 R1年度少年の主張コンクール |
最優秀賞(県知事賞)
自分が自分でいられる環境
萩市立萩東中学校 2年 後藤 遙香
「歌を歌うのが恥ずかしい。」
そんな言葉を聞いた生徒総会。それを聞いて、私はこのままではいけないと思いました。
これは、先日の生徒総会で、「校歌の声を大きくするには」という議題について全校で話し合っていたときのことです。
私の学校では、毎月の生徒集会で校歌を歌います。最近は、全校生徒で歌うときの声が小さく、先生に声をかけていただいたり、生徒会役員を中心に何度もやり直しをしたりして、やっと声が出るという状態でした。そこに課題を感じた生徒から、今年の生徒総会の議題として提案されたのです。
そもそも校歌とは、その学校の象徴であり、在籍した生徒一人ひとりが、世代を超えてつながることのできる貴重な歌です。
校歌を歌うのは生徒なら当たり前のこと。そう思う人がいるかもしれません。しかし、私には「恥ずかしい」と思う人の気持ちがよく分かります。それは、私の心の中にも、体裁を取り繕い、本来の自分を隠してしまいたくなる気持ちが潜んでいるからです。
私は小学生の頃から、人の前に立つことが好きでした。ところが、そんな私のことをよく思っていない人がいました。その人たちからすると、ぽっちゃりで、自分よりかわいくなくて、運動もできない。そんな私が学校で数人しか選ばれない生徒会役員に選ばれたことに納得いかない気持ちがあったのでしょう。それを知り、私は何度も落ち込みました。逃げ出したい気持ちにもなりました。
それでも、私が今も人前に立つことを好きでいられるのは、仲間と共に挑戦する楽しさ、仲間と一つのことを達成する喜びを体験する機会に恵まれたからです。だからこそ、その楽しさや喜びを、「歌うのが恥ずかしい」と声を出せずにいる人たちにも感じてほしい。そう思いました。
学校とは、互いを認め合い、一人ひとりが成長していくところです。しかし、「声を出すこと」を怖がるというのは、「失敗したら恥ずかしい。」そんな「自分の声を出すこと」に不安をもって過ごしているということです。歌が上手ではなくても、私は誰もがのびのびと声を出すことができる学校にしていきたいと思います。「みんなと違う」と自分を隠してしまうのではなく、むしろ一人ひとりの違いを活かし合える。一人ひとりの声が響き合う校歌。一人ひとりの声で作られる学校。こうして、色とりどりのカラフルな「個性」が生まれてくるのではないでしょうか。
私は、性格だけでなく、その人の境遇や思いも個性だと思います。現在、髪を伸ばし、メイクをしてモデルをしている男性がいます。その人は、中学生くらいの頃から、女の子の格好が好きだったそうです。しかし、同級生の男子に「気持ち悪い」と言われ、髪を切ったり、男らしくしたりして、周りの男子に追いつこうと必死だったそうです。そんな時に母親から言われた言葉。
「自分のやりたいことをやりなよ。」
この言葉で自分らしく生きていけるように変わることができたそうです。このエピソードから、自分を認めてくれる環境や仲間には、自分自身を変える力があることを感じました。
私は、生徒会役員という貴重な体験をしています。友達や家族、先生、生徒会役員の仲間が、成功すれば共に喜び、課題が見つかれば、解決に向けて自分のことのように悩んでくれます。だからこそ私は、自分のできることを精一杯実践していくことができるのです。
今、私が心がけていきたいことは、「みんなで楽しむ」ということです。緊張していたり、怖がっていたりする人に無理に自分たちの思いを押しつけても、理解してはもらえません。楽しむ姿を見てもらい、私たちの学校を誰もが一緒に楽しめる空間にしていきたいのです。先日の生徒集会では、生徒会役員が手をつなぎ、校歌を楽しんで歌う姿を見てもらいました。その後の校歌斉唱では、これまでに聞いたことがないくらい、大きな歌声が体育館に響き渡りました。でも、これは第一歩です。安心して自分の声が出せる場所に。自分が自分でいられる場所に。誰もが自分を認め、互いの個性を活かせる環境づくりに、仲間と共に、私は挑戦していきます。
優秀賞(県教育長賞)
心のバリア
下関市立文洋中学校 3年 星野 香菜
「障害者差別解消法」
