 コンクール出場者のみなさん |
山口県青少年育成県民会議では、中学生が学校生活や日常生活を通じて日頃考えていること、同世代や大人に訴えたいことを、自分の言葉でまとめ、その意見を発表する機会を提供することにより、広く県民の皆様に少年に対する理解を深めていただき、青少年の健全育成に資することを目的として「少年の主張コンクール」を行っています。
平成23年度の山口県大会は、平成23年7月16日(土)に山口市の山口県総合保健会館において、「家庭の日」講演会と一緒に開催しました。
書類選考による1次審査、2次審査を通過した8名の生徒の皆さんに発表していただきました。
審査の結果、最優秀者1名、優秀者2名、優良者5名を次のとおり決定しましたので、作品とともに掲載します。
☆☆☆【最優秀賞】(県知事賞)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「私たちに出来ること」
柳井市立柳井西中学校 3年 河村 蘭 さん
3月11日といえば、日本人の誰もが、あの恐ろしい出来事を思い浮かべる事でしょう。
そう、東日本大震災です。いつも私たちを守り、育んできた大自然が、急にキバを向き、容赦なく、東日本を襲ってきたのです。
あの日の午後、私は学校から帰ってきて、いつものようにテレビをつけました。すると、その途端、今までに見た事もないような、地震や津波の悲惨な映像が目に飛びこんできました。(これは本当に、今、日本で起こっている事なの・・・?)と、あ然としてしまいました。流されていく人や物、それに向かって泣き叫ぶ人々・・・まるで映画のワンシーンを見ているかのようでした。連日のニュースで流される、東日本の悲惨な状況に、心は痛み、何度も目をそむけたくなりました。
でも、日本国民としてこの事実から逃げてはいけないと感じ、テレビやインターネットを通し、なるべく正確な情報をつかもうと努力しました。すると、震災直後は悲惨な映像だけが目につきましたが、しばらくすると、人と人が思いやり、助け合う、そんな心温まる映像も見かけるようになってきました。その中でも、最も印象的だったのは、私と同じ中学生が、自分も被害にあっているにも関わらず、炊きだしや親を失った子供の世話などのボランティア活動を、笑顔で行っている姿でした。それを見て私は「この東日本大震災を、テレビの向こう側の出来事として考えてもいいのだろうか、こんな風に頑張ってる人がいるのに、何もしなくていいのだろうか。」と、いてもたってもいられなくなり、実践できるいくつかの事を、実行に移す事にしました。
まずは、学校募金や街頭募金に、積極的に参加しました。買い物などに行った際、ほしい物を一つ、我慢して、そのお金を募金にまわすなどの工夫もしました。そして、部屋やテレビの電気のつけっぱなしをやめ、こまめに消すなどの節電を心がけました。こうして、私が取り組んだささやかな行動は、東京電力が行った計画停電や、ある企業が贈った百億円という莫大な募金に比べれば、ほんのわずかな事なのでしょう。でも国民一人一人がそれらを行うと、どうなるでしょうか。やがて大きな力となり、日本が変わっていくのではないのでしょうか。
さらに私は、節電や募金以外にも、もう一つある行動を起こしました。それは、学年全体による合唱です。私たち柳井西中学校の3年生は、寺井さんという方が被災者のために作られた「つながっているよ」という曲を、4部合唱で歌いました。歌詞の中の「つながっているよ心と心は」という言葉に、私はとても共感しました。性別や年齢、国籍などは関係なく、同じ一人の人間として、助け合い、思いやる―そんな心のつながりが、今の日本を支えている事を、この合唱を通して学ぶ事が出来ました。実際に被災地に行って、直接に援助は出来ないけれど、遠く離れた山口県にいても、同じ日本人として、共に悩み、そして励ましていきたいという思いで、この合唱に取り組みました。
ふとした瞬間、思う事があります。それは、私がこうしてテレビを見て笑っている時、いったいどれだけの人が苦しみ、不安になっているのだろう―こうしてお腹いっぱいになっている時、いったいどれだけの人がお腹をすかせているのだろう―そんな、とりとめのない事です。電気があって食べ物がある。当たり前の事のようで、当たり前ではない。とても幸せな事なのだという事が、今回の大震災で本当によく分かりました。
