は強いショックを受けました。原因は、SNS上での誹謗中傷行為でした。心ない悪口や感情にまかせた一言が、いとも簡単に人を死に追いやったのでした。
 大勢の人が知る人には、誹謗中傷を浴びせてもいいのでしょうか。それは「仕方がない」で片付けていいことなのでしょうか。
 そこで私は、なぜ誹謗中傷が起きるのかを考えてみました。一つには、SNSには匿名性があるからだと思います。ハンドルネームやアカウントネームという強い味方がいることで、集団心理に拍車をかけ、他者を攻撃しやすくなってしまいます。また、他人を傷つけることで、自分を正当化しているのかもしれません。人よりも優位に立ちたいという人間の心理が、歪んだ正義感を生みだすのです。
 では、誹謗中傷を減らすために、私たちには何ができるのでしょうか。誰かがいくら注意したとしても、自覚のない悪意が消え去ることはありません。だからこそ、自分の発言がどこかで誰かを傷つけないかを、想像するのです。人を傷つける力があるのなら、想像する力もあるはずです。自分の投稿をもう一度見直すことで、それは思いやりに変わります。日常生活でも同じです。想像力を働かせて、自分の言葉や行動に責任を持つべきです。誰もが想像することで、悪意にまみれたこの世界が、変わる時が来るでしょう。
 私は報道をキッカケに、私たちの課題を考えるようになりました。何かあってからでは遅いと分かっていながらも、行動に移せない自分に、深い憤りと怒りを感じました。
 私たちには、心があります。強くて、でも本当は弱くて脆い心を持っています。だから、想像力を働かせて、人を思う心を大切にしてください。心は、傷つけるためにあるのではなく、支え合うためにあるのです。誰かの心が涙を流さないように、温かい心で向き合ってください。失った過去は変わらなくても、これからの未来は変えることができます。私も、人を思いやって、心でつながり合える未来へと変わっていきたいと思います。
 「SNSによる暴力。」情報にまみれたこの世界で生きる私たちにとっての、一番の問題です。この問題に向き合うことから逃げてきた私たちが、今変わるべきなのです。たった一言で心を傷つけてしまうのなら、たった一言で心を温かくすることもできるのではないでしょうか。たった一言が、自分にとっては小さな力でも、相手にとっては大きな力。言葉のもつ力を理解した上で、人と向き合ってみてください。そこには、たくさんの人の笑顔が広がっているはずです。


 

令和3年度少年の主張コンクール 発表作文紹介
2022/02/16
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最優秀賞(県知事賞)

助け合える社会に
萩市立萩東中学校 2年 井町 百芭

 「おれは助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある」
これは、ワンピースのルフィの言葉です。
 皆さんは、できないこと、苦手なことを人に頼ることはできますか。私は、できないことや苦手なことなら、それができる誰かに頼ってもいいのではないかと思います。けれども、こんな当たり前のようなことが、実際の生活では難しいのが現実です。
 例えば、小さい子どもに苦手なこと、できないことがあって、周囲に助けを求めているとします。そんなときなら、誰もが助けてあげなくてはと思うのではないでしょうか。でも、中学生や高校生ならどうでしょうか。ましては、大人だったら……。きっと小さい子どもの場合とは違う態度、違う行動を取ってしまうのではないでしょうか。できないところを見て、ちょっとバカにしたり、陰口を言ってしまったりはしていないでしょうか。
「早くやればいいのに。」
「それくらい、できてあたり前だろう。」
そう考える人もいるのではないでしょうか。
 しかし、私は、そういう社会は冷たい社会だと思うのです。「まだ小さいから。」とか、「体が不自由だから。」などの理由で助けるのではなく、「その人が困っている」かどうか。それを助ける基準にすべきなのではないでしょうか。
 「それくらい」のことだと、誰が決めるのでしょうか。誰かにとっての「それくらい」がその人にとっては難しいことだってあるのです。だから、ちょっとした心ない一言が、その人の気持ちを苦しくさせるのではないかと私は思います。
 私には、昨年まで同じ中学校の陸上部に入っていた姉がいました。姉は、走り幅跳びをしていました。その練習の負担からか、私と違って、大きい怪我をしてしまうことがありました。家族は姉の怪我により、いつも忙しそうに見えました。その頃の私は、どんなに足が痛くても、「痛いだけだし。」「考え過ぎかもしれないし。」と自分に言い聞かせ、家族にも言うことができませんでした。助けを求めることができなかったのです。だからこそ一人で困っている人、苦しんでいる人を見ると、自分自身が一人で悩んでいたときのことをいつも思い出します。
 「できないことや苦手なことがあれば、できるまで自分で努力すればいい。」と考える人もいるかもしれません。けれども、その人が「できないこと」や「苦手なこと」を少しだけ手伝ってくれる人がいたら、できるようになることもあるのではないでしょうか。
 誰にだって苦手なことや分からないことの一つや二つはあるはずです。それは、たとえ小さな子どもだろうと、中学生だろうと変わりはありません。だからこそ、得意な人や、苦にならない人に頼り、少しでもできるように、あるいは、理解できるようにすることが、社会で生きていくには大切なことだと思います。
 人は生まれてから死んでしまうまでに、たくさんの人に助けてもらいます。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟、友達……。他にもたくさんの人たちの助けによって、今の私が、私達ができています。
 もちろん、助けてもらうのが当たり前だと考えてしまうのも、違います。できないこと、苦手なことを助けられたり、手伝ってもらったりしたら、相手に感謝の気持ちが届くように、「ありがとう」を伝えることも大切です。
 私は、誰もが困ったときに、「助けて」と言える社会をつくりたいと思います。苦手なことやできないことを助けてもらうこと、そして、自分自身も誰かのことを助けられる人になりたい。それが当たり前の社会にしていく。これが私の願いであり、私の目標です。


優秀賞(県教育長賞)

