少年の主張コンクールの写真 |
山口県青少年育成県民会議では、中学生が学校生活や日常生活を通じて日頃考えていること、同世代や大人に訴えたいことについて、その意見を発表することにより、広く県民の皆様が少年の意識に触れることによって少年に対する理解を深めていただくために、「少年の主張コンクール」を行っています。
平成21年度の山口県大会は、平成21年7月18日(土)に美祢市の美祢来福センターにおいて、山口県青少年健全育成大会と一緒に開催しました。
書類選考による1次審査、2次審査を経て、8名の生徒の皆さんに発表していただきました。
審査の結果、最優秀者1名、優秀者2名、優良者5名を次のとおり決定しましたので、作品とともに掲載します。
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★ 最優秀賞
「吐き捨てた言葉」
宇部市立桃山中学校 3年 山本 美優香(やまもと みゆか) さん
小説を読んでいるとき、ぼんやりとくつろいでいるとき、私の意識とは無関係に、ふっとよみがえってくる光景があります。頬に残る感触とともに。
それは、3年前のことでした。そのころは、ささいなことでもすぐにイライラしてしまう時期で、毎日のように母とけんかをしていました。いつもは1時間もしないうちに自然に仲直りしたり、無視されるのが耐えられなくて、自分から謝ったりすることもありました。
しかし、その日は、毎日の小さなイライラが積み重なったのか、疲れが大きかったのか、私の中で何かが爆発し、今にも手が出てしまいそうな言い争いになりました。けんかの理由は、本当にささいなことだったと思います。それなのに、私は、母に吐き捨てるように言いました。
「うざいっちゃ!」
何も考えることなく、その言葉がスッと出てきたのです。
すると、母は、少し伏し目がちになり、低いトーンで、静かに言いました。
「あんたが兄弟の中でいちばん口が悪い。上の2人には、今までそんなことを言われたことがない。」
いつもなら、恐い顔で激しく叱られるのに、その日は、そう言ったきり、一言も話してくれなくなりました。いつもと違う母の姿に、私は戸惑い、少しずつ、いけないことを言ってしまったと後悔し始めました。しかし、素直になれず、いつもは絶対に交わす「御飯よ。」「おやすみ。」という言葉もありませんでした。
次の日ももちろん、私と母の間には「行ってきます。」「行ってらっしゃい。」という会話すらなく、父親の車で習い事へ行きました。
そして、迎えに来た父は途中、車を止めて、静かに、そして真剣な表情で、私と母がけんかをしている理由を聞いてきました。早く話を終わらせたかった私は、またイライラしてきて父にも言ってしまいました。
「もう、うざいっちゃ!」
すると、その発言に後悔する間もなく、父に頬をはたかれました。生まれて初めて、はたかれました。
「父さんにも、母さんにも、だれにでも、そんな言葉を使うな!」
強く、厳しい口調でした。そのとき、頬の痛さと、自分が父や母に言ってしまった言葉への後悔、恥ずかしさ、申し訳なさなどで、涙が止まりませんでした。
夕方になって帰ってきた母に、今までにない緊張をしながら、謝りました。すると母は、「うん。」とだけ言って、晩ご飯を作り始めました。次の日の朝、リビングに行くと、母が「おはよう。」と言ってくれて、私もやっと「おはよう。」と笑って言うことができ、安心感でいっぱいになりました。
この出来事を通して、甘やかすことだけが優しさなのではなく、むしろ、その人のことを真剣に考えて、本気で叱ってくれることの方が、本当の優しさなのだと知りました。
最近では、真剣に叱ってくれる人が少ない気がします。学校や社会で、ちゃんと子どもを見て、人として大切なことを、きちんと教えてほしいと痛感します。その中で、いけないことを「いけない」と、面と向かって言ってくれた両親がいることを、とても幸せに思っています。頬の痛みは、両親の私に対する愛情のあかしだと感じます。だからこそ、言葉遣いに気を付けようと、心から思うことができたのです。
今でも、ときには、ふさわしくない言葉や、相手を傷つける言葉を使ってしまう私ですが、頬の痛みを忘れることなく、自分の言葉に責任をもち、両親の思いに応えていきたいと思います。たった一言で、それまでの大切な関係を崩したくはありませんから。
