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山口県青少年育成県民会議

 
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令和8年度少年の主張コンクール発表作文紹介(優良賞)
2026/10/07

「スマホのない生活が教えてくれたもの」
周南市立太華中学校 3年 垣田 真代

「LINE交換しよう。」
新学期友達に言われた。でも私はスマホを持っていない。
「ごめん、スマホ持ってないんだよね、うちは高校生になってからって決まりでね。」
と言うと、友達は驚いたような顔をして
「スマホがなかったら連絡とか不便でしょ。」
と心配してくれた。
 確かに、不便だと感じることはある。次の日の持ち物や部活動の予定変更はほとんどがLINEで回っているらしいが、私はそれを見ることができないため、スマホを持っている友達に電話で聞いたり、親のスマホを借りて連絡したりしないといけない。また、休み時間にSNSで流行っている動画やダンスの話で盛り上がっている時は話についていけず、聞いているだけになることもある。そんな時、スマホがあればみんなと同じ輪の中で話せるのに、と思っている。
 しかし、不便さを感じる一方で、持っていないからこそ得られているものがあることに私は気づいた。それは、多くの人がスマホの小さな画面の世界を見つめている時間、私は目の前に広がる現実の世界を体験できているということだ。例えば、店の前で順番を待っている時、多くの人がスマホの画面を見つめている。でもスマホを持っていない私は、店内をのぞいたり、景色を見たりして新しい発見をしている。家に帰ってからも同じだ。他の人は家に帰ってからもスマホを触っているのかもしれないが、私は家族と一緒にテニスをしたり、姉とピアノを連弾したり、歌を歌ったりしている。テニスボールを打った時の感覚や音がぴったり重なった時の気持ちはスマホでは味わえないものだと思う。
 さらに、スマホがないことの良さを強く感じたのはキャンプでの経験だ。私は中学生になってキャンプの団体に入り、よくキャンプに行くようになった。山の中にあるキャンプ場は電波が弱くスマホが使えない環境だった。そのため普段はスマホを触っている友達もそのときばかりは、スマホをしまっていた。最初はSNSを気にしていた様子の友達だったが、時間が経つにつれ、スマホのことを忘れて楽しんでいるように見えた。キャンプではみんなで協力してテントを張り、枝や枯れ葉を拾って火起こしをした。火を起こすことは思っていたよりも難しく、何回も失敗したが、どうしたら火がつくのかを話し合い試行錯誤を重ねた。その結果、工夫を重ねたことで火がついた。嬉しくてみんなで
「やった、やった〜」
と言い、喜んだのを覚えている。もし、スマホがあれば、火おこしの簡単な方法を調べてもっと早く成功できていたかもしれない。でも調べずに自分たちの頭で考え、工夫したからこそ、あの達成感があったのだと思う。
 夜になるとみんなで炎を囲んでキャンプファイヤーをした。夜のキャンプ場は静かでパチパチと薪が燃える音、虫の声、風の音が聞こえた。そのとき、私は友達と自然に学校のことや小さな悩みを話していた。直接話すことはスマホの文字とは違う温かさをもっているとその時思った。今思えば、スマホが使えない場所だったからこそ、あのキャンプは人と深く繋がり、心から楽しめたんだと思う。
 もちろん、私はスマホを触ることは悪いことだとは思わない。スマホは便利だと思う。でも、私が高校生になってスマホを使うようになっても、ただ画面を見つめるだけの人にはなりたくない。スマホがないという不便の中でも自分で楽しさを見つけたり、つくり出したりしたい。だからこそ、中学生である『今』、自分の目で見て、頭で考え、体で体験するこの時間を大切にしたい。
 便利な世の中だからこそ、本当に大切なことを見失わないようにすることが大切なのではないか。もし、スマホを触ることが当たり前になっている人がいるのならば、短い時間でもいいからスマホを使わない時間をつくってみてほしい。そうすることで、これまで気づかなかった新しい発見や楽しさに出会えるはずだ。スマホのない生活には楽しいことがたくさん隠れている。私は高校生になってスマホを使うようになってもスマホを使わない日をつくり、「スマホのない生活」を大切にしながら一日一日を大切に過ごしていきたい。