つながることの大切さ
下松市立久保中学校 2年 西田 こころ

「こんにちは」いつも私に声をかけてくださる、近所のおばあさんがいます。私は今まで、地域のつながりを感じることがありませんでした。しかし、ある出来事がきっかけで、地域のつながりを感じられるようになりました。
今年の1月のことです。その日はとても寒く、雪が降っていました。私が外で雪遊びをしていると、「ピチチ」とどこからか鳥の鳴き声が聞こえてくるのです。私の家は田舎にあり、鳥の鳴き声が聞こえてくるのはいつものことです。しかし、その時は鳥が叫んでいるように聞こえて、私は思わず鳥を探しました。
すると、近所の畑のネットに絡まって動けなくなっている鳥を見つけました。助けないと、と思いましたが、勝手に畑に入ってはいけません。畑の持ち主も分かりません。でも、鳥を見捨てることもできません。そこで私は思い切って近所のおばあさんに、聞いてみることにしました。
そのおばあさんは、車椅子のおじいさんと一緒に、私の家の裏側に住んでいます。優しそうなおばあさんで、おじいさんと一緒に散歩をしているのをよく見かけていました。出会えばあいさつをする程度のお付き合いでしたが、最近はあまり見かけなくなっていました。それで急に訪ねると迷惑になるかな、と思いながらも私はチャイムを鳴らしました。
「ピンポン」と音が鳴って、おばあさんが出てきてくださいました。事情を話すと、すぐに畑の持ち主を教えてくださいました。勇気を出して良かったと思いました。ネットを切って助け出して良いよと許可をもらい、母と慎重に鳥を助け出しました。「チチチチーッ」と元気な声で鳴き、鳥は飛び立っていきました。なんだかお礼を言っているかのような鳴き声でした。助けることができホッとしたと同時に、すごく汗をかいている自分に気付きました。
後日、おばあさんにお礼を言いにいきました。すると「頼って聞きにきてくれてとても嬉しかったのよ、ありがとう。」と逆にお礼を言ってくださいました。実は半年前に、車椅子のおじいさんが亡くなっていたそうなのです。その時初めて知りました。見かけることが少なかったのは、寂しくて、気持ちが沈んでしまっていたからだったそうです。そんなときに私が訪ねたこと、そして生きている鳥を助けることができたことを聞いたそうです。おばあさんの気持ちは少し明るくなり、また頑張ってみようと思えたそうです。
その日以降、おばあさんを外で見かけることが多くなりました。会った時には、声をかけてくださるようになりました。以前よりもお話をすることも増えたように感じます。あの時、思い切って良かったと思いました。あいさつぐらいでしか接したことが無かった私に、おばあさんは快く助けてくださいました。そして訪ねてきてくれて嬉しかったと言ってもらえて、私は心がとても温かくなりました。鳥のおかげで近所の人とのつながりを感じ、優しさにも触れることができました。鳥も私もおばあさんも、みんなつながっているんだと思いました。
コロナ禍である今の世の中は、人と人とのつながりが薄くなってきているのではないかと思います。オンライン授業、テレワークなど、世の中はどんどん変わってきています。けれど、どんなに技術が発達して世の中が変わっても、人と人とのつながりは大切なことだと思います。今回の出来事でそれを感じました。鳥を助けた、その事だけで、みんながつながり、元気になり、幸せにつながったのです。困ったら助け合う。そんなふうに生きていきたいと思いました。ある冬の日の小さな出来事が、私にそれを教えてくれました。


優秀賞(県民会議会長賞)

共に高め合う
下松市立久保中学校 2年 加藤 花菜

「応援優勝…赤団。」緊張が走るグラウンドに得点係の声が響く。赤い旗が雨上がりの青い空に上がる。友達と目を合わせ、思わずガッツポーズをした。心の底から嬉しかった。去年の運動会のことを、私は忘れない。
コロナウイルスのせいで、楽しみにしていた入学式も中止になった私達にとって、運動会は、中学生になってから、初めての一大行事だ。私は応援団を任された。「絶対優勝しようね!」同じく応援団になった友達と、張り切りながら言い合った。先輩に、動きや掛け声を教えてもらい、家でも練習した。苦手なダンスだって一生懸命練習した。
初めての全校練習。私は同じ学年の女子に応援を教えることになった。その日は運動会までの練習計画を話した。私の頭の中に、背中を反らすほど声を出し、一生懸命になっているみんなの姿が浮かんでいた。しかし、次の練習で「ここはこうもっと手を伸ばして。」聞いていない。「じゃあ、今やったところまで一回通すよ。せーの。」だめだ。声が全然出てないし、動きも揃っていない。その後の各団での見せ合いでも、赤団は全く揃っていない、声も出ていない、かなりまずい状況だ。次の日貼り出された得点は、案の定白団に負けていた。
私は、初めてだから仕方がないと思っていた。しかし、次の練習でも、その次の練習でも、やる気が全く見えない。白団と、どんどん点差が開いていく。「期待していたのに。」「赤団まずいよ。このまま負けるよ。」赤団の担当ではない先生にも言われ、どんどん追い詰められる。白団との差にあせって、口調が強くなる。「もっと声出るやろ。」「ちゃんと手を伸ばして。」前より注意を増やしているのに、全然よくならない。むしろ悪くなっていく。どうしたらいいんだろう。そんな自分達を変えたのは、赤団担当の先生の言葉だった。
その日は雨で、室内での練習となった。練習が終わって、先生から話があった。「指摘ばかりされとっても誰もついてきたがらんよ。命令するんじゃなくて『一緒にやろう』『一緒に頑張ろう』って言いながらやっていったら良くなるんじゃない?」私はハッとした。確かに今まで、焦りから強い口調になっていた。自分はみんなを信じていなかった。あんなに降っていた雨はいつの間にか止み、外は晴れていた。
その次の練習から、どうしても揃わない所も、一人一人動きを見て、どこをどう直せばいいのか細かく説明したり、自分ばかり話すのではなく、お互いに教え合う時間をとったりした。さらに「めっちゃいいじゃん。」とか「大丈夫よ。一緒にがんばろう。」などプラスの言葉をかけるように心がけた。すると、練習の雰囲気がとてもよくなっていった。あんなに嫌だった練習も、とても楽しくなった。
ついに運動会当日。プログラムはどんどん進み、あっという間に応援合戦だ。みんなとても緊張していた。自分もそうだった。「赤団行くぞ!」「おおっ!」団長に続いて、緊張を吹き飛ばすかのように、お腹の底から声を出した。コールもよさこいも、全員全力で声を出している。グラウンドに、赤団の声が響く。指先までしっかり伸び、動きもよく揃っている。最後の決めポーズも、きれいに決まった。全て出し切った。終わった後、黒くなった顔で「やったね。」と言い合った。応援優勝が赤団と発表された時は、うれしくて、顔が熱くなった。
人を動かすためには、ただ指摘するのではなく、リーダーとリーダーについていく人達が共に高め合おうとする姿勢が大事だ。そうすることで、お互い協力し合い、足りない部分をおぎない合いながら成長することができる。私は、運動会で学んだこのことを大切に、生徒会活動や部活動に取り組んでいきたい。


優 良 賞

萌えたつ想い
田布施町立田布施中学校 2年 倉橋 和希

誰もがみんな、自分の失敗を語るには勇気がいります。でも、この想いを伝えたい。僕は自分の殻を破って話したいと思います。
それは、忘れもしない小学5年の夏。学校林から友達と校舎に向かっていた時のことです。ふと目にした小石。こんな所にあったら危ないなと思った僕は、端に寄せようと足を動かしました。
「ガッシャーン!」
どうしよう……。頭が真っ白になって、心臓がバクバク激しい音を立て始めました。
「先生、すみません。」
「誰も怪我をしなくてよかった。これからは、よく考えて行動しようね。」
心は割れたガラスのように粉々のまま、家に辿り着くと、いつものように祖母が玄関で迎えてくれました。
「お帰り。今日も暑かったね。」
「おばあちゃん。あのね、あのね……。」
勇気を出して、話しました。話し終えた僕は、怒られるだろうと身構えました。
「よく自分から正直に話してくれたね。」
そう言うと、祖母は僕を抱きしめてくれたのです。カチコチになった肩が、ほっとなるのを感じました。夕方、両親と学校にお詫びに行きました。先生からの温かい言葉に、母は泣いていました。僕は胸がぎゅっとなりました。これからは同じ過ちをしないように、よく考えて行動しようと心に誓いました。
 中学生になったある日。新聞で、厳しい学習環境に置かれている子どもたちについて書かれていました。法務省によると、2019年に少年院に入った少年の学歴は、4割が高校中退。2割強が中学卒業だというのです。食事も満足に食べることができない。家族の介護で自分の時間がない。自分の居場所がないばかりか、心身の虐待を受ける。ニュースで何度も見聞きしました。なぜ、どうして。疑問や責める気持ちが湧いてきました。
 母がガラスを割った時の話をしながら、和希は幸せねと言いました。親が一緒に謝ってくれたことかなと尋ねると、もう同じ過ちはしないぞと誓ったことだと言うのです。普通だと思っていたことが、普通ではなかったのです。悪いことをしたら親が自分に振り向いてくれる。そのゆがんだ喜びから、過ちを繰り返す子どもがいるという現実。想像すらできませんでした。僕は自分さえ幸せならいいのだろうか。僕にも何かできることはないのだろうか。
 『学は人たる所以を学ぶなり』学問とはいかに生きるべきかを学ぶこと。学べない人のために学んで、社会のために役立てるのが勉強だという吉田松陰の言葉です。「よし、自分のやるべきことに努力を惜しまずやってみよう」と思い立ちました。今までの僕は、勉強の目的も自分のことばかりで、人前に出るのは苦手でした。先ずは、授業中に手を挙げて発言することに取り組みました。誰かが言ってくれるだろう、一人だけ手を挙げるなんて恥ずかしいという思いを捨てました。また、運動会の応援団や生徒会活動にチャレンジしています。社会にとっては、何でもない変化かもしれません。ですが、自分にできることを積み重ねることしか、今の僕にできることはありません。もちろん、苦手なこともあれば、失敗して落ち込むこともあります。でも、先生や家族のフォロー、友達の励ましで、また頑張っていけるのです。「くらちゃん、どんまい!」の言葉に勇気づけられるのです。
 もしも、少年院に入った彼らが、家族の愛情、人の優しさ、社会の温かさに触れていたら、違う人生だったかもしれません。子どもはみんな、小さな手に夢と希望をぎゅっと握りしめて生まれてくると聞いたことがあります。この世に生を受けて、目にしたもの、耳にしたもの、心で感じたものよって諦めたのだとしたら、とても悲しいことです。誰もが、この世界に生まれてよかったと感謝がもてるように、僕はしっかり学びたい。学んだことを社会に生かせる人になりたい。