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★ 優秀賞
「大きな愛情に包まれて」
周南市立富田中学校 3年 瀬川 莉帆(せがわ りほ) さん
学校に行く前に必ず私が確認することがあります。それは、鞄に自宅の鍵が入っているか確認することです。このことを、私は約8年間続けています。両親が共働きの私は、小学校1年生から家に入るための自分の鍵を持っています。小学校1年生から3年生までは児童クラブに通っていました。それでも、家に帰れば自分で家の鍵を開け『ただいま。』と返事のない家にあいさつをしていました。
いくら毎日確認をしているといっても、大切な鍵を忘れることもあります。そんな時は決まって、家にたどり着いてそのことに気付くのです。そういう時は、児童クラブでもらったおやつを食べながら、「お父さん、お母さん早く帰って来ないかな。」と思いながら、一人で遊ぶのです。
すると、近所のおばさんが、
「鍵忘れたの?うちに来ない?」
と、声をかけ、家の中に入れて下さいました。そしてまた、おやつをいただいたり、テレビを見させていただいたりしました。近所の五歳上のお姉さんが、夕方になっても家に入れない私に合わせて、ボールで遊んで下さったこともあります。日ごろそんなに付き合いのない近所の方々が、自分が困っている時に何の迷いもなく温かい言葉をかけて下さいました。
また、小学生のころびっくりしたことは、私が知らないおじさんでも私が、『瀬川さん家の子ども』だということを知っていたということです。そして、近所の溝の近くにランドセルを放り出して、溝にいる魚をつかまえようとしていたことなどの、絶対に親は知らないだろうと思われることも、なぜかいつの間にか親に伝わっているということです。
4月の祝日に、母と2人で庭の草抜きをしていた時、隣の家のおばさんが
「もう、お手伝い出来るくらい大きくなったからお母さんも楽でええね。」
と、話かけてこられました。そして、続けて
「小さいころは大変じゃったよね。お姉ちゃんもお母さんもようがんばったよね。」
と、おっしゃられました。母は、にこにこしながら
「本当にお世話になりましたね。」
と、言っていました。
そんな会話を聞いてようやく分かったことがあります。それは、私達家族4人は近所の方々に見守られている。支えられているということです。家族4人では出来ないこと、手が回らないことは周りの方々がいつでも手を貸して下さる。近所の方々がいて下さるから安全に生活出来る。そんな安心感から、今まで無理をせず、あせらず過ごせたのではないでしょうか。今まで、私は自分が一人で鍵を開け家に入ることが出来る。自分は一人で何でも出来ると思っていました。しかし、そんな私を大丈夫かな。と心配して下さる方々、見守って下さる方々のおかげで一人で安全に出来るということが分かりました。
下校中、畑仕事の手を止めて、
「おかえり。」
と、私を迎えてくれたおじさん、おばさん。ランニング中にもかかわらず声をかけてくれたお兄さん。本を読みながら友達を待っていた私に声をかけてくれたこともありました。いつでもどこでも、出会えば皆声をかけてくれました。たくさんの方々が、私の成長を毎日毎日見続けてくれました。けっして、おしつけることのない愛情に気付くことが出来ました。
そんな温かい地域の方々と明るいあいさつをかわし、今は何の役に立たないかもしれないけれど、いつかは役に立てるようになりたいです。そして、この地域の良さを大切に受けついでいきたいです。
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★ 優秀賞
「ハネナシコオロギの声」
下関市立長府中学校 3年 久我 立(くが たつる) さん
「ハネナシコオロギを研究テーマにしたらどうでしょうか。」
中2の春、尊敬する川野さんがそうおっしゃった時は、想像することさえできない未知の昆虫の名前を聞いて、とても驚き、興奮しました。
ハネナシコオロギという昆虫を、みなさんはご存知でしょうか。本州では下関市の豊田町にある華山という山でしか生息を確認されていない、珍しいコオロギです。その生態の多くは謎に包まれています。光沢のある黒色の1センチほどの小さなからだです。その名の通り、翅がないので、コオロギらしい鳴き声も聞けません。図鑑にもほとんど載っていません。そんな貴重なコオロギを、豊田ホタルの里ミュージアムの学芸員である川野さんは、僕に研究をすすめて下さったのです。