初めてこの言葉を耳にしたとき、私は衝撃を受けました。このような法律があること、にではありません。このような法律を作らなければならないほど、「障害者にとって生きづらい社会であった。」ということにです。
「バリアフリー」という言葉があるように、この世界には障害者にとって様々なバリアがあると思います。段差や様々な人が行きかう歩道。トイレや狭い道。私達にとって小さなことでも、障害者にとって大きな壁となるバリアはたくさんあるのではないでしょうか。体の障害や心の障害。様々な障害がある中、点字ブロックや手すり、段差にスロープを渡すなど、一度街を歩けば「誰もが等しく利用できる」ように、様々なアイディアがはりめぐらされた温かい街が広がっています。私はそんな温かい私達の街を、この国を、とても誇りに思います。
しかし、障害者にとって一番大きな壁となるのは、段差やトイレでしょうか。せまい道や歩道でしょうか。私はきっと、障害のある人に対して、差別や偏見などの気持ちを抱く、「心のバリア」だと思います。
かくいう私も、少し前までは、障害者に対して心のバリアを持っていました。
3年前まで私の通っていた小学校には、障害のある男の子がいました。「怖い。」それが私が彼に抱く印象でした。そんな彼はいつも一人ぼっち。まだまだ幼かった私には、クラスメイト達には、それが障害で、仕方のないことだ、と言われても納得できませんでした。小学校5年生の頃、悲しそうな目で去っていった彼を忘れた日はありません。
それから中学校に入って卓球を始め、市のスポーツクラブに入りました。世代の違う様々な人達との交流は、私のせまかった視野を広げるキッカケとなりました。クラブに入って半年経った頃、ボランティアの募集がかかり、障害者の方の卓球大会にお手伝いとして参加しました。そこで私が目にしたのは、自分らしくキラキラと輝きながら卓球をする、そんな障害者の方達でした。足がなくても、自分が勝ったかどうか分からなくても、キラキラした眩しい笑顔で、卓球というスポーツを純粋に楽しんでいる。そんな姿に私の心のバリアはどこかに消えていました。
「相手らしさ」を認めること。それがきっと障害のある人に対して私達が抱く心のバリアを取り除けるたった一つの方法だと思います。足がなくても、勝ったかどうか分からなくても、急に怒りだしても。それがその人の個性であり、私達はそれを認め支えあうべきである。そんな当たり前のことに、彼と、スポーツクラブを通じたボランティアのおかげで気づくことができました。
では、「相手らしさ」を認めるために、私にできることは何だろう、と考えたとき、他の人と比べ、差別しない、とか、その人の見た目や言動だけで、その人自身を判断しないなど、様々なことが挙げられます。その中で私は、「自分らしさ」を認めることが、一番の近道だと考えます。最近、「どうせ私はスポーツが苦手だから」とか「どうせ僕は成績が悪いから」という言葉をよく耳にします。「どうせ私なんて」と自分を、「自分らしさ」を認められないかぎり、「相手らしさ」を認めるのは難しいと思います。私自身、「自分らしさ」を認められず、転校していった彼の「彼らしさ」を認めることができなかったから。だからきっと、「自分らしさ」を認めることも、「相手らしさ」を認めることと同じ位大切だと思います。
「障害者差別解消法」
この法律のように、障害者への差別を解消するため、私達にできることは、「共に生きるすべての人が心のバリアから解放され、相手らしさ、そして自分らしさを認めあう」ということだと思います。そしてこれが、障害者の方々だけでなく、すべての人にとって生きやすい社会作りへとつながっていくのではないでしょうか。
バリアフリー化が進む中、大きなバリアとなっている「心のバリア」を取り除き、誰もが「今」を精一杯生きることができる。私にできることは小さいかもしれない。それでも私は一歩ふみだす。一人でも多くの人の心のバリアを取り除くために。
優秀賞(県民会議会長賞)
「学活の時間、僕に分けてくれませんか。」
周南市立菊川中学校 3年 西村 泰紀
「先生、僕は実現させたいことができました。協力してもらえませんか。」