優 良 賞

本当の豊かさとは
萩市立萩東中学校 2年 今野 陽斗

皆さんは、AIと聞いてどんなことを考えますか。機械やロボット、便利さなどでしょうか。最近では、科学の発展に伴い、AIが私たちの生活にとって身近な存在になってきました。映画の世界でも取り上げられることが多くなり、その影響か、AIを怖いものだと考える人もいるかもしれません。では、AI開発の目的にもあるように、本当にAIは人間を豊かにしてくれるのでしょうか。
そもそもAIとは、何なのでしょうか。AIの意味は「人工知能」です。その言葉から分かるように、AIは自分で答えを考え、正解へと導くことができます。具体的な例では、パズルゲームやボードゲームを学習させて人との勝負に勝たせたり、人との会話ができるようにさせたりするというものがあります。「なんだ。オセロや話ができたって、人が豊かになるとは限らないじゃないか。」
そう思った人もいるかもしれません。しかし、実はAIが注目されているのは、これからの進歩です。例えば、ボードゲームをもっと広く、都市のサイズで考えてみてください。今の自分の置かれた状態、周囲の状況を見て、自分のルートを考える。つまり、これは自動運転の技術です。AIが進歩すれば高速道路以外も自動運転ができます。あるいは、接客業などを担うこともできるでしょう。
最近、よく言われるのが、人の仕事をAIが奪ってしまうという問題です。しかし、これは本当に問題なのでしょうか。人間は失敗をします。医療ミスや働き方の問題点など、働く上での人の失敗は数えきれないほどあります。それならば、分野によってはAIに仕事を任せた方がよほど安全で安心な社会になるのではないでしょうか。
仕事がなくなれば、どうやって生活していくのだという人もいるかもしれません。しかし、これさえもAIが必要とされる所で働き、人がAIを管理する側に立てば、生活もでき、問題も少なくなるのではないでしょうか。
AIにはできない仕事がある。そんな話を聞くことがあります。その理由の一つは、AIは最適解しか出せないということ。もう一つは、未知の創造性がないことです。つまり、答えがなく、未知の創造である、お笑いや芸術、音楽の創造などは、AIにはできないことなのです。そして、人間関係を築くということも……。
僕は昔から人付き合いが苦手で、友達が多くありませんでした。でもそんな時、偶然僕に寄り添ってくれる人がいたのです。その人は僕のことを理解し、今では僕の親友になっています。もし、僕が人付き合いが苦手ではなかったなら、僕にとって信頼できる今の友達はできていなかったかもしれません。
もしAIが私たちの生活に入り込み、人間関係や芸術にも「正解」を求めるようになれば、今のように多彩だからこそ面白い、個性あふれる人との関わりや人間関係は生まれなくなってしまうのではないでしょうか。
私たちは、この未来というキャンパスに余白が残っているからこそ、何が起きるか分からない楽しみがあり、人生を飽きることなく過ごすことができます。不完全であること。これこそが人の良さであり、本当の豊かさなのです。そして、AIさえも、不完全な人間に創られたものであることを私たちは忘れてはなりません。
大切なことは、人間がAI任せにならず、人間がすべきことを見極めることです。かつて科学の進歩は、人々に便利さと引き替えに、人間らしさの欠片もない、悲惨な殺戮の道具を創り出してしまいました。AIの行き着く方向性を決めるのも人間です。その怖さを忘れず、私も人類の一員として、自分の頭で考え、人間にとって何が豊かなのか、思考することを放棄せず、生きていきたいと思います。


優 良 賞

祖父からの手紙
美祢市立厚保中学校 3年 福井 穂乃佳

「じいちゃんね、今朝の9時頃に亡くなったんだって。今じいちゃんが家に来とるから、拝んでおいて。」
部活動が終わり、車内で弟2人と一緒におやつを食べているときに、母からそう告げられました。私の祖父は、2年ぐらい前から病気で入院していました。コロナウイルス感染症の影響があり、祖父に会う機会が少なくなっていたため、正直に言うと悲しいという実感がなく、自分の気持ちがよくわかりませんでした。
家に帰ると、家族が全員揃っていました。いつもの明るい雰囲気ではなく、今まで経験したことのないような、何にも例えられない不思議な雰囲気でした。特に祖母からは、隠し切れないほどの悲しみがあふれているような気がしました。祖母から「じいちゃんあそこの部屋にいるから、お話しておいで。」と言われました。私は少し緊張しながら、弟2人を連れて祖父のもとへ行きました。部屋に入ると、そこには小さめの白い布団と焼香が置いてある台がありました。弟2人が一瞬で固まったのがわかりました。「弟たちを何とかしないと。」と強く思い、私が最初にお焼香をあげました。何を言えばいいのかが全く分からなかったのですが、口から出た言葉は「今までありがとう。」でした。弟たちも少しは心が落ち着いたようで、何とかお焼香をあげていました。お焼香をあげ終えた時に、ちょうど祖母が部屋に入ってきました。祖父に近づき、顔の上にある白い布を取りました。「孫が来たよ。よかったね。生きとるうちに会わせたかったんやけどね。」と祖母は涙ぐみながら言っていました。弟はこっそりと泣いていました。
そして次の日から、お通夜や葬儀でとても忙しくなりました。その時、「じいちゃんの頭をなでてあげて」と祖母に言われ、祖父が亡くなって初めて触れました。いつまでも忘れられない、冷たくて柔らかい不思議な感触でした。祖母はやはり泣いていました。火葬場に行って、ついに私の祖父は骨だけになりました。骨はボロボロでした。弟2人は骨壺に収めるのが怖いと言っていました。骨壺に骨を全て納めて火葬が終わりました。
祖父が他界した後の私の家は少しですが変わりました。私と弟2人は「死」に関する言葉を口にすることがなくなりました。今までは喧嘩をする際に子どもながら、「死」に関する言葉を投げかけていました。人を傷付ける言葉への抵抗感はありませんでした。しかし、「死」という言葉の重みにようやく気付いた私たちは、口にすることをやめました。
最近は「死」に関することを簡単に言えてしまう人が多くなっていると私は思います。何かに腹が立った時、何か上手くいかなかった時、「死」という言葉は簡単に口から出てしまいます。しかし、それを言われてしまった人にとっては、一生引きずってしまうぐらいの大きな傷になることもあるでしょう。
だから私は、人を傷つける言葉ではなく、人を笑顔にする言葉を発して生きていきたいと感じました。人間はいつか死んでしまいます。短い人生、少しでも周囲の人が幸せに過ごせるような言葉を伝えた方が良いと思いませんか。
「むかつく、死ねばいいのに。」
「調子に乗っているから、死んでほしい。」
「うざい、殺す。」
 みなさんは、会話の流れでついこのような言葉を言ってはいないでしょうか。もしもあなたが、誰かを笑顔にするような温かい言葉をかけることができれば、心が救われる人が必ずいます。あなたから笑顔の輪を。