「僕に育てる事ができるのだろうか。」正直、不安を感じました。しかし、元来、昆虫が好きな僕は、謎に包まれた生態を解き明かしたいという思いに駆られて、いつの間にか、大きくうなずいていました。
僕は現在、川野さんがつくって下さった、「生物部」に所属して、豊田町を中心に、昆虫や化石など、様々なことを学んでいます。そして、必死に採集し、育てたハネナシコオロギを自宅で飼育しています。でも、僕が育てているのはハネナシコロオギだけではありません。
僕の毎日はこんな風です。僕が通っている長府中学校は、小高い丘の上の、森に囲まれた自然豊かな学校です。ですから、下校途中に、魅力的な生き物達に出会えます。特に、ホタルやケラ、ナナフシなどに出会えた時は、ついつい、バックに忍ばせたビニール袋に入れて、連れて帰ってしまいます。また、家に着けば、18種、50匹以上の昆虫の世話がまっています。水分の補給、えさの交換、湿度、温度の確認など、することは山のようにあります。昨年、トノサマバッタを研究していた時は、100匹以上のバッタ達を飼っていました。そのため、エサはいつも足りなかったので、道ばたでススキを見かければ、車にのっているときでも、車をとめてもらい、準備していたハサミで刈り取っては持って帰っていました。
そんな忙しい毎日の中で、ハネナシコオロギの観察日誌もつけています。家でふ化した幼虫は4.5ミリ程度しかなかったので、家族からはその小ささから「プランクトン」の愛称で呼ばれるようになりました。今、飼っているのは2世代目です。僕の観察によると、ハネナシコオロギの生態は次のようです。
まず、山にいるので、夏場は涼しくしないといけません。昨年の夏は毎日、保冷剤をケースの下に置いていました。また、落ち葉の下を好みます。えさは人参や林檎を食べますが、動物性タンパクを得るためか、金魚のエサをよく食べます。僕は昨年、繁殖に成功して、7匹以上、発見することができました。産卵数はおそらく10個程度でしょうか。ただ、彼らは翅がないので、一般的なコオロギのような鳴き声で求愛行動することはできません。そこをどう解決しているのかを、僕は解き明かしたいです。
いずれにせよ、ハネナシコオロギが育つ環境には豊かな自然が必要です。それも人の手が入った山ではなく、古くから日本にあった自然の森が守られていなければいけません。彼らはしゃべれないので、我々人間は助けを求める声を直接耳で聞くことはできません。しかし、心の耳を少し彼らにむけたら、彼らの助けを求める声は聞こえるのではないでしょうか。
ハネナシコオロギを見つめるたびに、僕はこの小さな命をはぐくんでいるわずかな自然を、人間は守り続けなければいけないと思います。そのためにも、素敵な仲間や先生、そして昆虫たちに囲まれながら、これからもいろいろなことに興味をもって研究し、自然の大切さ、すばらしさをみなさんに発信していきたいです。
ありがとうございました。
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★ 優良賞
「命の重さ」
美祢市立大嶺中学校 3年 篠田 沙織(しのだ さおり) さん
青少年の自殺のニュースは、いつの時代も後を絶ちません。私はそのニュースを見聞きするたびに、とても辛い気持ちになります。せっかく授かった命なのに、自分で自分の命を絶つということは、想像するだけでも本当に悲しいことだと思うからです。
私は3人兄弟です。私の上には、兄と姉が1人ずついます。しかし私の母は、兄を出産する前に、2人の男の子を亡くしています。1番最初の子は早産で、2番目の子は流産だったそうです。現在の医療だったら何とかできたかもしれませんが、残念ながら当時はまだそこまで医療が発達していませんでした。母は、1番はじめの子が亡くなった時、初めて父の涙を見たのだそうです。父はめったに泣かない人なので、その時の悲しみは計り知れないものだったのでしょう。しばらくして私の兄が、健康な身体で無事に生まれました。その時の喜びは、言葉にならないほどのものだったそうです。