それは、母が何気なく言ったこんな言葉がきっかけだった。「ねぇ、赤ちゃんの時にお父さんに抱っこしてもらったことや高い高いをしてもらったこと覚えてる?」母の手元のアルバムには、父の頭上で満面の笑みで宙を舞っている赤ちゃんの僕。そして父は2本の足でしっかりと立っていた。しかし悲しいことに僕の記憶の中では、幼い時から父は既に車椅子だった。原因は良い免疫細胞が悪い免疫細胞に間違われて攻撃を受けてしまう難しい病気。幸い命にかかわる病ではないが、何度も再発を繰り返し同じ箇所が傷つくことで父は足が不自由になってしまった。その度に入院や長期のリハビリを強いられ、僕は小学校の頃、母と2人で過ごすことが多かったのも納得できた。
今、僕達は家族が揃っていて幸せだ。しかし父が障害を負ってからは、簡単なことが難しくなり不自由さや不便さをたくさん抱えているとも正直思う。悲しいことや悔しいことも山ほどある。家族で気軽に旅行もできなくなった。楽しみにして出かける祭りや花火大会などへはなかなか行くことができない。昔人混みで迷惑そうにされたことは僕達の少しのトラウマでもある。スーパーでは利用されないかのように隅っこに置かれている車椅子。催し物のホールでは荷物運搬用の暗いエレベーターに車椅子ごと皆で載せられた。障害者用の駐車場から平気で出てくる元気な人を見かけると、父が車に乗っている時は余計に腹が立つ。バリアフリーといってもまだまだ言葉だけで広く伝わっていないと感じる。
僕が幼稚園の頃、お迎えは祖母の担当だった。父が自宅に戻ってからは、父も車椅子で一緒にやってきた。僕が車椅子の横に立つと、同じ位の背丈で並んでゆっくりと家に帰った。母は僕がいじめられたりしないだろうかと、いつもびくびくしながら僕達を見守っていた。母と出場することが多かった運動会はよそのお父さんに負けまいと母は全力を出し過ぎて僕をよく傷だらけにしたそうだ。そんな母が最後の運動会に父を出した。僕は少し嫌がったみたいだが、杖をついた父を先導する僕の写真がアルバムには収められている。トラックの外側では母の友達が大声で声援を送ってくれたと聞いた。その後母はさらけ出すことを知り、周りの人達に救われ励まされ、泣いて笑って強くなったと教えてくれた。
病気になって良かったと語った水泳の池江璃花子選手、父は決して同じようには言えないが、感謝する心は比べられない程前より大きくなったと口にしていた。僕の中学校では、先生方がいつも父のことを気にかけてくれる。それに、母の心配をよそに僕は今まで友達に父のことで嫌なことを言われたことは一度もない。僕達は本当に恵まれた家族だ。こんな家族のことを発信するのは僕の勇気が必要だったが、両親の何事にも負けない強い心に憧れている。僕も強くなりたい。
今年、中学最後の運動会が待っている。
「親子競技に父さんと出てみようと思う。」今度は自分の意思で言った。僕と父は凸凹なので、どんな風にできるか分からないけど、皆に相談してみよう。僕の我ままに皆をつきあわせることになるけど、皆なら分かってくれるはず、だから勇気を出してきちんと話をしてみようと思う。
誰もが分かりあえる世の中に、支え支えられる世の中になるように、心のバリアフリーがもっともっと広がるように願いながら……だから「先生、学活の時間、僕に分けてくれませんか。」
優良賞
世代を超えて共に生きる
萩市立萩東中学校 2年 濱�� そら
皆さんは、世代の違いによる考え方の違いに悩んだことはありませんか。
私には尊敬する祖母がいます。いつもひまわりの花のように明るく、優しい祖母を見て、そういう人になりたいと思っていました。ところがある日、そんな穏やかな祖母を怒らせてしまう出来事があったのです。
私は中学生になったとき、祖母の家に引っ越しました。祖母の家には、「くうちゃん」という猫がいました。もともと一人暮らしだった祖母は、その猫を本当の家族のように大切にしていました。私も大事に思っていました。しかしある日、「くうちゃん」が私の通学カバンや靴を排泄物で汚してしまったのです。突然の出来事に私は許せない気持ちになりました。しばらく「くうちゃん」をリビングから出し、入れないように閉め切りました。そのときのことです。私が朝ご飯を食べようとすると、祖母が起きてきて、強い口調で私に言いました。
「そんな動物をいじめるような子大嫌い。」
そう言われ、私は強いショックを受けました。祖母にそのような言葉を言われるのは初めてのことだったからです。
