山口県青少年育成県民会議では、中学生が学校生活や日常生活を通じて日頃考えていること、同世代や大人に訴えたいことを、自分の言葉でまとめ、その意見を発表する機会を提供することにより、広く県民の皆様に少年に対する理解を深めていただき、青少年の健全育成に資することを目的として「少年の主張コンクール」を行っています。
平成24年度の山口県大会は、「青少年育成県民のつどい」と併催し、平成24年8月25日(土)に山口市の「カリエンテ山口」(山口県婦人教育文化会館)において開催しました。
書類選考による1次審査、2次審査を経て、8名の生徒の皆さんに発表していただきました。
審査の結果、最優秀者1名、優秀者2名、優良者5名を次のとおり決定しましたので、作品とともに掲載します。
☆☆☆【最優秀賞】(県知事賞)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「特攻隊員の心を想う」
宇部市立桃山中学校 3年 秋山 鈴翔 さん
『お母さんへ。大元気で。でっかい奴を沈めます。』
この短い手紙は、私が修学旅行で知覧特攻平和会館を訪れたとき、最も印象に残ったものです。若い特攻隊員の、大切な母への想いと、彼に課せられた、大きな使命感が凝縮されていて、胸がしめつけられました。彼のお母さんは、この手紙を読んだとき、いったいどんな気持ちだったのでしょうか。命と引き替えに使命を果たした、大切な息子の姿が目に浮かび、声を上げて泣いたに違いありません。そして、息子を誇らしく思う一方で、最愛の息子の「戦死」を受けとめなければいけない、という現実。戦争という非常事態の中で、皆必死に耐えていたのだと思います。
平和会館では、隊員の笑顔の写真が目につきました。彼らはなぜ笑顔なのか、私にはどうしても分からず、とまどいました。それは死の恐怖をかき消すためなのでしょうか。しかし、一人の人間として考えれば、たとえどんな理由を付けたとしても、死は恐ろしいにちがいありません。
語り部さんは、険しい表情でおっしゃいました。「16才から30代前半の若者の隊員は、特攻前夜、声がもれないように毛布をかぶって泣いたのです。」と。苦しみを忘れるためのお酒にも、全く酔えない者、一人になると、沈みこんでしまう者もいたそうです。
実際に見学した三角兵舎と呼ばれている宿舎は、真ん中に通路があり、その両側に大人一人がやっと横になれる幅のスペースが、奥に続いていました。ここで過ごした人々が大空に散っていったのかと思うと、その姿が目に浮かぶようで、胸がしめつけられてたまりませんでした。そして、写真に残された笑顔とは裏腹に、彼らは己の恐怖や寂しさと必死で戦っていた、ということを思い知りました。
展示されている手紙の文面や写真の表情は、どれもが親や愛する人が悲しまないよう、精一杯気遣ったような気がしてなりませんでした。出撃の朝、女学生たちに見送られながら歩く隊員の姿は、ごく普通の若者に見えました。数時間後にはもう、この世にいないはずなのに、そのほとんどが微笑んでいるのです。彼らだって軍人である前に人間です。本心は死にたくなかった、生きて帰りたかったにちがいありません。その苦しみや悲しみは、すさまじかったはずです。しかし、すべてを乗り越えた姿が、そこに残されていたのです。彼らの写真の中の笑顔には、死にに行く者の最後の優しさが込められているのではないでしょうか。
出撃の朝、片道分の燃料だけを積んだ飛行機に乗る特攻隊員は、飛行機を操縦して、体当たりする訓練しかしていなかった、といいます。展示されていた特攻機を見ながら、私は思いました。機体に乗り込む瞬間、地面から足が離れるときの感覚は、彼らにとってどういうものだったのでしょう。きっと、二度と歩くことのない地面と共に、大切な親や家族とも別れる現実を実感したのではないでしょうか。
愛する親や家族を守るため、命を散らした彼らの最後の叫びは「天皇陛下万歳」ではなく、そのほとんどが「お母さん」だったそうです。国のため、天皇陛下のために、命を捧げることが正しいことだと教え込まれた当時、戦争に行く兵士達は生きて帰ることなど考えていなかったはずです。しかし、その「国」というのは、大切な人や家族のいる国、という意味が強いのではないでしょうか。そうやって自分を納得させなければ、命を捧げることなど不可能だったにちがいありません。