私がこの話を聞いたのは、つい最近のことです。この話を聞いて私は、以前にも増して命の重さを感じるようになり、自殺など決してあってはならないと思うようになりました。私の母も、2人の子を亡くした時は、ずっと泣いて過ごしていたそうですが、落ち着いてくると
「あれは運命だったんだ。しかたのないことだったんだ。」
と、前向きに乗り越えてきたそうです。そうして母は強くなっていったのだと思います。姉が未熟児で生まれ、しばらく保育器の中で治療していた時も、母は
「頑張って、頑張って。」
と、ずっと姉に向かって応援していたそうです。そんな話を聞くと、辛さを乗り越えてきたからこそ、前向きに応援することができたのかな、と思いました。その後姉は、母の頑張りもあって、無事退院することができました。
このように生まれた環境には色々な違いがあるでしょうが、せっかく与えられた命を、自ら捨ててしまうということは、絶対にあってはならないと思います。どんなことがあっても、落ち込んでばかりいないで、未来に向けてまた歩き出すことができれば、少なくとも何かに失敗して自殺する人や、プレッシャーに耐えきれずに自殺する人もいなくなると思います。世界中には、生きたくても生きられない人がたくさんいるのです。
私はつい最近、修学旅行で長崎に行きました。原爆について、実際に見たり、聞いたり、さわったりして、多くのことを学びました。小さい子供達の死体の山や、背中に火傷を負った子供達の写真もたくさん見ました。それらを見ると、「この子達は、この日まさか自分が死ぬとは思わなかっただろうな。もっとやりたかったことがたくさんあっただろうな。」と思いました。そして、私達が普段、学校で勉強できてみんなと遊べるのはとても幸せなことで、当たり前だと思うのは間違っているんだな、と思いました。今、こうして元気で普通に生きていられることを、大切にしていかなければいけないと思いました。
私達が生きている今の時代は、色々なものが発達し、とても便利になってきました。そんな中で生きていられる私達は本当に幸せです。だからこそ私達は、もっともっと1日を大切にしていかなければならないと思います。私はもう、14歳になりました。これからは、生まれてくることのできなかった兄である2人の男の子達のためにも、しっかりと生きていこうと思います。
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★ 優良賞
「大人と子ども」
防府市立華西中学校 3年 吉岡 都佳沙(よしおか つかさ) さん
皆さんは、子どもと大人について考えたことがありますか?
私は最近、大人としての在り方、子どもとしての在り方というものをよく考えます。大人と子どもは、存在する場所が同じでも、自分を取り巻く環境や社会的な立場の違いがあり、同じではない間柄だと思います。例えば「親と子」や「教師と生徒」の間柄のようなものです。
私は、何が大人で何が子どもなのかを疑問に思うことがあります。それは、子どもから大人になるということが、年齢のことを言うのか、気持ちの持ちようをいうのか、よくわからないからです。ただ、最近わかりかけてきたことは、大人の言動が子どもを傷つけ、子どもの行動が大人を悩ませていること。そして、大人が子どもに期待するように、子どもは大人に何かしら求めているものがあるということです。
私は「期待」というのは自分にとって支えにも重圧にもなるものだと思います。ただ、重圧にも感じれば感じるほど、求めてしまうものも多く増えていく。その「求めてしまうもの」が「わがまま」だと言われてしまう間は、子どもなのかなと考えるようになりました。
けれど、時に「わがまま」という行為は必要だと思います。
私は、今年着任された担任の先生に、反発という形でわがままを言いました。文句を言うか、ただ無視をするだけの私に、先生は
「それは、お前のわがまま。」
と言いました。その言葉に、私は、“わがままを言って何が悪い”と思うばかりでした。その時の私は、先生が“大嫌い”ということしか頭になく、自分勝手になっていました。
しかし、その後、冷静になって先生の言葉を考え直してみると、先生の指摘は確かに正しいと思えてきたのです。