 

令和8年度少年の主張コンクール発表作文紹介(優良賞)
2026/10/07

「見えない宝物」
周南市立富田中学校 3年 清水 愛美

「人とのつながり」の価値は何だと思いますか。
 近年、インターネットやSNSの普及により、いつでも誰とでも簡単につながることができる一方で、顔を合わせて築く関係は希薄になっているとも言われています。そんな時代の中で、私は祖母の姿を通して、人とのつながりが持つ本当の意味や価値について深く考えるようになりました。
 私の祖母は、毎月開催される町内の出店で自分が育てた野菜を販売しています。祖母の野菜はどれも新鮮で、手間ひまをかけて育てられているのにもかかわらず、スーパーで売られているものよりもかなり安い値段で並べられていました。その様子を見て、私は正直、複雑な気持ちになりました。畑仕事は決して楽ではなく、祖母は腰を痛めることもあります。それなのに、なぜこんなに安く売るのだろうと疑問に思ったからです。
 私はあるとき、「そんなに安く売らなくてもいいんじゃない?もっと高くしても、きっとみんな買ってくれるよ」と祖母に伝えたことがあります。努力に見合った対価を受け取るのは当然のことだからです。しかし、祖母は「お金は十分もらっているよ」と穏やかに笑い、特に気にする様子もなく出店の準備を続けました。その言葉の意味を、そのときの私は十分に理解できていませんでした。
 転機となったのは、私が実際に出店を手伝った日のことでした。真夏の蒸し暑い日で、立っているだけでも汗がにじむような環境でしたが、祖母は変わらず店先に立ち続けていました。そこには、次々と地域の人たちが訪れていました。「この前の野菜、本当においしかったよ」「また楽しみにしてるね」など、温かい言葉が飛び交い、祖母は一人ひとりと丁寧に言葉を交わしていました。その表情はとても活き活きとしていて、心から会話を楽しんでいるように見えました。
 その光景を目にしたとき、私ははっとしました。祖母にとって、この出店は単に野菜を売る場ではなかったのです。地域の人と顔を合わせ、言葉を交わす、大切な時間でした。野菜の値段の安さは、地域の人への優しさであり、より多くの人に手に取ってもらいたいという祖母の思いやりだったと分かりました。祖母が「お金は十分もらっている」と言った理由は、ここにあったのだと気づきました。
 この経験を通して、私は「価値」というものの捉え方が大きく変わりました。それまでの私は、物事の価値を主に金額で判断していました。しかし、それは一面的な見方に過ぎなかったのです。祖母は、近所の人や家族との関わりをとても大切にしており、毎日の何気ない会話や助け合いの中に喜びを見出していました。その姿から、人とのつながりにはお金では測れない価値があることに気づかされました。たとえ金銭的な利益がなくても、誰かと笑顔を交わす時間や、「ありがとう」と感謝される瞬間には、それ以上の利益があるのではないかと思うようになりました。
 祖母は、私に「人との関わり」の大切さを教えてくれました。人と関わることで新しい考え方や発見に出会い、その経験が私を大きく成長させてくれたのだと感じます。私は、祖母から学んだ大切な思いを、今度は自分が、誰かに伝えていきたいと考えています。そのためには、まず自分自身が積極的に人と関わることが必要です。地域の行事に進んで参加したり、近所の人に自分からあいさつをしたり、家族との会話の時間を増やしたりするなど、身近なことから実践していきたいです。こうした小さな行動を積み重ねることで、人とのつながりを大切にできる人になりたいと思います。祖母から学んだこの気づきを、私はこれからの人生の中で、生かしていきたいです。
 現代社会では、効率や利益が重視されがちであり、人との関係もどこか打算的になりやすいです。しかし、本来の人とのつながりとは、もっと温かく、互いを支え合うものであるはずです。「人とのつながり」の価値は、お金で測ることができません。だからこそ、私たちはその価値を見過ごさず、日々の中で大切にしていくべきだと思います。
 祖母のように、安価・高価にとらわれず本当の価値を見つけることは、これからの時代にこそ必要なのではないでしょうか。