この東日本大震災で亡くなった人は、行方不明者をふくめ2万人以上にのぼるといわれています。その方々の、もっと生きたくても生きられなかった想いを考えると胸がはりさけそうになります。残念ながら現代の日本には、自分の命を粗末にあつかう人が少なくないのが現状です。実際、1年間で、自ら命をたつ人の数は、震災での死者を上回る3万人といわれています。この事実は、私に命の重さについて一歩深く考えさせてくれました。
今回の震災で、互いに想い助け合う日本人の姿は、世界の人々に大きな感動を与えました。略奪等の暴動もなく、むしろ相手の事を考え、必死に行動する姿は、同じ日本人として誇らしく思えました。この日本人の良さを引き継いでいく事が、若い世代の私たちの使命だと感じました。
東日本大震災が私に教えてくれたことは、「命の重さ」「小さな事でも、実行にうつす事の大切さ」そして「日本人としての誇りを忘れない事」です。それらを、自分の立場で実践できた時、本当の意味の「日本の復興」に貢献した事になるのではないでしょうか。
☆☆☆【優秀賞】(県教育長賞)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「すべての人の普通へ」
防府市立右田中学校 3年 木戸 寛捺 さん
普通とはなんでしょうか。『普通』という言葉を聞く度に、いつも思います。普通、ふつう、フツウ。普通とは一体なんでしょうか。
普通という言葉を耳にします。そういう時、それは他と比べたときにあまり変わらないという意味で使われています。私はそこで思います。ある人が普通さ、と話し始めた。その時に、その人の話す事柄が果たしてすべての人にとって『普通』と言えるでしょうか。
私は友達が普通と思っていることが私にとって普通ではない、ということをよく体験します。例えば、味付けです。給食を食べていて、友達が
「これ、辛すぎるね。」
と言っても、私にはそれが普通に感じられることがあります。その味付けは私にとっては普通だったのですが、友達にとっては普通とは違う味付けだったのです。
このような体験の一つに父が障碍をもっていることに関連することがあります。私の父は、目が見えません。耳も、よく聞こえません。だから、それについて普段から配慮をします。ドアはきちんと閉めるか全部開けるかで、中途半端にはあけない。床には物を出来るだけ置かない。父が使うものは決まった位置におく。大きな声でゆっくり話す。そのようなことを意識的にします。それが、私にとって普通だからです。でもそれを私が友達に普通さ、と話したら、納得する人がどれだけいるか分かりません。この私の普通は、多くの人の普通とは異なるのです。だからといってどちらかの普通は間違いで、どちらかの普通は正しいということもありません。ただ、価値観が違うだけなのです。
しかし、障碍のある人への普通が本当にそれでいいのでしょうか。
バリアフリーということが言われます。障碍のある人や高齢者が、一般社会の中で安全・快適に暮らせるよう、身体的、精神的、そして社会的なバリアを取り除こうという考え方です。私の中学校の体育館は、数年前に建て替わりました。だから、車椅子用のスロープがついています。バリアフリーです。ですが、よく見るとそれが本当の意味でバリアフリーではないことに気がつきます。スロープの先には清掃道具入れやモップ立て、傘立てなどがあるのです。今、スロープを利用する人がいない私の学校ではそれでいいのかもしれません。
では、車椅子の人が学校に来て体育館に入ろうとする。するとスロープがあり、『良かった。』と思ってのぼっていったら置いてあるもののせいで入れない。それでもいいのでしょうか。障碍のある方が不便な思いをするバリアフリーが『普通』でいいのでしょうか。私はダメだと思います。
障碍のある方が安全・快適なバリアフリーに必要なことは二つ。一つは物理的なバリアを取り除くこと。そのためには段差をなくすスロープなどが必要です。しかし、そこでスロープの上に物を置いてしまっては意味がありません。ここで、心のバリアを取り除くことが必要となります。自分達のことだけを見るのではなく、障碍のある方の立場に立って考えてみましょう。そうすれば、おのずと本当の意味でのバリアフリーが完成するはずです。