祖母は介護の仕事をしており、家に帰るのは遅いときが多いです。それでも、仕事に対して愚痴をこぼしたり、人のことを悪く言ったりしませんでした。そんな祖母が大好きで祖母と話したり出掛けたりするのを楽しみにしていました。まさに自慢の祖母だったのです。しかし、「くうちゃん」のことがあってから、祖母は私と口をきいてくれなくなりました。そのうち、私は祖母のことを悪く言うようになっていったのです。そして、「自分は悪くない」、「どうしてそれぐらいで怒るんだろう」と思うようになりました。
祖母との生活の中での心のすれ違い。それから約2週間程たったとき、父と母に、
「同じ家に住んでいる家族なのに、話もしないのはどうなの?」
と言われました。私は自分が悪いと言われているみたいで嫌でした。寂しくて嫌になりましたが、直接謝るのはとても勇気がいることでした。いろいろな理由を付け、謝ることを避けていたのです。けれども、これではいつまでもこのままだと思い、ある日、父と一緒に祖母の部屋に行くことにしました。
祖母は仕事から帰ってきたばかりでした。久しぶりに祖母の顔を見た私は、急に怖くなりました。それでも、私は祖母に自分の思いを知ってほしいと、思い切って話し始めると、「ばあちゃんね、そらから謝ってもらうの、待っとったんよ。そらには思いやりの気持ちを学んでほしかったんよ。ばあちゃん、ひどかったね。ごめんね。」
私は涙が溢れました。私が悪いのに、何度も謝る祖母。やはり祖母は相手思いの自慢の祖母だと改めて思いました。
祖母との出来事で、私は少し考え方が変わりました。当たり前のことですが、私たちは、生まれた年も生まれた場所も全てが違う、自分とは違う考え方をもつ人たちと出会います。人と人が出会えば、時には共感し、時にはすれ違います。しかし、ふれ合う中でこそ、お互いの配慮の足りないところに気付いたり、相手の本当の気持ちを理解したりできるのではないのでしょうか。
最近では、私たちはインターネットをよく使います。その中で、私は人と人との考え方の違いをよく感じることがあります。どんな人か分からないから簡単に傷つけるような言葉を使ってしまうことや、他の人の意見に流され、相手に自分の考え方を押しつけてしまうことがあります。顔が見えないコミュニケーション。それだから言えることもあるけれど、どこか思いやりを感じることが少なくなってきたように思います。本当にそれでいいのでしょうか。
相手の思いを考えずに傷つけたり、傷ついたりするのではなく、相手を思い、思われる温かい社会に。人との関わりやふれ合いは、生きる力を与えてくれます。祖母に教えてもらった、世代を超えた心の通い合い。思いを言葉にして伝えることによって生まれる、心のともしび。この世界がもっと温かい光で溢れる。そんな世界になるように、諦めず、人と関わり続けていきたいです。
優良賞
「仕事の意味」
下松市立久保中学校 3年 佐々木 成道
小学6年生の時に僕は先生から緑化委員に任命されました。そして、委員会でのみんなの後押しもあって、緑化委員長になりました。
緑化委員の仕事は、花を植えたり、そのための土を作ったりと、小学生だった僕にとっては、地味で面倒くさいものでした。中でも、特に嫌だったのは、毎日しなければいけない花の水やりです。水やりのために、僕の貴重な昼休みが短くなることが度々ありました。僕はグラウンドで楽しそうに遊んでいる友だちを横目で見ながら、「なんでこんな意味のない無駄な仕事なんかに時間を使わなくてはいけないんだ。」といつも思っていました。
そんな日が続いたある日、毎日靴を汚して帰る僕に気づいた母から「どうしたの。」と尋ねられました。僕は、「緑化委員の仕事で、靴に泥がついて汚れるんだ。」と答えました。さらに、「地味で意味のない仕事をするのは疲れるよ。」と付け加えました。すると母は、「意味がないことはないよ。きっとだれかの役に立っているんだから。」と言いました。僕は自分の考えが否定されたような気がして、むっとしました。それでその日はもうその話をしませんでした。
