県民会議会長表彰 |
少年の主張コンクール |
少年の主張コンクール入選者 |
7月12日(土)13:00〜16:00 長門市の「ラポールゆや」にて山口県等のと共催で平成20年度「山口県青少年健全育成大会」(少年の主張コンクール山口県大会)を開催しました。
12:40〜オープニング(長門市和太鼓連盟の子どもたちの和太鼓演奏)
13:00〜開会行事
?主催者、来賓あいさつ、祝辞
?表彰
県知事顕彰、県民会議会長表彰
13:40〜「少年の主張コンクール」
14:40〜長門市青少年育成市民会議の活動紹介
15:00〜アトラクション(油谷こどもミュージカル)
15:25〜「少年の主張コンクール」成績発表・表彰
15:40〜大会宣言
15:50〜次年度開催地あいさつ(美祢市)
16:00(閉会)
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「平成20年度少年の主張コンクール山口県大会」の審査結果及び入選作品は、次のとおりです。
★ 最優秀賞
「兄ちゃん、ありがとう」
萩市立萩東中学校 三年 沼田 愛実(ぬまた まなみ)さん
「兄ちゃんのはしとコップを置いといて。兄ちゃん、そのおかず嫌いだからあげなくていいよ。」
我が家の夕飯前のいつもの会話です。まるで本当に兄がそこにいるような錯覚を覚えることがありますが、実際には、テーブルの上に、制服姿で笑顔の兄の写真がおいてあるだけです。
私の兄は、突然の事故で亡くなりました。あれからもう十二年が経ちます。兄とは十歳離れている私が、今ではもう兄よりも長い日々を生きました。
兄が亡くなった当時、四歳だった私は、昔一緒に過ごした日々を何一つ覚えていません。兄の声も、兄との思い出も、全部忘れてしまいました。写真がなかったら、顔も思い出せないでしょう。
しかし、私は、兄がどんな人だったのか、兄にどんな思い出があったのかを知っています。それは、家族や親戚、周りの人たちが、兄のことをよく話しているからです。兄に関わった人たちを十二年間見てきて、兄がどんなに多くの人に愛されていたのかを私は知りました。
祖母は毎朝、兄の仏壇を拝みます。少し遠い所に住む祖父母も、毎月の命日には、必ず拝みに来ます。従兄弟の家族も来ます。そしていつも兄が大好きだったチョコレートを買ってきて、仏壇に供えます。年に一度の命日には、真夏の暑い中、親戚はもちろん、私の知らないおばさんやおじさんたちもたくさん来ます。もう十年以上経つのに、兄はたくさんの人の心の中で生き続けているのだろうと思います。
大勢の人たちが集まる中、当時兄と同級生だった人も来ます。金髪にバイク、少し恐そうに見えたその人が拝んでいる姿は、何年経っても変わらない兄との友情の深さを感じさせてくれます。
たった十四年間の人生でしたが、兄を愛しているたくさんの人たちと接しているうちに、私は、兄の人生がとても幸せな者だったように思えてきました。
多くの人から愛され続けている兄ですが、その兄のことを、ときどき私は忘れているときがあります。それに気づいたとき、私は罪悪感を覚えます。
私の罪悪感について、母はこう言いました。
「大切な人を忘れてしまうことは悔しいけど、人間って記憶が薄れていくもんでね。同じ年の子をみて、ああ…、と思うときもあるし、笑って生きている自分がこれでいいのかと思うときもある。でも、あんたたちのために元気で生きていかないといけんしね。大切な人を亡くしたということは、一生忘れることはできないけど、忘れんといけんのよ。」
母の言葉を聴いて、私は死んでしまった人のことを忘れるということに罪悪感をもつことは、その人を愛している証拠で、忘れてしまうときがあるということは、その人の死から立ち直り、その人のいない新しい日々を送り始めることができるようになったということではないかと思いました。きっと兄は、自分が家族から忘れられる時間が増えたとしても、つらそうな姿を見るより、私たちの幸せを望むことでしょう。
人は、いつ自分の人生が終わってしまうかわからないからこそ、後悔しないように、毎日を一生懸命に生きていかなければならない、兄は、そんなとても大切なことを自分の命で教えてくれたような気がします。だから、兄の人生は、無駄に終わったわけではないのです。私は、この命で、毎日を全力で生きていきたいと思います。こんなに大切なことを教えてくれた兄に、私は、心から感謝しています。兄ちゃん、ありがとう。
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★ 優秀賞
「私の祈り、私の願い」
周南市立富田中学校 3年 原田 佳奈(はらだ かな)さん
「あの子は再びお父さんに会える日が来たのでしょうか。」
幼い頃に出会った1枚のスナップ写真を、私はことあるごとに思い出します。その写真の中央には背筋を伸ばして敬礼する出征兵士が、そのまわりにはまるで戦いに行くのを祝っているかのように「万歳」をしながら見送る多くの人たちが、そして兵士の正面には赤ちゃんを背負った女性の姿がありました。