私達が平和に暮らしている日本で、過去、これほどまでに壮絶な現実があったということを、私達は決して忘れてはなりません。たとえ想像することしかできないとしても、命をかけて戦った、多くの人々の心を想うことは、戦争という悲劇を二度と繰り返さないために必要なはずです。彼ら特攻隊員に使命があったように、私達にとっては、この現実と彼らの想いを風化させないことが使命なのだ、と確信します。そして、そうすることが平和を維持し、戦争のない未来につながる第一歩だと信じています。
☆☆☆【優秀賞】(県教育長賞)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「強い意志」
周南市立富田中学校 3年 森國 華子 さん
今から約1年前、東北で東日本大震災が起きました。今までにない巨大地震でたくさんの被害を受けました。私は直接の被害を受けたわけではないけれど、テレビや新聞などで目にした光景はとても悲惨なもので大きな衝撃を受けました。
あれから約1年。今では、震災の時に被災地で発生した膨大な量のがれきの受け入れ先がなく、町の復興がなかなか順調に進まない状況だというニュースをよく聞きます。
始めわたしはどこの地域も快くがれきを受け入れるのだと思っていましたが、実際にはそうではなく、たくさんの県や市が拒否している状態だということが分かりました。これは、がれきに含まれている放射能がとても危険で、受け入れ先の住民達が受け入れを反対しているからです。きっと、「自分たちが犠牲にならなくてもいいだろう」「どこかがきっと受け入れてくれるだろう」という人任せで自己中心的な考えからこのような状態になったのではないかと思いました。
震災直後は、協力・助け合いなどの前向きな言葉をたくさん言っていたのに、自分たちの生活に影響があるとなると、他人事みたいになるのはとても自分勝手なことだと思います。確かに放射能は誰もが怖いし、自分の住む地域に入れたくないという気持ちは私にもありますが、ただ拒否するのではなく、状況を考えて皆が少しずつ我慢や努力をすることで、大変さを少しだけでも分かち合うことは必要だと思うし、しなければならないことなのではないでしょうか。
私はこのニュースから二つのことをやろうと思いました。
一つ目は人任せにしないで自分からやるということです。
私自身も学校などの集団の中で生活していると、つい「自分くらいは・・・」という人任せな行動をしてしまいます。
がれきの受け入れは大きなことだけれど学校生活の中にも似たようなことがたくさんあると感じました。体育のランニングの声や返事、掃除なども同じだと思います。人数が多いと頑張っている人に埋もれてしまいがちだけれど、自分をしっかりと持って、今何をすべきかを常に意識して生活していきたいと思います。一人ひとりのちょっとした気持ちで大きな力になると思うので自分から進んでやるという気持ちを持っていきたいです。
そして一部の人だけが頑張るのではなく、全員で頑張っていける集団になりたいです。
二つ目は、言うだけでなく行動に移すということです。
言葉で言ったり書いたりするのは簡単なことだけど行動に移すのは難しいし大変なことです。
目標なども掲げるまでは簡単なことだけど達成するには努力はもちろんのこと、我慢や犠牲も必要です。でも、それを強い意志を持ってやり遂げられる人になりたいです。
昨年の震災後、全国からたくさんの温かい言葉や多くの募金や物資が送られていました。そのような全国からの支援は、被災地の人たちの生活を支えるのに、もちろん役に立ったと思いますが、でもそれは、安全なところから、自分たちの生活を犠牲にしない範囲でのほんの小さな協力であり、本当に被災地の人たちと同じ立場にたっての支援ではなかったのかもしれません。
優しい言葉を言ったり、思いやりの気持ちを伝えたり、高い目標を掲げたりすることはすごく大切なことだと思うけれど、それを実際に行動に移してこそ、その言葉に本当の意味があると思います。
今回の震災後のがれきの問題を考えて、あらためて自分の言葉に責任を持ち、実行できる人になりたいと強く思いました。
☆☆☆【優秀賞】(県民会議会長賞)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「みんなの笑顔のために」
周南市立熊毛中学校 3年 前田 敏明 さん
3月始めに、以前からの持病であった心臓病の再発で入院した祖父は、95歳である。本人の強い意志と病院の方々のおかげで3月半ばに無事退院した。しかし、高齢で手術ができず完治したわけではないので自宅で薬での療養となった。たった半月の入院生活だったのに歩行が困難になり、ほとんど部屋で寝て過ごす毎日になった。以前の、仕事が大好きで元気一杯の祖父の姿はそこにはもうない。