そして、私はこのようにわざわざ考えるのではなく、障碍のある人への気配りがごく普通にできる世界になってほしいと思います。人と価値観の違うことは確かにあります。ですが、障碍のある方への気配りはすべての人にとって『特別なこと』ではなく『普通なこと』であってほしいのです。
普通とはなんでしょうか。私は答えます。普通とは、全ての人が考えずとも自然に思えることであると。
☆☆☆【優秀賞】(県民会議会長賞)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「今、伝えたい大切なこと」
周南市立須々万中学校 3年 山本 雪乃 さん
「人間は一人では生きていけない」
この言葉は私の母がよく口にします。小さいころのわたしにはその言葉を理解することができず、人は一人で生きているのだ思い込んでいました。しかし、大きくなるに従ってその言葉の意味が分かってきた気がします。そのことを一番わたしに教えてくれた入院生活でした。
わたしは中学校2年生のときに入院しました。学校で急にお腹が痛くなり、父につれられてそのまま病院へ。生まれてから大きなけがや病気をしたことがなかったわたしは、とても不安でした。その日は姉の受験日で母と姉がそばにいてくれなかったこともあると思います。しかし、母はわたしが入院したと聞くと、すぐに病院にかけつけてくれました。母がいうには、姉が「早く行ってあげて。」と言ってくれたそうです。姉も初めて行く場所で受験だったので、不安でいっぱいだっただろうにな・・・と思うと胸があつくなりました。入院中、わたしが病室にひとりきりになることは一度もありませんでした。父と母が毎日交代ごう代に来てくれたからです。また検査のときにはずっと姉がそばにいてくれました。このとき素直に感謝の気持ちを伝えることは恥ずかしくてできませんでしたが、家族のありがたみが心にしみました。看護師さんや担当の先生も、院内で出会うたびに笑顔でやさしい言葉をかけてくださり、わたしが元気になっていく姿を見て、我が子のことのように心から喜んでくださいました。家族も含め、みなさんの支えがあったからこそ頑張ることができたと思います。1ヶ月という短い期間でしたが、たくさんの人と話し、ふれ合うことによって、「家族」や「仲間」というとても大切なことを学ぶことができました。
わたしは「仲間」の原点となるのは「家族」だと思います。「家族」は一生離れることはありません。無理なことや、わがままなことを言っても取り返しが聞くし、許してもらえます。だから、家族がいることが当たり前となってきています。けれど本当にあるべき姿は、お互いが足りないところを補い合い、助け合うものだと思います。思春期になると「家族なんか・・・」と思ってしまいがちです。しかし、絶対に一人で生きているという考えは持たないでほしいです。普通に日々の生活を送れているのは、「家族」という仲間が自分を支えてくれているからなのです。それは家族だけではありません。学校で楽しく過ごせるのは「クラス・学年」の仲間が、地域で何不自由なく過ごせるのは、地域の仲間がわたしたちを支え、受け入れてくれているから。
こうしたかけがえのない仲間が自分の周りにいることに気付き、大切にすることができれば、楽しい日々を送ることができると思います。
今、日本は震災により、「自分は一人になってしまった」という思いの人もいると思います。確かに、被災地に行って話しをしたり直接手をさしのべるということは困難です。
しかし、わたしたちも同じ人間で、同じ日本に住んでいる「仲間」なのです。募金をつのったり寄付をしたりして、仲間を支えようと必死に頑張っています。一人の力はたかが知れていますが、わたしたちには、たくさんの仲間がいます。このことが被災地の方に届くといいなと思います。
そして、これからは、わたしが「人間は一人では生きていけない」という言葉を大切にして、少しでも多くの人に「家族」そして、「仲間」のありがたさを伝えていきたいです。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「この町だからこそ知ることができた」