優 良 賞

罰則化は道徳心を育てるのか
周南市立岐陽中学校 1年 仲子 結菜

私は、小さい頃苦手だった事があります。それは、信号機のない横断歩道を渡ることです。なぜかと言うと、赤信号にならないので車が止まってくれず、いつまで経っても渡れないからです。小学生の頃、近所の横断歩道を一人で渡ろうとした時、何分待っても渡れずに泣きそうになった覚えがあります。その頃は、自分が小さくて見えにくかったのだろうと思っていましたが、車の助手席に乗る機会が増えた今、意外にも横断歩道も歩行者もよく見えることに気付きました。
では、なぜ車は停止をしてくれないのでしょうか。
2年前、私は夏休みを利用してアメリカで2週間ほど過ごしました。私が行ったカリフォルニア州には、8車線の車道があったり、渋滞緩和のため乗り合いをした車は優先レーンで進めたりと珍しい交通ルールがありました。私が何より驚いたのは、横断歩道を渡りたい人がいた時、車は歩行者が最後まで渡り切らないと進んではいけない法律があり、皆守っていたことです。信号機の有り無しに関わらず、きちんと止まっている車ばかり見かけたのが印象に残っています。
法律ということは、守らなければ罰則があります。人は罰則を受けることを嫌がります。ルールを守らせようとするなら、罰則を作るのが早いかもしれません。もちろん、凶悪な事をすると厳しい罰則があることは、抑止力にもつながると思います。しかし、禁止をされていることがなぜ良くないのか、きちんと理解できている人はどのくらいいるのでしょうか。
私が買い物に行った時、大人が子どもに
「お店の人に怒られるからやめなさい。」
と注意をしていた姿を、何度か見かけたことがあります。子どもに対して、なぜ良くないのかを説明せず、人に怒られるからという理由でやめさせようとしていた事に、私は疑問をいだきました。けがをして危ないからや、人に当たって迷惑がかかるからなど、禁止する理由を明確に説明をしてあげなければ、怒る人が見ていない時は、しても良いというかん違いを生むのではないだろうかと思いました。
 では反対に、相手の立ち場や周りの人の事を考える時間を、少しでも持てた時はどうでしょう。物を落とした人に声をかけて教えてあげた、荷物の多い人がいたらエレベーターなどの扉を開けてあげたなど、みなさんにも経験したことはありませんか。それは、決してそうしなければ罰則があるからではないと思います。自分がその人だったらどうしてほしいのか考え、優しい気持ちからとっさに体が動いたのではないでしょうか。
 実は、始めに述べた横断歩道の例は、調べたら日本でも交通ルールでも定められていて、罰則もありました。ただあまり知られていないだけのようです。でも私は、その罰則について、強く主張をしたい訳ではありません。人との関わりが少なくなってしまった今だからこそ、幼い子にはていねいに一つひとつ分かるように、ルールやマナーを教え、忙しい日々を送る大人も、心と時間に少し余裕をもって譲り合う気持ちを思い出してほしいと思います。そして私達は、これからの社会を背負っていく者として、意見を出し合い協力して、全ての世代が住みやすい環境を作っていかなければいけません。譲り合いや相手を思いやることは、自分自身の心も豊かにしてくれます。ルールを守らないとすぐ罰則を作るというのではなく、ルールを守れる心を育てることが最も重要な事だと思います。
 みなさんも、今一度生活を見直して、よりよい社会を共に創っていきましょう。


優 良 賞

分かち合う
下松市立久保中学校 2年 久保 郁也

「全国全ての小学校、中学校について臨時休業を行うよう要請します。」それは、突然のことだった。卒業式に向かって準備を進めてきたあの日。テレビ越しに聞いた不安な言葉。これからどうなるのだろうと思うと僕は、目の前が真っ白になった。ふと、横を見ると、家族みんな同じような顔をして夕飯を食べていた。
その日から生活が大きく変わった。登校するという目的もないのに早起きをし、時間割りがなく、ただ親がプリントしてくれた問題集を解いた。時間が来れば御飯を食べた。夕方の習い事もすべて休みになり、もて余す時間を必死に何かで埋めた。春休みに入ると必ず家族旅行に出掛けていたが、その予定すらない。楽しいことも、嬉しいことも、悲しいこともない日々。待ち遠しかったはずの春休み。でも、今待ち遠しいのは入学式。今まで感じたことのない不思議な気持ちだった。
モヤモヤしたままそんな生活が2ヶ月も続き、ようやく中学校生活が始まった。新しい制服。久しぶりの友達。マスク越しの会話。いつもの風景なのに全てのことが新鮮に映った。ぽっかりと空いた穴を埋めるかの様に僕はものすごく頑張った。中学校生活も分からないのに学級委員長の仕事。部活は、全くの未経験の剣道部。テストも、小学生の時とは違う様式に戸惑いながらも、なかなかの出来だった。塾にも通い始めた。あんなに長く感じていた1日が、足りない1日になっていった。更に僕に拍車をかけたのが運動会での応援リーダー。みんなの手本になれる様に頑張るとほめてもらえた。その言葉を真に受けて、もっと頑張った。本当は僕の心の中はプレッシャーでいっぱいいっぱいだった。夜になると辛くも無いのに涙がこぼれた日もあった。こんな僕を見ていて母は、「それは、あなたがしないといけない事なの?今やらないといけない事なの?」と、何回も聞いた。
それから学校生活も4ヶ月が過ぎ、松風祭が行われた。当日まで、クラスみんなで一生懸命歌の練習をした。そして、みんなで勝ち取った金賞。それは、とても価値のあるものだった。みんなが一丸となった時の心地良い感覚は、忘れることができない。クラスみんなで喜んだ。あれほど嬉しかったことはなかったと思う。クラスが笑顔でいっぱいになっていた。僕もその一員であった。この時は何の役職も付いていなかった。でも、疎外感は全くなく、むしろ一体感の方を強く感じた。
担任の先生からは、「人付き合いが上手くなったね。」と言われた。僕は、僕の思いだけで突っ走っていた所があったと思う。だけど、友達と協力し、喜びもつらいことも分かち合うことで、気持ちが楽になっていた。そして、大きな達成感を得ることができた。それを感じると、僕の心は明るくなった。
小杉友巳さんは、「人は一人では生きていけませんし、一人でできる事も限られています。仲間とはあなたのできない事を助けてくれる人達であり、またあなたにしかできない事で助けてあげられる人達の事でもあります。」と語る。緊急事態宣言が出ていた時のように、時間がたくさんあるけれど、人と会えない時より、今の生活のほうが思い通りにいかない事も多く、忙しい。でも、幸せだと思える。なぜなら、僕には仲間がいるからだ。「情けは人のためならず」という言葉がある。仲間を大切にするということは、自分を助けるということではないだろうか。仲間に頼るだけでは良くない。だが、自分一人で抱え込むのも良くない。苦労を分散すれば、それに携わった友達同士で喜びを分かち合える。お互いに信頼し合い、支え合うことでたくさんの幸せを作れるのではないか。そして、良い関係を築くことで、お互いに人生が豊かになるのではないだろうか。