緑化委員長になって3ヶ月が過ぎた頃のことです。ある日、唐突に先生から「いつもありがとう。」と言われました。僕は何のことか分からずに「何のことですか。」と尋ねました。すると先生が、「佐々木さんたちがいつも花を育ててくれているおかげで、学校が明るくなっているよ。」と言われました。僕はこの時、「はっ」としました。意味も需要もないと思っていた活動が、人のためになっていると気付かされたからです。また、同時に母の言っていたことも思い出しました。「意味のない仕事はない」と。それからの僕は、緑化委員の仕事に張り合いが持てるようになりました。それと同時に、あれ程面倒くさいと感じていた仕事を楽しめるようになりました。そしてこの仕事に誇りがもてるようになったのです。
あれから2年たち、中学生になった僕は今、美化委員長として活動しています。花の水やりの他、学校内の環境整備がおもな仕事です。あいかわらず花の水やりはあります。でも、あの時仕事の意味に気付いたおかげで、嫌々ではなく毎日楽しく活動しています。
ある日のこと、いつものように水やりをしていた僕は、後輩から「先輩はこんな面倒くさい仕事、嫌じゃないんですか。」と聞かれました。僕は「誰かの役に立っていると思うと、やりがいを感じるし、嬉しくない?」と返しました。すると、後輩は、「確かにそうですね。やる意味があると考えたらやる気になりますね。」とにこやかに言いました。
僕は美化委員会の仕事を通して大切なことを学びました。意味のない仕事なんて存在しないということです。どんな活動も、やらされるという思いで嫌々やるとその活動の意味に気づけません。しかし、自分の意識を変えて、その活動が誰かの役に立つとか、それをもっとよりよくしようと考えて取り組むと楽しくなり、その仕事は大きな意味を持ってきます。仕事の意味は、人から与えられるものではなく、自分で気づくものでした。
もう一つ僕が気づいたことがあります。それは自分が楽しく活動すると、周りも楽しくなるということです。嫌々仕事をしている人を見るのは気持ちのよいものではありません。一生懸命楽しみながらやると、その空気は周りの人を包み込み、より楽しい雰囲気になります。
どんな仕事も、進んで一生懸命やるうちに楽しめるようになる、ということを僕は発見しました。美化委員長の任期はもうあと半年しかありません。みんなが明るく楽しい学校生活が送れるよう、僕は校内の環境美化に、楽しみながら一生懸命取り組んでいきます。
優良賞
「人とうまく付き合っていくには」
周南市立熊毛中学校 3年 岸田 帆乃佳
誰かの言葉や行動に、嬉しくなったり悲しくなったり、笑ったり泣いたりとそんな経験はありませんか。「言葉」というのは、自分の気持ちを相手に伝えることができる素晴らしいものです。しかし、言葉の選択を間違えると相手を傷つけたり簡単に嫌な気持ちにさせたりしてしまうこともできます。私が、そんな言葉と相手への伝わり方について考えるきっかけになった出来事を書こうと思います。
私は陸上競技部に所属しています。陸上は大会や記録会、合同練習などが多くあり、中学生や高校生、指導して下さる先生やコーチなど、幅広い年齢の人と関わる機会があります。そんな中で私が難しいなと感じたことは考え方の違う相手との関わり方です。
世の中には、様々な考え方をもった人がいます。3年生になって知り合いも増え、人間関係が広がった今、自分と考え方の違う人達ともうまく付き合っていかなければなりません。しかし、言葉を通じて互いの思いを伝え合い、理解し合うということは簡単なようで、すごく難しいことです。これまで、専門種目の練習をしていく中で自分と指導者との考え方の相違や、言葉が原因で分かり合えなかったことがあります。相手にうまく思いを伝えるにはどうすれば良いか…。それは、「言葉の使い方」です。
私が言葉の使い方について考えさせられたのは、職場体験です。私は小学校で1年生を担当させていただきました。約7歳も年の離れた子と接することは普段ないので、始めは少し戸惑いもありました。けれど、私はその2日間でたくさんのことを学び、成長することができました。子供達と接する中で一番大切だと思ったことは、一度相手の立場に立って物事を考えてから発言するということです。授業などで1年生が分からない問題があるとします。その説明をする時、先生は1年生が分かる言葉を選んで使い、ジェスチャーを加えたり例えを出したりしてできる限り丁寧に分かりやすくなるような工夫をされていました。一方的に自分の意見を言うのではなく、相手の目線に立ち自分の思いを具体的な言葉を使って表現することで、相手に伝わりやすくなるのではないでしょうか。