阿武町立福賀中学校 3年 石川 真理奈 さん
この町で育ってもう少しで15年が経とうとしています。私が今暮らしている所は、とても田舎で信号機もなく、お店もあまりないので不便な事もたくさんあります。ですが、とても自然豊で地域の方々も温かく、私はこの町が大好きです。ここで育ったからこそ体験出来た事、学んだ事がたくさんあります。その中で、私が一番誇りに思うのは、伝統のつながりです。私達の学校では、神楽、鯉のぼり立てといった伝統的な行事が多いです。
神楽という伝統芸能は、20数年前から続いています。大蛇、四神という二つの演目があり、太鼓や笛などの楽器に合わせて舞を舞います。大蛇の方は、物語にもなっています。小学生の頃から神楽を見てきて、地域の方々も神楽を毎年楽しみにされていました。中学生になり、神楽に初挑戦しました。学年を積み重ねるごとに先輩から受け継いだものを今度は、私達が後輩に教えていく番になりました。やはり責任の重さが全々違っています。これも貴重な体験です。
神楽を披露すると、地域の皆さんはいつも大きな拍手をくれます。その拍手がうれしくてまた次へつなげていきたい、もっといいものを披露したいと心から思います。練習のときでは分からなかった事が、神楽披露を通して分かったような気がします。人の力は人をこんなにも動かすのだと思い、現在、練習真っ最中なので皆で力を合わせて披露に向けて頑張りたいと思います。
鯉のぼり立ては、今年で18回目になります。100匹以上の鯉のぼりを川沿いに立てていきます。その景色は何度見てもきれいであきることはありません。私にとっては今年で最後の鯉のぼり立てとなりました。中学校生活の思い出の一つです。
ではなぜ、何のために、神楽や鯉のぼり立てといった伝統行事を続けているのかと考えたとき思ったのが、伝統はつなげていくから伝統だということです。今までつなげてきたものをこれからも守り続けたい、そんな気持ちが今もこれからも続いていくからです。そして、これらの行事はどちらも地域の皆さんの協力なしでは出来ません。その感謝の気持ちも同時に続いていきます。伝統をつなげていく意味は必ずあります。その意味をこれらの体験で見つけ、感じていくことが大切だと思います。
伝統が残っているというのは、今となっては珍しいことだと思います。今、現在は流行の物がすごく注目を浴び、人気になっていきます。ですが、その人気もいつかは消えていく日が来ると思います。しかし伝統は自分たちが残そうという意志があれば、続いていくのではないでしょうか。これから生徒の人数も減っていきます。それはどうしようも出来ない事です。それでも、私達はやれる限りやりたいです。それが伝統を残すという、私達にとっての大きな誇りです。
私は中学3年生なので、中学校生活最後の年になります。何をするにも最後になってきます。小学生から今までを思い返してみました。その時は、何も思わなかったけれど、一つ一つの事が大切な思い出です。この15年間は、私の人生のほんの少しかもしれないけれど私にとっては、とても大きな事で、今まで過ごした日々はもう二度と体験できないかけがえのない時間だったのだと改めて思いました。
この時をこの町で過ごせて、伝統という大切な事を知れて本当によかったです。これから卒業するまでの学校生活1秒1秒を大切に過ごせていけるようにしたいです。
卒業したら、この町を離れることになってしまうけれど、ふるさとで学んだ事や思い出を胸に、将来、前へ前へと進んでいきたいです。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「お年寄りの大切さ」
下関市立豊田西中学校 3年 中川 裕樹 さん