 

令和2年度 少年の主張コンクールについて
2021/09/14
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最優秀賞 後藤 遥香 さん

最優秀賞(県知事賞)

私にだってできたのだから
萩市立萩東中学校 3年 後藤 遙香

 あなたには、こんなことはありませんか。悩んでいて、一歩も動けない。辛くて、怖くて、どこからも光が差し込んでこない。暗闇に一人でうずくまっているようなこと。
 私の小学校は少人数で、何をするにも、そばには友達がいて、やってみたいことを素直に言える環境で過ごしてきました。しかし、中学校生活は、そう簡単にはいきませんでした。三つの小学校から集まった、大きな集団。そんな中で起こった出来事。それは、私が私であることを許さない、数々の冷たい行為でした。小学校の時のようにやりたいことに挑戦していた私は、不意に腕をつねられたり、陰口を言われたりするようになったのです。
 皆さんは、考えたことがありますか。同じ学年、同じクラスの中で、立場の違いを感じる苦しみを。同じ学年の中で、目立っても何も言われない人がいます。彼らは「陽キャ」と呼ばれ、学年の主役のような存在です。運動ができ、見た目も良く、言いたいことも臆することなく言うことができます。その反対に、「陰キャ」と呼ばれる人は、いつも脇役で、目立つことが許されない雰囲気でした。
 私が所属していた部活にも、同学年なのに気を使わなければいけない空気が生まれていました。「陽キャ」となった友達の態度は次第に変わり、私も変わっていきました。
「もし逆らったら、どうなるんだろう。」
そんなことばかりが頭をよぎり、してはいけないことをしたり、嫌ないじられ方をしても笑って過ごしたりするようになりました。そんなときのことです。
「転部すればいいじゃん。」
友達からのなにげない一言が、前を向くのを諦めていた私の心を動かしたのです。
「このままの私でいたくない。」
先生の助言により私は再出発を決意しました。
 次の一歩は、生徒会執行部としての活動でした。そんな私に、相変わらず「陰キャ」としての冷たい扱いや陰口があり、何もしない方が楽かと思う時もありました。けれども、何度も落ち込みそうになる私の目の前には、学校を変えるために、学年や性別を超え、なりふり構わず一生懸命に行動する先輩たちがいました。全校の難しい課題にもひるむことなく、前向きに活動する先輩たちがいたのです。先輩たちと行動を共にするうちに、私は気が付きました。私自身が「陽キャ」や「陰キャ」といった「作られた枠組み」に縛られ、動けなくなっていたということに。
「私にもできることがあるかもしれない。」
私の世界は大きく変わり始めました。
 今年度の生徒会のテーマは、挨拶の向上です。挨拶のあふれる学校にしたい。これが今年度の私たちの挑戦です。執行部でアイデアを出し合って考えたのが、「止まって挨拶する止まペコ、座っていても立ち上がって挨拶する立ちペコ、人前を横切る時に黙礼する前ペコ」です。これを広めるため、生徒集会での劇を企画しました。ところが、新型コロナウィルスの感染拡大予防のため、全校での集会はできません。そこで、学年を分け、3回にわたって同じ劇を繰り返しました。私たちの思いを受け、今では挨拶を進んで行う、挨拶マスターも現れるようになりました。「3ペコ」が私たちの合言葉です。私たちはきっと挨拶革命を起こしてみせます。
 応援してくれる人がいるから。悩んでいる人がいるから。私は立ち止まるわけにはいきません。「作られた枠組み」で苦しんでいる人に。想いを殺し、動けなくなっている人に。この思いを届け、その心に温かいともしびが生まれることを願います。人と人の間を隔てる「枠組み」など、もともとありはしないのです。一人ひとりの人間がいて、一人ひとりに揺れ動く心があるのです。諦めなければ、きっとできる。私にだってできたのだから。

優秀賞(県教育長賞)

「当たり前の有り難さ」
下松市立久保中学校 3年 西田 俊太郎

僕は、5歳の頃から剣道を習っています。今は剣道部に所属しながら、地域の道場にも通っています。しかし、今回の新型コロナウィルスの影響で3月から道場での稽古や、部活動が中止になっています。いつ再開されるか全く分かりません。
 元々剣道は、僕自身が望んで始めたのではなく、小さい頃はいつも泣きながら稽古をしていたそうです。いろいろな偶然が重なり、習い始めて今年で10年になります。正直に言うと、剣道が好きなのかどうか分かりません。夏は汗だくになり、目に入った汗を拭うことも出来ないし、冬は足の感覚がなくなるほど寒いのです。打たれたときの痛み、厳しい先生。そして、どんなに稽古しても、僕は決して特別強い選手ではないのです。「何で剣道をやっているのだろう。」と思うこともしばしばです。剣道は中学生限りで止めようと思い、それを親に宣言したこともありました。
 そんな中、新型コロナウィルスの影響で、2月末に突然の休校宣言がありました。その時は、正直に言って嬉しかったです。僕は疲れていて休みたかったからです。実際、最初の数日はとても快適でした。日中、親は仕事で不在なので、勉強もそこそこに、テレビやゲーム。寝たいときに寝てごろごろする。もちろん剣道もなく、完全に剣道から切り離された生活を送りました。自由でゆったりとした時間が流れました。そして、もうこのまま、部活動は引退するかもしれないという思いも頭をよぎりました。
 しかし、休校がたびたび延長になり、しかも先が見えないことで不安を感じるようになりました。登校できないこと、友達に会えないことも不安だったけれど、なぜか一番に頭に浮かんだのは剣道のことでした。
 「いつになったら剣道ができるのだろう。」
いつしか僕はそう考えていました。もう剣道は止めようと思っていたのに、気が付けば僕は剣道のことを考えていました。剣道の仲間のこと、稽古のこと、試合のこと。剣道が好きかどうかも分からなかったのに、剣道は僕の中で、なくてはならないものになっていたのです。
 当たり前だと思っていた日常が当たり前ではなくなったときに、初めて当たり前の大切さに気づくのかもしれません。今回の件で僕はそれを思い知りました。当たり前の日常がいとも簡単に崩れていく。それがいつまで続くか分からない。僕は絶望的な
気持ちになり、当たり前だと思っていた日々を思い出すと、涙がこみ上げてきました。
 ある晴れた日に、外で素振りをしてみました。久しぶりに持った竹刀は重く感じましたが、竹刀を振ると「ビュン」といい音がしました。少し嬉しくなりました。「ちゃんと毎日素振りをすれば良かった。面倒くさがらずに、試合でなくても、防具を着けなくても、剣道をする方法は、他にもあるじゃないか。」僕はそんなことも忘れていたようです。久しぶりの素振りはとても気持ちのよいものでした。晴れた空のように、僕の気持ちも晴れて気持ちを切り替える機会になりました。
 今、当たり前の日々の有り難さを実感しています。こんなことがなければ気付かなかったかもしれません。有り難いという字は「有ることが難しい。」と書きます。それに気づいたときはっとしました。当たり前の日々は実はとても奇跡のような日々だったのです。
 これからどんな困難な状況になろうと、僕は今できることに精一杯取り組みたいと思います。過去を振り返るより、前を向いて歩こう。今自分にできることを一生懸命やろう。穏やかな日々に感謝し、下を向かず笑って歩こう。もし、当たり前の日常が戻ってきたら、その時は当たり前の有り難さを忘れずに、僕は日々を大切に生きていこうと思います。