僕はそれを現実として受け止めることが難しく、ついつい素っ気ない態度を取ってしまう。心ではめちゃめちゃ心配で優しい言葉をかけたいけど、学校から帰っても部屋の外から「ただいま」と声をかけるだけである。
ある日高校生の姉が、夜遅く部活を終えて帰ってきて「ただいま」といつものように声をかけた。すると、「今帰ったんか、えかった、よう帰って来たのう」という声が聞こえた。母が、「おじいちゃんはあなたやお姉ちゃんやお父さんが出かけた後、毎日、『早う帰って来んかのう』と言っているのよ」と話してくれた。みんなが出かけた後は心配ばかりしているようだ。最近は今話したこともすぐ忘れてしまう祖父でも、僕たち家族のことがいつも心の中にあるのだろう。だから、それからは帰ったら必ず祖父の部屋に行き、話をすることにした。何気ない一言でも祖父は嬉しそうに聞いてくれる。僕もそんな祖父の笑顔を見るとほっとして心が温かくなる。
退院してしばらくの間、祖父は昼夜逆転と不安症が重なり、夜中に2時間おきに母を呼びマッサージをしてもらったり、昔の話をしたりして過ごしていた。母は、「久しぶりに睡眠不足実感中。あなたたちが赤ちゃんの頃の夜の授乳みたいで懐かしいなあ」と笑っていう。母は笑顔だが、かなり疲れもたまっているだろう。
そこで僕は何かできることはないか、母が喜ぶことは何かと考え、小学校の時によくやっていた肩たたきを毎日することにした。母は気持ちよさそうに「サンキュー最高だあ」と喜んでくれる。姉は母と友達みたいに仲が良く、最近は「女同士の話ができるね」と楽しそうだ。これが姉の考える母へのストレス解消法なのだろう。介護する母の負担を少しでも軽くすることが僕たち姉弟の役目なのだ。
一昨年の冬、倒れて入退院を繰り返し半身不随になった祖母は、現在介護施設に入所している。祖母が倒れた時、母は好きだった仕事やボランティア活動を辞め、介護する決断をした。しかし、家での介護は限界があり、家族で話し合って祖母の一番納得する方法として、新設される施設の開所を待ってそこに入所した。自宅では食欲もなく、毎日の入浴も困難な祖母だったが、今では親切な介護士さんたちのおかげで、1日3食とおやつまで食べられるまでに回復した。寝たきりだけど、僕たちが会いに行くといつもきれいな洋服を着て何か話したそうに微笑んでいる。帰り際、必ず力の入る左手で握手をする。帰りの車中で父が「いろんな人達にお世話になって、ありがたいね」とつぶやいた。
少子高齢化社会が進み、介護は誰にとっても身近な問題になっている。誰もが介護される側になる可能性がある。だからこそ誰か一人に負担を押しつけるのではなく、家族それぞれが互いの立場を思いやり、支え合うことが大切だと思う。しかし、介護の問題を家族だけで解決するには限界がある。だから、家庭の中だけでなく共に生きる社会の人たちみんながお互い助け合い、支え合うという気持ちをもてば、この問題は解決でき、明るい社会が実現できるのではないだろうか。
これからの時代をつくるのは、僕たち若者だ。祖父母や両親がいつも笑顔でいられるような社会を目指し、これから僕は自分にできることからやっていきたい。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「私のふるさと」
阿武町立福賀中学校 3年 玉島 愛 さん
私の住んでいる町にはコンビニやゲームセンターなどというものは一切ありません。車もめったに通らず、信号も、歩道橋もありません。とても不便な所です。しかし、そのかわりに豊かな自然環境と私たちを温かく見守ってくださる地域の方々がいらっしゃいます。私たちにとって地域の方々は家族同然で、とても大切な存在です。
学校生活の中でも、地域の方々の存在はとても大きいです。とくに地域の方々が残してくださった福賀の伝統、神楽舞は私たちにとって大切なおくりものです。だからこそこの伝統をこれからも守り続けていくのが私たちの役目だと思っています。また、校内の清掃活動や神楽舞指導などいろいろな場面で協力していただいています。私たちは、運動会で元気な姿を見ていただいたり、学校祭で感謝の気持ちを伝えたりしながら少しずつ恩返しをしています。このように私たちにとって地域の方々はなくてはならない存在となっているわけです。
ですが、地域とのつながりが深いわけがほかにもあります。それは、私たちのふるさと福賀に問題点があるからということも考えられるのです。