ぼくは、小学生のころバス通学でした。いつものようにバスに乗ったけれど乗客が多くギリギリですわれました。次の、バス停で一人のお年寄りが乗車してきました。ぼくは、席をかわろうと思っていましたが、声がまったく出ませんでした。情けないなあと思いました。すると、後ろにいた一人の高校生が「どうぞ」という一言で席をゆずりました。ぼくは、かっこいいなあと思いその時から、ぼくは「お年寄りの大切さ」について考えるようになりました。みなさんは、自分のおばあちゃん・おじいちゃんだけでなく身の周りのお年寄りを大切にしていますか?最近では、小さいころはお年寄りと話をしたりする人も多いけれど中学生・高校生になると話も全然しないし独立をしてお年寄りを一人にさせる事が多くなっています。仕方がないかもしれないけれどぼくは、まちがっていると思います。例えば電車やバスでお年寄りが立っているのに座っているのがほとんど若者ばかりなのにびっくりしました。さらに、一人高校生がおりて「やっとお年寄りが座れる」と思って安心していたら、近くにいる男子高校生がお年寄りをさしおいて自分が座りました。それだけでもおどろいたのに周りにいる人はみんな「見て見ぬふり」をしていました。でも、ぼくもその人に何も言えないまま時間が過ぎていきました。
ところで、みなさんは老人ホームにあずけられたお年寄りの本当の気持ちを考えたことがありますか?ぼくは、文化祭でボランティアサークルというのに入り2年連続で2日間「豊田ほたるホーム」という老人ホームへボランティア活動としていきました。ぼくたちがいったとたんに、笑顔でお年寄りの人たちがむかえてくださいました。でも、お話しの時間に誰もが口にしたのは、少しでも長く家にいたいという一言でした。ぼくは、それを聞いて心が傷みました。その瞬間から少しでも長く、そしてやさしくしてあげたいという気持ちになりました。でも、その気持ちを表に出さないのがお年寄りのやさしさだと実感できました。
最後に、エレベーターについてですが、大きなお店なんかに行くと、エレベーターがいつも満員です。だからエレベーターではなくて階段でのぼりました。すると、お年寄りが休憩をしながらのぼっていました。ぼくは、まちがっていると思います。エレベーターはお年寄りや障害者や小さい子供を抱いている人などこういう階段ではなかなかのぼれない人専用にしたほうがいいと思います。こういうことは、みんなが協力、そして実行していかないと絶対に無理なことです。日本が一つにならないといけません。お年寄りは、自分一人で出来ることと出来ないことがあります。そういうお年寄りが一人暮らしをしてなんでも一人でやらないといけません。ぼくは、絶対に無理だと思います。絶対に周りの世話なしでは生きていけません。こういった人達を増やさないためにも、若者が立ち上がらないといけないと思います。そして、高齢化社会を救っていかないといけません。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「希望−のぞみ−」
宇部市立桃山中学校 3年 坂東 遙 さん
「聞こえない音を聞きたいとは思わない。聞こえないこと、それが私の個性であり才能だから。」
これは、難聴者であるフランスの女優、エマニュエル・ラボリの言葉です。
世界には、音や声が聞こえる人と聞こえない人、目の前の景色が見える人と見えない人、自分の足で歩ける人もいれば、歩けない人もいます。
私たちにできることが障がい者にできない、それはあって当たり前のことです。そして障がいとは、その人の一つの個性なのです。
私の妹は障がい者です。生まれてすぐ、心臓と脳に病気があることがわかりました。今でも、脳梗塞という病気をもっているので、右脳の機能が失われています。そのため、身体の半分が麻痺していて上手く言葉が話せず、右目の視力がほとんどありません。自分の足で歩くこともできないので、小さい頃からずっと車いすに乗っています。私たちが普段当たり前のようにできていることが、私の妹にとってはとても難しいことなのです。
そんな妹をもっている私は、今の社会を見て思うことがたくさんあります。それは、障がい者に対する偏見です。
私が小学生のとき、車いすに乗った妹と街を歩いていると、小さい女の子が近寄ってきて、車いすに触ってきました。車いすは小さい子にとって珍しい乗りものです。だから私は、女の子が車いすを通して妹と仲良くなってくれるのかな、と期待していました。
しかし、それを見ていた女の子のお母さんが、「触っちゃいけんよ」と注意しました。そのお母さんの言った言葉は、「妹への気配り」だったのかもしれません。でも、私にとってはとても胸が痛かったです。なぜなら、妹に近寄ってきてくれた人が、その一言で遠ざかって行ったからです。その時の気持ちは、今でも忘れることができません。