私は先生に反発し、わがままを言ってよかったと思います。反発していなかったら、先生のことを“嫌い”という目でしか見られなかったと思うからです。そして、今回の経験で、自分の中に得たものがあるように思いました。それは、先生に対するささやかな「信頼」です。反発し、わがままを言いながらも、先生の言葉の裏側にある「期待」に、少しずつ気付くことができたのかもしれません。
私はまだ成人しておらず、大人の気持ちは分かりませんが、大人は自分自身が子どもの時の経験があります。子どもの気持ちと大人の気持ちの両方が分かると思います。だから、大人は子どもを導くことができ、教えることができるのではないでしょうか。
中学3年生になった今、自分の進路を自分で考え、決断しなければならない立場の私は、片足を大人に突っ込んでいるのかもしれません。しかし、今の自分は行動も考えも中途半端で、将来の夢さえ未だに見つけられていません。そればかりか、やるべき事を投げ出し、口を開けば文句しか言わない。そんな自分を「大人」といえるようになるには、まだ程遠いと思っています。
けれど、社会の仕組みや将来のことなど、何が正しいのか、そして、今何をすべきか疑問に思い、考え、自分なりの答えを探し、見つける。その繰り返しの中で、自分なりに考えて行動しているつもりです。その方法や答えが、時に子どもじみていたり、理解されずに「わがまま」と受け取られたりしても、せめて聞いてほしい。気付いてほしいと思います。
大人と子ども。私もいずれなるであろう大人という存在。私は、今までやこれからの経験を糧に、子どもの気持ちに気付けるような、そういう大人になりたいと思います。
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★ 優良賞
「戦争をなくしたい!!」
平生町立平生中学校 1年 三戸 千尋(みと ちひろ) さん
内戦や戦争が、多くの国で続いている。また、その戦争で多くの人が死傷している。こんな悲しいことしか起こらない戦争をなくすために、私に何ができるかを考えてみることにした。
今、私が過ごしている何気ないこの時間にも、苦しんでいる人がいる。人を傷つけ合って、どうして戦争をするのか、私には未だに理解しがたい。戦争はやめられないのだろうか。世界中を平和にして、笑顔にすることはできないのだろうか。
私は、人の笑顔を見ることが好きだ。教科書やテレビで、戦争のニュースを見る。その痛々しい姿に、私はただただびっくりし、悲しくなる。日本に住んでいる私達にとっては、かわいそうだなとか、大変だなと思うだけだと思う。今、日本では戦争が起こっていないからである。でも私には、『私が戦争を少しでも減らせないのだろうか。』という思いが、常にある。
まだ中学生の小さな私が戦争をなくすために何かしても、大きな世界には届かないかもしれない。けれど、私がそのためにできる小さなことをして人に伝え、それが伝わり伝わり…。何もしないよりは、どんなに小さな事でもした方がいいと私は思う。
私はそのために、今、3つのことを考えている。
まず1つ目に、友達とけんかをしないようにしようと思う。悪口やいじめは、誰かが傷つくことになる。けんかも、して得をすることはめったにないだろう。お互いに言葉で話し合って、解決することはできないのだろうか。そうすれば、小さなけんかや大きなけんかがきっと少しは減るだろうと思う。戦争は大人の大きなけんかのようなものだけれど、話し合いで解決できることがあるのではないか、と思う。
2つ目に、できるだけ毎日笑顔で過ごしてみようと思う。人の笑顔を見ていると、私まで笑顔になってしまうことがよくある。笑顔は私にとって、幸せの宝箱みたいなものである。逆に苦しんでいる人を見るのは、とってもつらい。だから、私から笑顔になって、悲しい人もつらい人も笑顔になれるようにしたい。だからといっても、無理やりのつくり笑顔では、よくないと思う。心の底から笑った顔だけが、人を幸せにすることができるのだ。
3つ目は、食べ物を大切にすること。一見、戦争とは無縁のようだけれど、実は関係していると思う。日本では、どこでも食べ物が手に入る。けれど、内戦や戦争が起きている地域では、食べ物がなかなか手に入らない。ある意味で、世界は不平等だと思う。だから、せめて今の生活の、今の食べ物を大切にして食べようと思う。給食のご飯や朝食、夕食をできるだけ食べる・食べ物をそまつにしないことは少なくとも私達にできると思うのだ。