私たちにとってとても大切な地域の方々、その多くはお年寄りがほとんどです。その上、子どもの数は年々少なくなっています。そのため、地域の方々の協力なしではできないことがたくさんあることも事実なのです。
若い人たちが福賀を離れてしまうのは高校、大学、就職などたくさんのことが重なってしまうからだと思います。どれだけ福賀を思っていても、自分の夢によっては離れなければいけないときだってあるのです。
そういう私も今年受験生で、その節目にあたります。しかし、福賀を離れても、きっと福賀のことは忘れないだろうし、いつかまた帰ってくるときがくると思います。
問題点があるのはもちろんよくないことですし、ないにこしたことはありません。しかし、その問題点を痛切に感じる心を持った人々が多いからこそ、地域とのつながりが深くなっていると思います。大変だからこそ協力しようと思えるのだと地域の方々の優しさに触れながら感じます。
それだけ地域のことを思っている私たちのほとんどは福賀以外のところから引っ越してきています。私もその中の一人です。最初は地域との強いつながりに疑問をもつかもしれませんが、生徒のみんなと地域の方々とたくさんの経験をすることによって徐々にそのつながりが当たり前になっていき、自分の「ふるさと」になっていくんだと思います。そうやって自分のふるさとを見つけていってほしいのです。
先程も述べましたが、私の通っている学校の生徒数はとても少ないです。その分、一人に対する負担は相当なものです。でも、逆にいえば、それだけ一人一人がたくさんの経験を積めるのだと考えます。私も福賀に来てたくさんの挑戦をしました。今思えば簡単なことでも、あのころの自分にとってはとても勇気のいることでした。それをのりこえ少しずつ成長してきたんだなと思います。福賀にいると新たな自分を発見できたり、自分が変わったりするのかもしれません。
私は福賀に来てたくさんの体験をしました。そして、たくさんの人に出会いました。本当に感謝しています。みなさんには自分のふるさとがありますか。みなさんにもそんな自分だけのふるさとを見つけてほしいのです。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「理解しあえるって」
周南市立和田中学校 3年 村上 知花 さん
私が今、この社会で足りていないと思うこと、それは「世代の違う人同士のコミュニケーション」です。
去年の秋、私は中学校の職場体験で周南市役所にお世話になりました。3日間体験させて頂いた中で、特に印象に残ったのは3日目の午前中の受付での体験です。当日は、悪天候だったこともあり、来客がまばらでした。そこで、受付で私を担当してくださった方と私が、会話をする場合が多くありました。人見知りの私は、顔をひきつらせながらも、うなずきながら、時に真剣な面持ちで、その方と会話をしました。
その方には、当時中学1年生の娘さんがいたようですが、口数が少なく、学校で何をしているのか、何を考えているのかも分からなかったようです。そこで、ちょうど同じ年頃の私に「今の中学校はどうなっているのか。」という、とても、気になっていたことを話しかけてこられたのです。私は、娘さんの代わりに?たくさん質問をされました。
まず、先輩とは仲よくできるものなのか?という話。その方の中学時代は、上下関係がとても厳しかったらしく、「うちの弱々しい娘じゃあ、耐えられないかもしれない。」と心配されていました。私は、「そんなことはないと思いますよ。」と答えました。なぜなら、当時の私は2年生だったにも関わらず、先輩にいたずらをしかけたり、ちょっかいを出したりしていたからです。また、その方の娘さんが通っている学校に友人がいたので、その友人との話も交えて、やさしい先輩も多いから大丈夫だと思いますと話すと、その方は安心していらっしゃいました。
次に尋ねられたのは、今の子供は何を考えているのかということでした。これはちょっと難しい質問です。「私はゲームやパソコン、本やテレビのことばかり考えていますが、周りの友達は、いろいろ。アイドルや漫画。アニメやファッション。あらゆることに興味があるらしいです。」と答えると、「やっぱりねえ。」とニコニコ笑っていらっしゃいました。
少しの沈黙の後、その方は聞きづらそうに「勉強は?」と尋ねられました。ちょっと私もあせって、「それなりには・・・。」と答えました。勉強については、当時、2年生になって感じていたこと、高校のこと、テストのこと、成績のことなどを話しました。受付の方はやや驚かれた感じで私の話を聞いていたようでした。今の子はゆとり教育で、のんびりして不真面目だと思い込んでいたそうです。