障がい者にとって街でいちばん困ること。それは、「障害」によって起因するものでなく、「まわりの人の反応」なのです。私は、障がい者を腫れもの扱いすること、そして障がい者というだけで過剰な接し方をすること、それ自体が差別、偏見だと思います。
自分の足で歩けないから車いすに乗っている。それは、目が悪いから眼鏡をかけていることと変わらないことではないでしょうか。
同時に私はこのとき、障がい者を受け入れてもらえないのかな、と思いました。これまでは、障がい者と呼ばれる人たちは、あまり外出することがなく、街で見かけることが珍しかったため、障がい者を「別者」だと感じることが少なくなかったのです。だから多くの人が障がい者を見たとき、受け入れることができず、どうしても偏った見方をしてしまうのだと思います。だけど、同じ社会を生きて行く限り、助け合い、差別をなくしていく必要があります。そのためには、「障がい者の本当の声」をもっと多くの人に伝えなければいけません。
障がい者が求めていることとは、何か力を貸してみせることや特別な接し方をすること、そんなことではなく、私たちが障がい者と対等の人間関係を築くことなのです。そう心がけることで例えば、体の不自由な人が大きい荷物を持っているとき、自然に「持ちましょうか」ではなく「何か手伝うことはありませんか」と声がかけられるはずです。そして、「障がい者だからできない」ではなく「できるように支援する」そんな考えをもってください。
私の妹にできないこと、私の妹にしかできないこと。私は今までにそれをたくさん見つけてきました。だから、周りの人よりもゆっくりと、確実に成長している妹が、将来自活できるように、やさしく見守っていこうと考えています。そして、障がい者である妹の希望(のぞみ)から決して目をそらさず、ひとりの妹として接していきます。妹が心から思い描く希望を叶えるためのサポートをしていきたい。そう思っています。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「あいさつって・・・」
周南市立和田中学校 2年 村上 知花 さん
「今の人はなぜあいさつをしないのか・・・。」
私は、周りを山に囲まれ、川のせせらぎが教室からも聞こえ、秋になると田んぼの稲が風にそよぐ、そんなのどかな所に住んでいる。学校の行き帰り、近所のおじさんおばさん、日ごろ顔を合わせない人達など、すれ違う人すべてにあいさつをします。また、あいさつをした人すべてがあいさつを返してくれます。
しかし、塾の前の道では少々様子が違います。私は中学生になってから、車で20分くらいかかる街の塾へ行っているのですが、塾の講義が終わり、入口の前の道で母の迎えを待っていた時のこと、私の前を小さな女の子とそのお母さんらしき人が通りました。私は、いつもどうりに、「こんにちは」とあいさつをしました。すると、そのお母さんは下を向き、女の子は不思議そうに私を見てきたのです。「何がおかしいんだ――。」と思わず叫びたくなりました。
私が住んでいる和田というところであれば、私が「こんにちは」とあいさつすれば、「こんにちは」だけでなく「○○ちゃん、いつも元気じゃね。」など、さらに一言二言つながって言葉が返ってくるのは当たり前なのに・・・。
あいさつをされても、人にあいさつを返さない人は、この親子の他にもいます。ウォーキングに一生懸命で、イヤホンをして歩いているので人の声が聞き取れない人、にぎやかに行き帰りする小学生、世間話に花が咲き、人が通りすぎたのも気に留めないおばさま軍団・・・。実は、なかなかスムーズにあいさつを返してくれる人はいません。
私は小さい頃からたくさんの人に、「あいさつをしなさいよ。」と教わってきました。それは、私だけ?違うでしょう?道のところどころ、公園の入り口や柵、様々な施設の決まりなど、あらゆる所に「あいさつをしよう」の標語や看板はあります。一体、日本はどうなっているのでしょうか?
そんなこんなで、結局私はあいさつをしたのに恥ずかしい気分になることが多いのです。そのため、最近は和田ぐらいしかあいさつをしなくなりました。
そもそも、なぜ最近の人はあいさつをあまりしないのか?あいさつされてもなかなか返さないのでしょう?