優秀賞(県民会議会長賞)

「自分を見つめ直せた時間」
下松市立久保中学校 3年 寺島 瑠珠

小さい頃の自分は漠然と子どもが好きだから保育士になろうと考えていました。しかし、今は看護師になりたいと強く思うようになりました。それは、あることがきっかけでした。
祖父は今、介護施設に入所しています。ちょうど1年前の今頃、祖父は脳梗塞で倒れました。命を取りとめたものの、自由に体を動かすことが出来ない状態になりました。その間、医師や看護師さんたちが懸命に治療や看護に当たってくださいました。意識がない中も笑顔で話しかけてくださったり、少しでも体が動かせるようにリハビリの支援をしてくださったり。その献身的な姿に私は驚き、本当に感動しました。そのおかげもあり、今祖父はリハビリを経て、施設に移ることができました。そこでも看護師さんの優しい笑顔の中で日々生活しています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、患者さんやその家族のために働く看護師さんの姿を見て、私も看護の道を志すようになったのです。
さらに、看護士を志す私の気持ちをいっそう強くしたのは母の姿でした。母は看護師です。人工透析という部署で働いています。人工透析とは、血液をきれいにする働きを腎臓に代わって機械で行う治療法で、治療しなければ命にかかわります。そして、新型コロナウィルスに感染すると重症化するリスクが高いといわれる病気です。だから母は自分が感染して患者さんにうつしてはいけないと、毎日緊張感の中で生活しています。また、私たち家族にも心を配り、行動を促してくれます。母は一時も気を抜くことが出来ない緊張の毎日で、とても疲れていると思います。でも、母は一歩外に出ると、きっと患者さんには一杯の笑顔で接していると思います。なぜなら母は私にいつも患者さんとの会話を楽しそうに聞かせてくれるからです。また、時々買い物で患者さんに出会って母が嬉しそうに話している姿を見ることがあります。患者さんも楽しそうです。母にとって、患者さんの幸せが自分の幸せなんだと思います。そんな母の姿を見ると、私も幸せな気持ちになります。
新型コロナウィルスが流行する今、医療従事者が偏見の目で見られ、その家族まで差別されることがあると耳にします。胸が痛くなります。こんなに患者さんのことを思って一生懸命向き合っている母の姿を日々目にしているからこそ、心ない言葉に傷つきます。
しかし、医療従事者やその家族にとって嬉しいこともあります。それは医療従事者へのエールを送るいろいろな活動です。感謝の気持ちを新聞広告に載せたり、拍手で表したり。建物を青く照らして感謝の気持ちを表す活動もあります。医療従事者は、それを目にすると、どんなに辛くてもまた頑張ろうという気持ちになれるのだと思います。
どんなに世の中が進化しても、人を支えるのは人しかありません。お互いが周囲の人に感謝しながら、自分が出来ることで誰かを支えていく。それができればみんなが幸せになれるのではないでしょうか。誰かを責めるのではなく、互いに励まし合う、そんな社会になればと思います。
今も母は朝早く出勤し、家事育児をしながら看護師をしています。そして、一日の終わりに、「今日も何事もなく無事に帰れて嬉しい。」とほっとした表情で口にします。大変そうですが、人の役に立つことに喜びを感じている母の姿は、本当にかっこいいと思います。
今回、新型コロナウィルスの流行をきっかけとして、自分の将来についてじっくり考えることができました。尊敬する母の背中を毎日目にしながら、私は今、看護師になりたいという気持ちを強くしています。辛い病気を抱える人、悲しい思いをしている人の力に少しでもなれるよう、夢に向かって一歩ずつ前進していきたいと思います。

優良賞

「自分だけ」の使い方
下関市立文洋中学校 3年 濱田 まつり

歩道の隅に点々と見える煙草のかす達、自販機の横に溢れかえっている空き缶、青々と茂る草達の真ん中に見えるお菓子の袋。
 ある日一人が道の隅に隠すようにゴミを投げる。またある日一人がそのゴミと並べるようにゴミを投げる。そんな日が何日も繰り返され、ある日その道を通った人の目がそこらに点々と目立つゴミ達をとらえ気分を害す。
 別にゴミを投げていった人達も誰かを嫌な気持ちにしてやろうなんて考えはないと思う。また「みんなでここにゴミを増やそう」という考えもない。ただただ、みんな、ここにはあまりゴミがないから少しだけなら大丈夫から始まり、ここならもうたくさんゴミがあるから自分もいいかなという気持ち。あるいは何も考えず平気でそこにゴミを投げる。しかしほとんどの人達は「ポイ捨ては良い行いではない」と分かっているはずだ。なのに何故歩道の隅にゴミをみつけてしまうのだろう。
 それはきっと「自分だけなら」という気持ちがたくさんの人の中にあるからだと思う。道を歩く人たち全員がそこら中ゴミを棄てたら大変なことになるのは分かっているけれど、みんな自分だけならと思ってしまいその気持ちがたくさん集まり、結局「自分だけ」のつもりが気づけば「たくさんの人」になって、あのゴミの塊を作ってしまうのだろう。
 この「自分だけなら」という気持ち。私も含めほとんどの人が持ち合わせているのではないだろうか。もちろんその大きさはみんな違って、自分だけならと思ってしまっても歯止めをかけ我慢する人。逆に自分をどんどん甘やかしてついには人を傷つけてしまう人。
 私は世の中に起こる「犯罪」も「自分だけなら」という気持ちからきたものもあるのではと考えた。テレビで見た万引きGメン。私はそんなに簡単に万引きする人が見つかるのかなと思っていたが、誰にも見られていないか確認しながら棚の商品をそっと鞄の中に入れてしまう人は結構いて、少し驚いた。そして、「何故万引きをしてしまうんだろう」と考えた。万引きするのにどんな理由があるのだろう。遊び半分でしてしまう人もいると思う。とても生活に困ってやむをえず商品を鞄に入れてしまう人もいると思う。だけど逆に万引きしていた人が自分の物を勝手に盗られたら、怒り出すと思う。つまり万引きも相手を考えない「自分だけなら」という気持ちから始まってしまっているのだと思う。
 では、どうしたら「自分だけ」を防いでいけるのだろうか。多分、「自分だけ」という気持ちは誰もの中にあり完全にふたをするのは難しいと思う。でも「自分だけ」という考えは全て悪いということはないと思う。「自分だけ」のあとに「なら」をつけてしまうからダメな方向に進んでしまうのではないだろうか。だとしたら「自分だけでも」という考えに置き換えてはどうだろう。例えば、そこで人が泣いている。自分一人ではどうしようもない。「自分だけなら」無視しても変わらない。でも、「自分だけでも」側によりそえたら安心してくれないかな…。
 道にゴミが放棄されている。「自分だけなら」別にいいよねという気持ちでたまっていったゴミ達。それを「自分だけでも」ゴミを拾おう!という人が現れたら。
 こういう風に「自分だけなら」と思ってしまう自分勝手な嫌な気持ちを、「自分だけでも」という前向きな広い心に置き換えられたら。「自分だけでも側にいてあげよう」「自分だけでもゴミを拾っていこう」というふうにみんなが考え出したら……。きっとこの社会は、もっともっと良い方向へ動き出せるのだと私は思う。