最後に質問されたのは、「親をどう思っているのか?」ということでした。その方の娘さんは、最近言うことを素直に聞いてくれなくなっていたそうで、「口ごたえにとても腹が立つ。」とおっしゃっていました。その言葉に私は背筋が凍るような思いがしました。娘さんと私はまったく同じだったのです。受付の方が私の母に見えた気がして、ぞっとしました。
私が親に対して思っていることって・・・。口ごたえする時って・・・。その原因でよくあるのは、『理解してくれないこと』なのかなあとなんとなく思い浮かべました。親をはじめとして大人は「若い者の言うことなんぞ、聞いてたまるか!」といわんばかりに私たちの言動を戒めます。たとえこちらが正しかったとしても、その非を認めません。そして、私がその正当性を主張しようとすると、「口ごたえするな。」のひと言で抑えつけます。その言葉を聞いた瞬間、「どうせ、理解してくれないし、そのつもりもないんだ。」と悲しい気持ちになります。と、受付の方に思っていることを打ち明けると、少し黙りこんだ後で、「そっかぁ・・・。」とつぶやかれていらっしゃいました。「大人には大人の思いがあるんだけどねえ。」とぽつりとこぼされてもいました。
この日、私はたくさんのことを知り、いろいろなことを考えました。親は子のことを常に考えていること。大人が子供だった頃と今はかなり違っているということ。大人と子供で、誤解や偏見がたくさんあること。そして、大人は子供のことをなんとかして理解しようとしてくれていること。
世代が違えば、暮らしや社会、価値観は当然違ってきます。互いに疎外感を感じたり、拒絶しあったりすることもあると思います。その食い違いをなくすために大切なことは、コミュニケーションです。もっとも簡単なのは、「話す」ことです。まずは、家庭で、なんてことないことでも、親子で話すこと。次は地域の中で、同じ場所で暮らす人たちが、祭りや作業で語りあうこと。それがだんだん大きく広がりをもっていけば、社会に世界に人のつながりが広がり、過ごしやすく、明るく、楽しい世界になると思います。まずは、互いに会話をすることがきっかけです。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「大切な人たちについて」
周南市立須々万中学校 3年 藤田 綾美 さん
私は小学生のとき、いじめにあったことがあります。話しかけても無視され、一人ぼっちになりました。いじめられている、ということをだれかに話すことはできませんでした。一人のときに泣く、というのでたえていたのを覚えています。
そんなとき、やっぱり母が気付いてくれました。そのいじめはスポ少でされていたので、母に「やめる?」と聞かれました。でも、仲良く笑っていた時の友達が忘れられず、「やめる」とは言えませんでした。そんな私に母が「頑張れるなら頑張りなさい。」と背中を押してくれました。
私は今、友達と仲良く過ごせています。でも、母の支えがなければ、私は逃げていたと思います。だから、今、つらいこと、苦しいことがある人は、一番近くにいる家族が支えてくれている、ということを忘れないでほしいです。家族は自分のことを大切に思ってくれています。私はそのことを一生忘れず、過ごしていきたいです。
では、私が家族にしてあげられることは何だろう、と考えたときやっぱり家族が私にしてくれたように私も家族を支えてあげたいなと思いました。だれかが苦しんでいたり悩んでいたりしたら、味方になって、一番近くで見守って支えてあげたいです。
そして、もう一つあります。それは夢を応援することです。私の家族はみんな夢を持っています。その夢を追いかけていくなかで、必ず、もうやめようかなとあきらめてしまいそうになることがあります。そのとき、母が私にしてくれたように今度は私が背中を押してあげたいなと思います。ほんの小さなことでも、その人がまた頑張ろうと思えるきっかけを作ってあげたいです。
私の大切な存在の一つに友達があります。私はいじめにあってから、やっぱり友達や周りの人たちに遠慮というか心を開くことができませんでした。いつもニコニコして、相手の顔を見て行動する、いやなことでも断れない、そんな学校生活を送っていました。