また、私が気になっていることは「言葉の捉え方」の違いです。よくライン等のSNSで、言葉の捉え方の違いや相手が見て辛くなるような発言をし、友達間でけんかが起きたり、最悪いじめにつながったりするという話を聞いたことはありませんか。私もつい先日、目上の方からラインで言われた言葉で深く落ち込んでしまうことがありました。冗談半分に言った一言かもしれません。人によっては軽く受け流すこともできるでしょう。SNSで簡単に、家にいながら文字の送受信によって便利に会話ができるようになった現在、より一層その使い方について考える必要があると思います。相手の表情や話し口調が全くわからない分、さらに慎重に言葉を選ぶべきではないでしょうか。
中学校の最高学年となり、下級生にアドバイスしたり自分の意見を言ったりすることも多くあります。そんな時、一度頭で、これで良いのかと確認してから発言する。「それができていないからダメ」と言うのではなく、「こうしたらもっと良くなる」など、言い方次第で相手の捉え方も変わると思います。
これからも、あらゆる考えの人達や異なる年齢の人達と関わってゆくことになります。その人、その場に合った適切な言葉を判断し、使える人になりたいです。
また、言葉による誤解を招いたり誰かを不快な気持ちにさせたりすることがないよう、一人一人が常に意識して毎日を過ごさなければなりません。そうすることでよりよい人間関係をつくることができると思います。
優良賞
「身近にある深刻な問題」
萩光塩学院中学校 3年 廣谷 月香
私は、新聞やテレビで自殺や殺人などのニュースをよく目にします。そのような悲しい事件を見ると、胸を痛めずにはいられなくなります。同時に、私は自殺のニュースを見る度に「自殺を止めてあげることはできなかったのか。」と思ってしまいます。最近、少しずつ日本の自殺者数が減ってきているようです。それはとても良いことなのですが、私が問題だと思うのは子供の自殺者が増えていることです。平成30年では568人も自殺しています。なぜ自ら命を絶つ悲劇が繰り返されているのでしょう。その理由として、学校関係の問題が挙げられ、勉強や不登校など問題は様々ですが、いじめを苦にした自殺が後を絶ちません。みんな私と同じくらいの年齢で、まだまだしたいことや将来の夢など、輝かしい未来が待っていたでしょう。それが、いじめによって奪われてしまうなんて絶対にあってはいけないと思います。だから、どうしたら身近で起きているこのような出来事を世の中から無くすことができるか考えてみました。
まずは、一人で悩まずに親に伝えて学校に相談することが大切だと思います。学校は、いじめにあっていることをはっきり伝えないと動いてはくれません。これは妹の件で良く分かりました。私の妹は、クラスでいじめを受けていました。毎日休まずに学校に行っていましたが、きっと一人で辛く悲しい思いをしていたのだと思います。妹は勇気を出して私達に伝えてくれたので、母が学校に相談しに行って改善されましたが、もし言っていなかったら今も辛い状態のままだったでしょう。
しかし、「親に心配をかけたくない」という気持ちから事実を言い出せない人も少なくないと思います。そのような人のために、いじめアンケートの配布やスクールカウンセラーの先生、24時間子どもSOSダイヤルなどがあります。自殺に追い込まれてしまった人達は、「誰も自分のことを助けてくれるはずがない」「皆に迷惑をかけるだけだ」というひどい孤立感や、「私なんかいないほうがいい」「生きていても仕方がない」といった無価値観を感じて危険な心理状態に陥ってしまうそうです。そこから救い出してあげるためには、話をじっくり聞いてあげることが一番だと思います。先日、私は素晴らしい記事を見つけました。それは、一人の女性によって女子高生が自殺を思いとどまったということです。その女性は、自殺しようとしている少女に声をかけ、親身に悩みを聞いてあげて抱きしめたそうです。見ず知らずの子にそこまでできるなんて、本当に尊敬しました。また、この女性のような人がもっと増えていってほしいと強く思いました。そして、私も困っている人や助けが必要な人にそっと手を差し伸べられる人になりたいと思います。