優良賞

周りの人から、自分から
萩市立むつみ中学校 3年 森田 遼

みなさんは、自分と人との“関わり”について強く考えたことがありますか。
私は今まで、「みんながいて良かった」という“関わり”を感じることはあったのですが、「みんながいないと困る」という“関わり”を感じる経験はありませんでした。
 しかし、新型コロナウィルス感染拡大の問題をきっかけに、私は「周りに人がいることの有難さ」と「周りの人が自分に与えてくれる力」に気づくことができました。
 まず、「周りに人がいる有難さ」についてです。全国一斉休校によって日頃何気なく受けていた授業がなくなったと同時に、私が意外にも一番強く感じたのは、「休み時間がない」ということです。毎日学校へ行き、授業を受けると、次の授業との間に10分間の休み時間があったのですが、改めて考えてみると私はその10分の間にいつも友達と会話をかわしていたのです。内容は特別なものではなく、「疲れたね。」とか「次が楽しみだね。」などというものでした。もちろん、私はそれを特別なことだと感じたことはありませんでした。
 しかし、特別だと感じていないというのは、むしろ、それが“日常の一部”になっていたということなのです。その10分間は、思った以上に大切な時間であり、知らず知らずの間に私に安らぎや、癒しを与えてくれていたのです。
 次に、「周りの人が自分に与えてくれる力」については、先程「日頃何気なく受けている授業」と言いましたが、そこにあります。私は正直、授業が面倒に感じることはあっても、授業が始まる前に席に着かないということはありませんでした。それは、なぜなのか。そう、そこには周りの人がいたのです。一人ひとりが様々な思いを抱きつつも、次の授業が始まるから席に座る。ただそれだけの当たり前のような個の行動が、最終的には集団としての力に変わっていたのではないかと、私は思うのです。私は今まで、集中力は自分で高めるものだと思っていました。もちろん、自分で集中力をつくるのも大切なことです。しかし、本当に学校でつくられている集中力というのは、その場の環境、つまり周りの人の力によるものだと思うのです。授業中の集中力は、周りの人がいるからこそ、一人ひとりの中でつくられるものなのだと、今回、私は家庭で学習する中で強く感じました。
 この二つのことが、今回の社会の大きな動きの中で私が感じたことです。そして、同じように多くの人が、人と人との“関わり”についてつくづく考えさせられたことと思うのです。もしかしたら、寂しさを感じなかった人がいるかもしれません。しかし、“変化”を感じなかった人はいないはずです。私は、毎日当たり前のように取っていた行動が当たり前でなくなった瞬間、心にぽっかりと穴が空いたような感覚になりました。その穴には、「周りの人」という、ただそこにいるだけのようで、実は自分にとても多くの力を与えてくれる存在がありました。今回のことは、そのことに気付かせてくれる機会でもありました。
 私は、改めて「自分に周りの人が力を与えてくれている」ということを知りました。そして、私自身も、“周りの人”として存在しています。つまり、私は他の人に力を与えていて、そんな私の力に支えられている人がいる、ということになると思うのです。今までとは少し違った形とはいえ、学校が再開し、私はそのことを強く意識して学校生活を送っています。授業中に、授業の間の10分間の休みに、一体どんな“関わり”をつくることができるのだろうかと。
 みなさんは、これから自分が周りの人からどんな力を与えられ、またどんな力を与えることができるのか、思いつくでしょうか。それを考えることで、今の生活がより充実し、輝いてみえてくるのではないかと、私は思います。

優良賞

未来を問う
萩光塩学院中学校 3年 福嶋 沙衣

「なんで空は青いの?」「なんで海はしょっぱいの?」「なんで?」ひとつの「なんで」に答えれば、またすぐにその答えに対しての新たな「なんで」が飛んできます。6歳の妹の周りには、疑問がたくさん転がっているようで、その怒濤の「なんで攻撃」が収まることはありません。小さな子供の無邪気な好奇心。そんな素朴な疑問について、深く考えさせられることがありました。
 「神様に手紙を書くなら、皆さんはどんなものを書きますか。」ある日、国語の授業で言われました。神様への手紙。世界中の小さな子供たちが書いた、神様に対する気持ちをまとめた、1冊の本です。子供たちの真っ白で純粋な心が見えて、思わずクスッと笑ってしまうかわいいものもありました。先生に、「神様に聞いてみたいことや疑問、なんでも書いていいですよ。」と言われ、友達が思い思いに書く中、私の頭に初めに思い浮かんだのは、こんな疑問でした。「なぜお金や権力を持った大人ほど、戦争を起こしたり、悪事をはたらいたりするのか。」小さな子供の書くかわいい疑問とはあまりにもかけはなれた言葉に、思わず苦笑してしまったものです。「神様、なんで大人は戦争をするの?なんで大人はずるをしてまでお金をもらおうとするの?なんで大人は自然を壊すの?」私の神様への手紙です。何も考えずに初心に返ってみたとき、私の手紙は、「なんで大人は」から始まる文でいっぱいになっていました。まだ世の中について良く知らないただの子供の私がこんな偉そうなことを言っていいものかとも思いましたが、これが私の素直な気持ちなのだろうと思うと、なぜだかスッと納得してしまいました。もちろん限られたごく一部の大人の人に対してですが、やはり子供である私からすれば、ニュースで流れる悪事や事件の発端はすべて大人。お金のために立場を利用する、戦争をしてはいけませんと言いながらも戦争をする。現実では世界中で争いが起きています。言い方が悪くなりますが、こんなただの子供にも分かる善悪が、なぜ一部の大人の人たちには分からないのだろうと、嫌なニュースを見るたび、気づかないところで私のこの疑問はどんどん大きくなっていったのだと思います。しかし、いくら私たちがその大人に意見を述べようが、改善されるのは難しいことを、私は理解しています。平和な世界は誰もが望むもの。私の発言でもしそれが叶うのなら、私と同じ考えを持った力のある大人がそれを実現しているはずです。私たち子供は大人に導いてもらわなければ生きていくことすらできないのですから、大人にできないこと、あるいは大人のすることを覆せないのは、当たり前でもあります。
 では、そんな私たちができることとは何か。そう考えたときに私の頭に一番に浮かんだことは、「問う」ということです。なんで空は青いのか、なんで海はしょっぱいのか、なんで戦争は終わらないのか。ただひたすら、6歳の保育園児のように問う。今中学3年生の私は、それなりに世の中についても学び、一歩ずつ大人に近づいています。大人になるということは、空気を読むことや、場合によっては自分の中で生まれた疑問を抑えることも必要になります。しかし、一度心を真っ白にして素朴な疑問と向きあったとき、それまでとは180度違った景色を見ることができるはずです。
 私は、神様への手紙という形で、自分の本音を見つけました。言ってしまえばこの疑問を見つけたからといって、今この現状は何一つ変わっていないし、解決もしていません。だからこそ悩み考えて、その先に待つ答えにたどりついたとき、それぞれの望む自分らしい未来が待っているのだと思います。現状に不満があるのなら、自分の手で未来を作っていけば良いのです。一生かけても答えの出ない疑問もあると思います。もし答えを見つけたとしても、またすぐに新たな疑問と衝突することでしょう。無邪気な子供が何度も聞いてくるように、それに終わりなどないからです。あと少し経てば、今度は私自身が子供たちから見る「大人」になります。私が未来を見せる側になるのです。だからこそ私たちは、「なんで?」と問い続けなければいけません。その素朴な「なんで?」が、数年後、妹が書く神様への手紙を、幸せなものにしてくれるはずです。