でも、中学2年生の初めごろくらいから、やっと心を開くことができました。それは、今までも仲良くしてくれていた友達でしたが、一緒にいるうちにその子はいっつもまっすぐで、本当の自分で私と接してくれていると思いました。それなのに、私が本当の自分でぶつからなくてどうするの、と自分に言い聞かせ、少しずつ本当の自分で相手と接することができるようになりました。今では、自分らしく周りの人たちとも向き合うことができています。いつわりの自分で接すると、いつわりの笑顔になってしまうと思います。だから、私は本当の自分で心から笑顔で笑うことができます。私にとって友達はとても大切な人たちです。
私達にはこれからいろいろな出来事があるし、高校生になると友達と離ればなれになってしまいます。でも、どんなことがあっても、いくら離ればなれになってしまっても、私は変わらず本当の自分でみんなに接したいです。面と向かって伝えるのは難しいので、これが、精一杯の感謝を伝える方法だと私は思います。
私は家族や友達はいるのがあたり前だと思っていましたが、一人になってしまうさみしさやつらさを味わいました。でも、今ではいじめという経験は悪いことばかりではないと思っています。確かに、それは本当につらいことだったけれど、家族がいてくれることのありがたさや自分を認めてくれる友達の存在など、私が今まで気付くことのできなかったことを教えてくれました。そして、何より人の傷みが分かることのできる人間になれたかな、と思います。そういうところでは本当に私は成長することができました。だから今、つらく苦しいことがある人も逃げず、家族や友達の支えがあることを心にとめて乗りこえていってほしいです。そして、自分にとって一番大切な人は一番近くにいるということをたくさんの人に知ってもらえたらいいです。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「結ぶ」
萩市立大井中学校 3年 久保田 結衣 さん
結衣。この名前は、父と母の絆を意味する、両親がつけてくれた、大切な名前です。
私は中1の頃、バレーが好きではありませんでした。場の雰囲気に流されてバレー部に入ったのはいいものの、硬いボールは痛くて腕は黒いあざがいつもできていました。最初は何も分からなくて、何度も注意されて辛いことばかりの毎日でした。ただがむしゃらにボールを追いかけて、走って疲れて、家に帰るとそのまま寝て、起きると朝、の繰り返しでした。平日は2時間、休日は3時間の練習で、「いつ終わるんだろう。」と、頭の中はその言葉でいっぱいでした。
先輩が引退してから、私達だけで後輩を引っ張っていくことになり、私はセッターでいられるように、日々の練習を頑張りました。だけど、どこか心の中で、気の緩みがあったのかもしれません。私は足首を痛めて、練習が何日かできなくなりました。
新メンバーになってから、みんなの練習を初めて外から見た時でした。みんなは一生懸命に一つのボールを追いかけて、転がって痛いのにすぐに立ち上がり、コートに戻って仲間のプレーをカバーし合っていました。そして、何よりすごく楽しそうでした。私は今までなぜこんなに楽しそうなバレーを、辛くて嫌なものだと決めつけていたのでしょうか。そう思っていた自分が不思議で、バカだったと思いました。みんなと一緒に、あの中でバレーがしたくて仕方がありませんでした。
私は怪我が治ってから、少しずつ大切に練習を積み重ねていきました。みんなはそれぞれもっている力を磨いていきながら、チームの支えになっていきます。一つ学年が上がり、私達に後輩という存在ができると同時に、ライバルという存在が現れました。運動神経のいい後輩、トスの上手い同級生の二人です。セッターは、コートの中で唯一の私の居場所です。しかし、私はセッターとしてトスを上げなければならないのに、いつも肝心なときにできなくて、練習や試合を重ねていく度にだんだん不安が生まれてきました。「もっと練習して上手くなってやる。」という気持ちと同時に、「もしかしたらセッターが出来なくなってしまうかもしれない。」という焦る気持ちでいっぱいになりました。
そんな中、ある試合の夜、バレー部の同級生で集まってバレーについて語った時です。「結衣がセッターでいると任せられる。」「安心できる。」ということを聞きました。私は一瞬止まってしまい、だんだん涙があふれてきました。私は、みんなと向き合い、声をかけ、チームを支える立場でありながら、どんなに良いレシーブが来ても確実にアタッカーが打ちやすいトスで上げることができない、重荷でしかないと思っていました。それを言ってくれた本人にとっては何気ない一言だったかもしれません。でも、私はその言葉を聞いて、私にも誰かを支えられたことがあったのだと、自信につながりました。今、私はセッターとしての誇りと、仲間たちに支えられながらバレーができることにすごく幸せを感じています。いつも真面目で手を抜かず頑張っているキャプテン。私のトスに合わせて打って、ナイストスと笑ってくれるアタッカー。セッターの所までコートを駆け回って上げてくれるリベロ。場の雰囲気を変え、笑顔にさせてくれるピンチアタッカー。そして、未経験者の私達を一から育て、導き、叱って下さる先生。