 

令和8年度少年の主張コンクール発表作文紹介(優良賞)
2026/10/07

「電子の海の幸」
田布施町立田布施中学校 3年 稲田 実咲

私が近頃、身近な問題に感じていることはSNS上での根拠のない情報。つまり、デマ情報である。近年、インターネットの普及により様々な人々がSNSから情報を手に入れ活用してきた。今やSNSは人の心を掴み、誰かの心の拠り所と化している。そんな環境の中で、私たちはSNS上のデマと戦わねばならない。デマ情報は災害時や芸能人のスキャンダル、医療的な問題など場も時も様々であるが、その中心にはSNSがある。
想像してみてほしい。あなたの住む地域で災害が起きたとしよう。すると人々はこれからの生活に不安を抱き、SNSへ同じ境遇の誰かを求めて電子の海をさ迷い始める。海の中には救助を求める声や被災した地域の様子、政府の動きなど様々な情報が転がっている。あなたも人々に混ざり、その情報という名の貝殻を拾いに行くはずだ。でも、貝にはアタリとハズレがある。空っぽな物もあれば、真珠が入っている物もあるかもしれない。また、貝ではない何かかもしれない。貝に手を伸ばす前に、もう一度考えてみてほしい。それは本当に貝なのか。「○○番地で家族が下敷きに、助けて。」その番地にはどんな家が、人が住んでいただろうか。それは本当に救助を求める声なのか。「○○市の津波が高い。このままだと○○町にも到達するだろう。」後ろに映る住宅がゆがんで見えないだろうか。それは本当に誰かが現地で撮影したものだろうか。「支援がまるで来ない。政治家は何をやっているんだ。」先刻、あなたは見たはずだ。あなたが毎朝見ていたニュース番組の公式アカウントを。そこに映る政界のリーダーは、今あなたのために体を動かしていることだろう。私達の代表と、顔も分からぬ誰か、信頼できるのはどっちだ。
さて、もう一度、あなたが信用できる貝に手を伸ばそう。中に入っていた美しい真珠はどうか頭にしまってほしい。それがこの先、あなたを助ける正しい情報だからだ。また、これらは災害だけに言えることではない。広がったデマ情報のせいで数多の偏見を押しつけられ、仕事をなくした芸能人。病と共に流行する差別で苦しむ人。どれもこれも小さなウソから始まる大きな犯罪だ。そして、人の手によりこの犯罪に加担させられているモノがある。AIだ。本来AIは誰もが効率良く知識と技術を手に入れるために作られた。ただし、誰かがAIで作ったデマ情報はSNS上で瞬く間に拡散される。他国の文化を捏造するものや、犬や猫が乱雑に扱われている動画。日に日に精度を上げるAIの技術など今や素人の目では見抜くことが困難だ。手触りのよい貝でも本物だとは限らない。中身が真珠であることを確認するまで懐にしまってはならないのだ。
私が初めて電子の海に飛び込んだあの日、情報というのはこれ程までに頼りないモノだっただろうか。私達のような子供は毎日が迷路の中にある。正しい道を自分なりに見つけ出して大人というゴールを目指すのだ。だからこそ、まだゴールも見つからないこの迷路にデマ情報という障害物ばかり増えるのは辛く、悲しい。沢山の貝殻が落ちているSNSという迷宮の中で、私達はその一つ一つと戦っている。やっと見つけた貝が本物でなかった時の喪失感をあなたは分かってくれるだろうか。それでも私達は貝を求め続ける。情報を選別する自分自身の目と耳を信じて、時に友や家族を頼りながら。全ては次の世代に正しい貝を与えるため。そして自分の貝達を汚さないため。負けたくなどないのだ。デマ情報に。


 

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草原
やまぐち子育て連盟 http://yamaguchi-kosodate.net
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