優良賞

挑戦―私にできること―
山口県立高森みどり中学校 3年 橋本 笑和

2020年2月27日、安倍晋三首相が全国の学校に休校を要請しました。私は、その約3ヶ月の休校期間中、一体何をすれば良いのか分かりませんでした。そんな時、母が言ってくれました。
「こんな時だからこそ、新しいことに挑戦してみれば良いんじゃない?」
と。私は「挑戦」を今年の目標としていたので、よし、何かやってみようと決意しました。
そして何に挑戦しようか、と悩んでいたとき、父が、
「田んぼの手伝いしてくれん?」
と言ってきました。私は毎年父や祖母が田を耕したり、田に水を入れたりして、苦労しながらも家族のためにお米を作っている姿を見てきました。けれど、今までは勉強や部活が忙しくてなかなか手伝うことができませんでした。だから、良い機会だと思って田んぼの整備などを手伝うことにしました。
まずは、田んぼの隅の土をスコップを使って掘るという作業に挑戦しました。始めたはいいものの、田んぼの土は私が思っていたより何十倍も重く、固くてなかなか進みませんでした。父が一日で終わらすものを兄と二人がかりで約1週間かかりました。毎日、筋肉痛の日々が続き、田植え以前にもこんなに大変なことをしないといけないんだと実感しました。お米を作るということの本当の大変さとは何か、を考える機会になりました。
私の家の田んぼは父によるとずっと昔からあるそうです。現在は、トラクターなどの機械があるので少しは楽になったと思いますが、昔は全て手作業だったと思います。昔の人たちは、今の私たちには計り知れないほどの苦労を重ねてきたことでしょう。だから、苦労しながらもここまで引き継がれてきた米作りを私たちが終わらせるわけにはいかないと強く思いました。今、私たちが食べている、おいしいおいしいお米は当たり前ではなく、今までにたくさん苦労してきた人たちがいるからこそのお米だと知ることができました。毎年5月頃には田植え、そして9月、10月頃には稲刈りがあります。今回の1回きりで終わるのではなく、これからも自分にできることをしっかりとし、少しでも家族を助けたいと思います。
私は休校期間中、田んぼの手伝いという一つのことに挑戦しましたが、そこで気づかされたものはいくつもあります。米作りを手作業でやることの大変さ、今まで田んぼを引き継いできた方々の思い、毎日の食事のありがたみなど、本当に多くのことを学びました。私にできることは新しいことに挑戦することだと気づき、実行したことでこの結果を得られたのです。
新型コロナウイルスの影響で辛い思いをしている人もいると思います。しかし、そんな中でも父や母のように世の中のために尽くしている人はたくさんいます。だから、また困難がやってきた時には、そのような人たちを少しでも助けてあげられるようにすることが私たちにできることだと思います。今回のようなピンチを前向きに捉え新しいことに挑戦すれば、たくさんのことを得ることができ、自分自身も成長することができました。休校期間中の自分の生活を振り返り、辛い時はもちろん、日常生活にも生かし毎日が成長の日々にすることが大事なのではないでしょうか。
新型コロナウイルス感染症は、まだまだこれからも続いていくと思います。第2波がやってきたとき、休校になることも予想されるのですが、私は、その時間を使ってもっと農業のことを調べてみたいと思っています。
父が農作業を終えたとき、田んぼから一羽の鷺が飛び立ちました。最後に国語の授業で学んだ俳句を添えて私の主張を終わります。
代掻きを鷺と一緒に終える父

優良賞

“繋がる”こと
上関町立上関中学校 2年 三浦 優紀

「みなさん、お変わりないですか?」
CDプレーヤーの誤操作で偶然聞こえたラジオの第一声。パーソナリティーの優しい口調にひかれ、ラジオを聞き続けた。山口弁で笑わせてくれたり、気遣いのある言葉に癒されたり。心地よい温もりがゆっくりと私の心を包み込んでいった。
 外出自粛で誰もがそれまでの暮らしができなくなった。私の学校も休校になった。友達とはSNSの会話だけ。部活も買い物もできない。心がモヤモヤしていた。そんな時に耳に入ったラジオの声。紹介される便りを聞きながら「あぁ、みんな同じように過ごしているんだ。」と安心した。見えない相手と繋がっている気がした。それからは時間があればラジオを聞いていた。
 ある日、「感染も恐いが不自由な生活による『心の病、被害』はもっと深刻だ」と、一人の評論家が発言していた。離れて住む両親が気がかりだけど、帰省できない40代の主婦、大学受験に合格したのにバイトも授業も始まらない学生、公園や家の外で遊べない都市部の小学生達。私より心がモヤモヤしているリスナーはたくさんいた。誰もが自分の気持ちを押し殺していた。
 私に何かできることはないだろうか。そうだ、まずは、自分が「心の病、被害」にならない方法を考え、実践してみよう。そう決意して2ヶ月半。毎日を前向きな気持ちで過ごせている。私が取り組んでいる三つの方法を紹介したい。
 一つめは、コロナに関する知識を身につけ正しい予防をすること。目に見えず、どこで感染するかわからないウイルスは本当に怖い。でも正しい対処をすれば不要な不安に陥らないはず。SNSにしか挙がらない情報は疑った方が良い。自分の経験から思う。
 二つめは、自分なりのストレス発散方法を見つけること。私は好きなダンスを練習し2曲踊れるようになった。努力をして何かを成し遂げるのは気持ちがいい。自分に少し自信がもてるようになった。今は3曲目に挑戦中だ。
 三つめは、人を悪く言わないこと。連休中に県外ナンバーの車が家の近くに止めてあった。母に告げると、
「どうしようもない事情があるかもしれんじゃ。人を悪く言うと心が曇るよ。」と諭された。自分の心の狭さを見せつけられたようだった。少しでも不満を言わず感謝できることを見つけていきたい。イヤなことは心の中にゴミ箱を作って、そこにポイすることにした。心の中が、嬉しいとか楽しいとかプラスの感情で満たされるように心掛けたい。
 先日、私達の学校に、町の社会福祉協議会の方からマスクが届けられた。また、地元のレストランからプリンがプレゼントされた。嬉しかった。人の優しさが温かかった。私たちを気にかけてくださる方がいる。私は一人じゃない。やっぱり自分は社会と繋がっている、そう感じた。
 あの時、ラジオの一声に出会わなければ、見知らぬ相手を気遣うこともなかったし、繋がることの大切さにも気付けなかっただろう。いつか、私なりの「心の病、被害」予防法と、多くのリスナーと繋がることができたお礼を、ラジオに届けたい。誰かとまた新しい繋がりが生まれることを期待して。
 現在、このウイルスと闘い、苦しんでいる方がいる。一方、学校、会社、家とそれぞれの持ち場で、この苦境を乗り越えようと皆が努力、工夫している。さまざまな取組を見聞きしながら「人間ってすごいな」と思う。歴史をみても災害や飢饉など痛ましい事柄が起こると、人はそこから何かを学び、知恵を出し、改善してきた。必ずこの窮地から脱して新しいステップに進めると信じて、未来からの視点で自分を見つめていきたい。


 

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草原
やまぐち子育て連盟 http://yamaguchi-kosodate.net
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