「言葉の強さ」
下松市立久保中学校 3年 三浦 仁太
皆さんには、両親はいますか。私の両親は、私が小学四年生の頃に離婚しました。今は、父と兄と三人で暮らしています。今時、親が離婚するのは珍しくありません。しかし、小学生の私にとって、それは受けいれがたいことでした。いえ、信じられませんでした。「これは何かの間違いだ。そうだ、きっとこれはドッキリなんだ。」とずっと心の中で唱えていました。そうしないと、自分が壊れてしまいそうで怖かったからです。しかし、普段は全く泣かない兄が泣いているのを見て、「あっ、これは間違いでもドッキリでもないんだ。本当なんだ。」と分かると同時に、いろいろな気持ちがあふれ出しました。両親が離婚することへの悲しみ、この家庭に生まれたことへの憎しみ、他の平和な家庭への妬みなど、全部挙げたらきりがありません。小学生の私には、この現実を受け止めることが本当に辛かったです。
母が家を出る日のことは、今でも忘れられません。母は、
「お仕事、行ってくるね。夜勤だから、明日の朝まで帰れないの。お留守番頑張ってね。」と私に言いました。母は、私が不安にならないように、嘘をついたのです。しかし私は母がもう家に帰ってこないことを知っていました。けれども、いや、だからこそ、私は笑顔で、
「いってらっしゃい。」
と言いました。その日の夜、私は分かっているにも関わらず、母が帰ってくるという僅かな希望を抱いて眠りました。しかし、朝起きても母は帰ってきていませんでした。
私は絶望しました。その日から、私は生きる光がなくなったように感じました。学校では両親の離婚について一切触れず、「いつも通り」を演じていました。少しでも自分の感情を出すと、学校のみんなを妬む気持ちが爆発してしまいそうだったからです。その頃から、私は、心の中の思いを押し殺し、上から嘘を塗りたくることが普通になってしまいました。思いを押し殺すことによる疲れやストレスさえも押し殺す、そんな無限ループにはまってしまいましたが、何も感じることはありませんでした。
ある日、学校から帰る途中、友達が不意に
「大丈夫?」
と声をかけてきました。どうやら、疲れやストレスが蓄積されすぎて表に出てしまったようです。すぐにそれらを無理やり押し殺して、「大丈夫だよ」と言おうとする前に、彼は、「辛いことがあったら何でも相談してね。だって僕たち、友達でしょ。」
と言いました。彼は何気なく言ったのかもしれません。でも、私の心には一筋の光が差し込み、それまでのもやもやがパアッと晴れたように感じました。本当の思いをひた隠しにしていた私の心は、実は誰かの優しい一言を待ち望んでいたのだと気付きました。
その日から私は、自分の気持ちに嘘をつくことや、人を妬むことを止めました。私は再び、より多くの友達と笑顔で会話することができるようになりました。あのときの彼の一言が、私にもう一度、生きる光を灯してくれたのです。
私は、今、生徒会長を務めています。友達は「仁太、仁太」と気軽に声をかけてくれます。「仁太ならできるじゃろー」とも言ってくれます。こうして、今、私が楽しく生活できているのも、全ては彼がかけてくれた言葉のおかげです。次は私の番です。彼が私を救ってくれたように、今度は私が、何かに困ったり悩んだりしている人を救いたいです。そして、伝えたいです。「自分の気持ちに嘘をつかないで。苦しいときは苦しいと言ったほうがいいよ。私があなたの思いを受け止めるから。」と。