私は多くの人の支えで今の自分がいるのだと思います。結衣。この名前のように、一人ひとりが今の私まで結び、つなげ、支えてくれているのです。決して誰一人として欠けてはいけない存在なのです。辛いことも壁にぶつかることもあるけれど、バレーと出会い、仲間と出会い、このチームでバレーが出来たことは、私の一生の宝です。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「いじめられてる?いじめてる?」
平生町立平生中学校 2年 木村 友美 さん
「人間関係は難しい。」私はある体験から、このようなことを思いました。私は、自分の「真面目」「思ったことを口にする」このような性格を長所だと思っていました。しかし、私が大切なことと思い注意したことから、ある友達と仲が悪くなってしまいました。今では、その友達とは仲良くなっていますが、一時は、無視をされ、とても悲しい思いをしました。その時、最後まで話を聞いてくれたのが家族でした。自分の様子がいつもと違うことに気づき、話を聞き、アドバイスをくれ、学校の先生へも相談してくれました。その家族のサポートがあって、私は楽しい日常をとりもどしました。このようなことから、私は家族のありがたさを感じました。また、困った時には、自分達で努力をすると同時に、大人、親や学校の先生の力をかりることも必要だと実感しました。また、外からは気づきにくい精神的ないじめは、本人が助けを求めない限り気づきにくいと思います。私の場合、いつもとちがう口調や言葉、態度で両親が「何かあったの」と話を聞いてくれました。つらくなった時、話ができる家族がいることが助けになったと思います。そして、学校の先生にも、そんな時、大きな力になってほしいと思います。
いじめの根絶が不可能な事だとしたら、病気の治療といっしょで、早期発見、早期治療ができるといいと思います。早期発見するには、日頃からの会話、そして、私達子供に向き合い信用してくれる大人が必要です。私達子供も、いじめられていると感じた時、大人に話す勇気をもたなければいけません。早期治療をするには、いじめられているという子を否定するのではなく何が一番つらいか、どうしたら楽になるのか、解決法を話し合って欲しいと思います。また、心ないいじめをしている子には、悪いことは悪い、間違っているよとみんなで教えていかなければならないと思います。私もこれからは、自分から話しかけて嫌な事や、やめて欲しい事を伝える勇気をもって前へ進んでいきたいと思います。
次に、今回の体験をもとに、「言葉」について考えました。私達の中学校では、先日、広島平和学習を行い、原爆の体験をされた方からお話を聞く機会がありました。その方のお話から戦争のおろかさや平和の素晴らしさ、そして、命の大切さなど多くのことを学びました。それらのお話の一番最後に、その方が話された内容が「言葉の大切さ」です。「言葉には魂がある」「言葉で言ったことは本当になる」そういう力が言葉にはある。だからこそ、私達人間は言葉を大切にしていかなければならない。このようなお話でした。その語り部の方のお話を聞いて、本当にそうだと思いました。私達は日頃、何気なく話をし、言葉を使っていますが、その中には美しい言葉、思いやりのある言葉も多々あります。しかし、それと同時に考えずに出てきた一言の中には、冷たい言葉、相手を傷つける言葉もあります。人と人とのコミュニケーションの基本は「言葉」です。今回の体験をもとに私は「人間関係」は難しいと感じましたが、その基本となる「言葉」を大切にできる人になりたいと思います。これから私は、いろいろな体験を通し、大人になりますが、『人のことを思いやる』『言葉を大切に出来る』大人になりたいと思います。
そのためには、やはり、私達子供から言葉づかいや、いじめられているかもしれないという不安、これはいじめているのだろうかという気持ちを勇気をもって大人に伝えることが大切だと思います。また、大人は勇気をもち、思いを伝えてきた子供の気持ちをしっかりと受け止め、理解し、いっしょに解決法をさがしていくことが大切なのではないでしょうか。