いじめをなくすことは、はっきり言って難しいことだと思います。いじめられた子の死ではいじめを止めることはできないし解決もできません。ですから、いじめられたら勇気を出して助けを求め、周りの人はいじめている人を見かけたら注意し、いじめられている子の力になってあげることが必要だと思います。
これから先も、いじめやいじめによる自殺を防ぐために、社会や私達一人一人に何ができるのか、それぞれが意識して過ごしていかなければならないのです。
優良賞
「守れない命はない」
周南市立福川中学校 2年 茅原 望愛
最近、頻繁にニュースから聞こえてくる言葉「児童虐待。」 「またか……。」と思う一方で、こんなに当たり前のように起こっていい出来事ではないはずなのに……と思う。児童虐待はなぜ減らないのか。ましてや、自分の血を分けたかけがえのない子供である。どうかしている。一番守ってくれるはずの親がひどい行為をするなんて、私は信じられない。
もし、自分の子がケガをしたり病気になったりしたら、どんな気持ちになるのだろうか。考えただけで切ないし、中学生の私でもこんな心配な気持ちになってしまうのに……。
私の母親はどうなんだろうと思った。私は特別なことがない限り、母とお風呂に入っている。中学生になる前から、自分にもいろいろと悩みも出てきて、親との口数も減ってきた。だから、このお風呂で一緒に過ごす時間は、母と唯一、内緒話のようなことができる貴重な時間になっている。
その時に、母にもどう思うか聞いてみたことがある。私は弟と年子で、母は働いていたので、育児は本当に大変だったそうだ。イライラしたことも毎日のようにあったそうだ。けれど、大変だということ以上に自分の子は大切で、育児から得るものがたくさんあったと言った。それを聞いて、育児をしているのはつらそうにも聞こえるが、そんなことは決してないと思った。親が子供を育てるということは、当たり前のことなのだ。
しかし、最近はその当たり前のことができなくなっているのだ。「なぜなのだろう」という思いがつのるばかりだった。
事件の中のいくつかは、児童相談所の介入があったにもかかわらず、もう少し早ければ助かった命もあったのにという思いだけがむなしく心に残ったものもある。
「自分の子供なんだから、何をしてもいい。」という人もいるけれど、子供も基本的人権を持つ一人の人間。そんなことを考えない親が増えてきているということは、現代社会の何かがおかしくなってきているのではないかという気がする。
私が母と話していて思ったのは、周りの協力が不可欠だということ。周りの人が手伝ってあげなくても、話を聞いてあげるだけで、大変さは軽減されるのではないか。虐待している親だけを責めても、この問題は解決しない気がする。その親がどうして虐待するようになったのか、親のほうにも手を差し延べないとダメだと思う。そして、人は頼ることも大切だと感じた。虐待というのはそんな簡単な問題ではないかもしれないけれど、初めから虐待しようと思って産む人はいないのではないかと思う。
今回、虐待についての記事を読んで思ったことは、今までは、虐待についてのニュースを見ていても可哀想にというぐらいにしか思っていなかった。母親がどんな気持ちで虐待をしているかなんて考えたことがなかった。
児童相談所に相談してもなかなか動いてくれないなどと聞くと腹が立つし、命を救うために、もっと必死になってほしい。そういう機関の数をもっと増やしてほしいと思った。
「アノネ
親は子供をみているつもりだけれど
子供はその親をみているんだな
親よりもきれいなよごれない眼でね」
これは、相田みつをさんの詩の一部だ。私は自分が大人になった時、恥じない大人でいたいと思う。
虐待という問題は決して軽々しいものではない。ましてや育児をしたことのない私がすべてを分かっているわけでもない。しかし、その行為は私にとって許しがたい行為だ。子育ては楽ではない。そんなことを改めて考えさせられた。
子供を産むだけでは、本当の意味の親にはなれない。子供たちの笑顔が奪われることのない明るい世界になってほしいと思う。「守れない命はない。」私達一人一人が周りに目を向け、気をつけることで守れる命があることを社会全体も知ってほしい。