これから私は、この3つのことを心がけて、戦争をできるだけ減らせたらいいなと思う。そして、毎日を過ごすなかで、できることを見つけたらどんどん実践しようと思う。そうすることで、毎日毎日少しずつ戦争が減っていったら…。
昨日より今日。今日より明日。みんなが、世界中の人が少しでも幸せに、ハッピーになれるように。私の周りにいる人が、一人でも少しでも笑顔になって、少しでもハッピーになって、少しでも幸せに1日が毎日が過ごせるなら、いいと思う。それが小さな私が戦争をなくすために大きな世界にできることだと思うから。
そして、戦争のない世界で、みんなが幸せで笑顔になって暮らし、自分の時間を、自分の好きなように過ごす。勉強や家事など、ふだん私が体験している事をいろんな人に体験してほしい!同じ世界に生まれた人間として。
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★ 優良賞
「私の知らない彼方の青い世界」
私立萩光塩学院中学校 3年 岩谷 真里(いわたに まり) さん
私は、最近あるひとつの本に出会いました。それは、「青空のむこう」という本です。作者はアレックス・シアラーです。
この本には、ハリーという主人公の青年が登場します。ハリーにはお姉さんがいました。ある日、ハリーはそのお姉さんと喧嘩をしてしまいます。
「お姉ちゃんなんか大嫌い。」
と言って家を飛び出した時、トラックにひかれて、死んでしまいました。
この本では、人は死んでしまうと「死者の国」へ行きます。そこはずっと夕焼け時で、時間のない世界だそうです。生きている時悔いのなかった人は、「彼方の青い世界」に行き、悔いのある人は、彷徨ったり、人間界に幽霊となって戻ったりすると書いてありました。
ハリーは死者の国でアーサーという男の子に出会います。アーサーも昔死んだお母さんを探していました。ハリーはお姉さんと仲直りをすること、アーサーはお母さんに会いたいと思う気持ちが後悔となり、彷徨っているのです。ついに2人は人間界に行きました。この本の中では、アーサーとハリーは生きていた時の悔やまれる気持ちを晴らすことによって、やっと「彼方の青い世界」に旅立っていくことができました。
皆さんは「死ぬ」こと、「死んだあと」のことについて考えたことはありますか?私はこの本を読んで、死んだあとの「彼方の青い世界」にすごく興味を持ち、いろいろなことを考え始めました。
私は、数年前に大好きだったおじいちゃんを亡くしました。とても悲しくて、すごく泣きました。でも、おじいちゃんは、今どんな気持ちなんだろうと考えてみました。私はその時、「ふっ」とハリーのある言葉を思い出しました。ハリーは
「僕のことは心配いらない。でも、忘れないで。あなたの心のどこかに僕がいてくれればいい。だから忘れないで。」
と言いました。私は、この言葉を聞いて、私の心の中にいるおじいちゃんの存在に改めて気づくことができました。おじいちゃんは、生きている間に私たちにたくさんの思い出をくれました。おじいちゃんは自分の子どもや私たちのために一生懸命に生き、たくさんの愛情をくれました。だから、おじいちゃんは死んでも私たちの心の中に生き続けているのです。生きている時、たくさんの人のために生きた人ほど、多くの人の心の中に生き続けると思います。今、おじいちゃんは、きっと後悔せずに死んだのだと考えられるようになりました。今はもう、「彼方の青い世界」に行っていて、また、新たな命になっていると思います。そう思うとおじいちゃんの死も淋しくなくなってきました。
死んだあとのことは誰にもわからないし、決まってもいないけど、私はこの本のような世界があって欲しいと強く思います。私は、この本を読んで、私も後悔なく死ねるように悔いのない人生を送りたいと思いました。彷徨って「彼方の青い世界」にいけないなんて悲しすぎると強く思いました。
死んだとき、幸せに思えるには、たくさんの人のために生きること、そして、生きている時間を大切にすることだと思います。嫌なこと、辛いこと、苦しいこと…。逃げてばかりいると必ず後悔してしまいそうです。死んだあとのことを考えることによって、人を大切に、今を大切に、そして力いっぱい生きたくなりました。