近くであまりあいさつをしていない人って誰だろう・・・。そうだ、ということで、父に理由を聞いてみました。父は、会話は普通にいや普通以上にする時もあるのだけれど、あいさつはあまりしないのです。そこで、父に聞くと、「めんどうじゃから。」と一言。つまり、必要だと感じていないようなのです。父は、「子供はあいさつしろって言われるけど、父さんはもう大人じゃけえうるさく言われん。っていうより、ほとんどの大人はあいさつせんじゃろう。」と言い、母は「今の子はあいさつをしないのが普通と思っているから、あいさつしてくれると、かあさんは驚くけどね。」と言います。
今は大人も子供もあいさつしないのが当たり前の時代なのか?本当にそれでいいのか?それではおかしいです。あいさつは、相手に関心をもっているからこそできるものです。また、自分を相手に対して表現したいと思う気持ちがないとできないものです。言い換えれば、人が人同士でつながり合うための重要なコミュニケーションの手段なのです。
私は、大人があいさつしないから、子供もあいさつしないのだと思います。大人ができないことは、子供もできません。だから、父のようにあいさつに関心のない大人がしっかりあいさつすれば、子供もあいさつすると思います。でも、ちょっとずつ、少しずつ気をつければ、今よりもよくなると思います。
私はこれからもあいさつをしていきます。
☆☆☆【優良賞】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「感謝の言葉が言えたなら」
岩国市立通津中学校 3年 宮原 利佳 さん
私は最近よく母親とけんかになることがとても多い。その理由は本当に小さなことが原因なのだ。私が出したものをそのままにしていたり、言われたことにすぐ行動しないことに母親はいつも腹を立てている。自分でも、いけないな、と分かっているのに私はいつも素直になれないでいる。もちろん、けんかの原因をつくってるのは、ほとんど私。そのせいで最近、母親の笑った顔を見ていないな、と思う。なんで自分が悪いと分かっているのに素直に聞けないのだろう。私はそういう自分が、時々いやになるときがある。
ある日、こんなことがおこった。母親が、ご飯できたよ。と私に言ってくれたのにもかかわらず私は、つい携帯電話のメールに夢中になっていて、母親の声なんて全く耳に入っていなかった。そして、ついにその態度にキレた母親は、本当におこってしまって、
「もういい。」
とだけ言って、その後は、もう私とは口をきいてくれなかった。私はすごく後悔した。とても、やりきれない思いでいっぱい、いっぱいだった。あのとき、母親の言うことを1回できいてやっていたとしたら、今はどうなってるのかな。など、せっかく母親がおいしいご飯を作ってくれたのに、とても失礼な態度をとってしまったな。と自分でも、とても反省した。素直に、
「ごめんなさい。」
と言うべきなのに私は、いえなかった。素直な心になる自分をどこかで、変にきらっていた。ごめんなさいの一言を言うことが、こんなにも難しいことを、私は初めて実感した。でも、やっぱり自分が悪いと思ったならば、素直にあやまる。というのが、人としてのすじというものだと思う。だから、私は思いきって、
「ごめんなさい。」
と、勢いよく口をひらいた。すると母親は、「素直になれるなら、はじめから、そうすればいいのに。」
と言って、ほほえんでくれた。その瞬間、私は思った。素直な心をもつことは、とても大切なのだ、と気づくことができた。
母は、いつも仕事を夜までやって帰宅し、洗濯にご飯の準備、いそがしくても全てを、きちんとこなしてくれる。それは、すべて私たち家族のことを思ってのことだと思う。私が毎日、おいしいご飯食べられるのも、きれいに洗濯された服を着ることができるのも、学校に行くことができるのも、私が好きなスポーツを思うぞんぶんやることができるのも、すべて母や父が外で一生懸命に働いてきてくれるからだと思う。だからこそ私たちは、与えられた環境の中で、のびのびと生活できる。私たちにできることは、学校で一生懸命、勉強に部活にはげみ、しっかり自分のやることを、やりとげることだと思う。そして、絶対に感謝の気持ちを忘れないこと。たまには、両親にむかい、感謝の気持ちを込めて
「ありがとう。」
と、言ってみることも、私は大切だと思う。