この本のおかげでたくさんのことを思い出し、たくさんのことを考えたことによって、死ぬということはとても難しいことだと感じました。それと同時に今を大事に生きなければと強く感じました。毎日の生活を振り返ってみると、大切な時間をいい加減に過ごしてきたような気がします。これからは、この本を読んで感じたことを思い出し、友達や家族を大切にし、今を大切に生きたいと思います。
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★ 優良賞
「今私が考えていること」
岩国市立美和中学校 3年 岡原 奈津美(おかはら なつみ) さん
「大きな声であいさつをしよう。」これは、私が職場体験学習で美容室に行ったとき、入り口で思ったことです。実際、中に入ってみると自分が思っていたほどの大きな声が出ず、ますます緊張が高まってきました。けれど、美容師の方がやさしい笑顔であいさつしてくださったので、緊張がほぐれました。それから私は実際に掃除をしたり、タオルをたたんだりしていくうちに
「終わりました。次は何をしましょうか。」
と、次はどんなことをするんだろうと期待しながら聞くことができるようになっていきました。
私の知っている方がお客さんとして来られ、
「久しぶり。」
といわれた事もありました。恥ずかしく照れくさいような気持ちもしましたが、仕事が楽しくなってきました。
美容師はお客さんに触れる仕事です。だから、体は常にきれいにしておかなければなりません。また、常に明るくお客さんと会話をすることも大切な仕事です。どんなに嫌なことがあっても、やらなければいけません。最初は辛いこともあったりする仕事ですが、信頼されるようになれば、とても楽しく仕事ができるようになってくる職場だと思います。私が行った美容室の美容師の方は、その日にその人がどういう切り方をしたとか、どういう色に染めたとか、どんな会話をしたかなど、一人ひとりの事について書いていました。お客さんに満足してもらえるために、見えないところでも努力されているのです。ただ髪を切るだけ、パーマをかけて染めるだけではないのです。こういう事が信頼されることにつながるのかなあと感じました。
美容師以外にも大変な仕事はたくさんあります。しかし、それをこなしている人たちはすごいと思います。この人たちは最初から仕事がうまく出来たわけではありません。最初は皆、私が職場体験学習で体験したように、緊張してうまく出来ないんだと思います。だから、たくさん努力していって一人前になっていけるんだろうなと思います。努力することは、とても大切なことです。たとえば医者は、手術するとき最初からさせてもらえるわけではありません。まずは先輩がやるのを見て勉強していきます。料理屋も同じで、最初は野菜を切ることから始めます。それから先輩から学んでいくんだと思います。皆、努力を積んで一人前になっていきます。だから私は将来の目標を決めて、それに向かって努力したいと思っています。
将来の目標を決めてそれに向かって努力している人を私は今、知っています。それは私の姉です。姉は今、歯科衛生士になるため専門学校へ通っています。姉は高校生の時、専門学校に合格するために必要な科目を勉強したり、オープンキャンパスに行ったり、模試を受けたりと色々努力を積み重ねていました。また、学校の課題研究では、習ったことのない専門的なことを、インターネットや図書館で勉強してまとめていました。目標があり、夢を持っている人は努力の先にある将来の自分の姿を想像することで、辛いことがあってもがんばっていけるのではないかと思います。
人は皆何をするにも緊張をもっていると思います。うまくいかないことがたくさんあります。でも努力を積み重ねていくことが大切なんだと、姉や周りの人を見て思いました。ですが私は、あまり努力する方ではありません。やろうと決めた事を途中で投げ出す事がよくあります。例えば、テスト期間中に部活がないので家で筋トレをしようと思うのですが、2日や3日でやめてしまうことがあります。だからスポーツでは、小学校の頃からずっとやってきたバスケットボールを全力でやって、勉強では苦手な科目にも積極的に取り組もうと思います。また、いろいろな仕事についていい面や悪い面もありますが、家族や友人、先生などの話をたくさん聞きたいです。
そして、自分の目標を確実に持ちたいと考えています。
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