その写真がなぜ私の脳裏に焼きついたのかは今でもわかりません。私の身近に戦死した人がいたわけでもなく、写真の解説を聞いたわけでもありませんが、1枚の写真が何を伝えたかったのか、少しは理解できていたような気がします。
同じ時期に、私は「火垂るの墓」というアニメに出会いました。ビデオテープが擦り切れるくらい、ほとんどのセリフを丸暗記するくらい、幾度もその作品をみました。不幸な境遇に立ち向かいながら強くたくましく生きた兄妹の姿に胸を打たれながら、
「戦争ほどこわいものはない。罪のない人にこんな悲しい思いをさせるのだから。」
幼心にそう考えたことはよく覚えています。
「爆弾が落ちてくることはないの。」
と両親に聞いたこともありました。
降り注ぐ焼夷弾を見つめ、いつ命を奪われるかわからない、大切な家や家族を失ってしまうかもしれないという不安におびえる生活はとても想像できません。おそらくこれ以上の恐怖は存在しないと思います。
人の命に勝るものはないことを私たちは教わってきました。人が生まれ、生きていくことがどれほど大変なことなのか、そして戦争は多くのかけがえのない命や夢や希望を一瞬で奪ってしまうものなのかを学んできました。
いつの時代も世界のどこかで戦争という悲劇は繰り返されてきました。我が国も例外ではありません。もちろん、争いが大好きで戦争を礼讃する人は決して多くはないでしょう。無駄な殺生を避け、世界の国々が協調していくことを願う人々が多数派を占めていると私は信じます。けれどもいったん戦いが始まってしまえば、
「食うか食われるか。」
「勝つためには手段を選ばない、たとえ人命を犠牲にしても。」という論理は避けられません。尊い命の犠牲無くして終わった戦いはないのです。
いつ戦争が起こってもぬかりがないように武器、核兵器を開発する国は少なくはなく、そのような報道に接するたびに私は、「争いの必勝法を編み出す智恵があるのなら争いに持ちこないための努力、工夫はできないものだろうか。」
と思います。この考えは甘過ぎますか。
歴史上最多の犠牲者を出した太平洋戦争以後、我が国は平和な時代を実現できています。けれども、戦後数十年のうちに、「平和ボケ」とも言われる世の中になった現在に安堵する気持ちには到底なれません。なぜなら戦争の傷跡が癒えないまま苦しむ人々が数多く存在する事実は無視できないし、今後我が国が二度と戦争に巻きこまれない保証はないからです。
それならば、悲劇を繰り返さないために私たちは何を考え、どのように行動したらよいのでしょうか。これまでの戦争の歴史をしっかり学ぶこと、戦争という悪夢、原爆ドームのような「負の遺産」から目をそらさず、あやまちを繰り返してはならないという教訓を継承していくことが私たちに与えられた使命であると確信します。
私は祈ります。私は願います。私も努力します。
「どうか私たちが本当に安心して過ごせる平和な世の中になりますように。」
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★ 優秀賞
「当たり前」
周南市立富田中学校 3年 山時 穂奈美(さんとき ほなみ)さん
「うるさい。黙っていて。」時々私は父や母に対してそう言ってしまう。別に嫌いなわけではない。でもどうしようもなくイライラしてしまう。どうしてなんだろうか。
親・家族とは、なんなんだろう。と何度も思ったことがある。父と母が出会ってなければ、今の私は、ない。ものすごい偶然のような気も、運命のような気もする。
「ただいま。」と家に帰ると「おかえり。」と当たり前のように返事が返ってくる毎日。少し悲しいことや嫌なことあった日の「ただいま。」のあとには、「おかえり。」という言葉と「どうしたん?何かあったん?」という言葉がいっしょについてくる。私の口調で分かるらしい。しかし私は、つい「別に…。」と冷たく返してしまう。そういう時の母は少しだけ笑ってそれ以上何も言わない。その気遣いが心地良いと思う。
平成5年12月17日、私がこの地球に誕生してもうすぐ15年になる。『穂奈美』という名前は母がつけてくれた。「稲穂のようにすくすくと美しい人に育っていって欲しいと願ってこの名前にした。」と。
私が生まれた日は、すごい雪だった。生まれた瞬間に大きな声で泣くまで数秒かかった。平均体重より軽く、小さい、色の黒い赤ちゃんだった。と何回も母が話してくれた。そう笑顔で話してくれる度、温かいもので心が包まれるような気がする。
私が小学校6年生のときの授業でとても思い出に残っているものがある。それは道徳の授業だった。いきなり先生が私たちに白い封筒を配り始めた。そして
「それは、君らのお父さん、お母さんからの君達へ書いていただいた手紙です。読んでみて下さい。」
と言われた。驚きと期待で指が少しだけ震えたのをよく覚えている。そこには確かに母の字で、私へのメッセージが便せんいっぱいに書かれていた。幼い頃に私が言った言葉や、普段のちょっとした行動が一つ一つ丁寧に書かれてあった。涙があふれそうになるのを必死にこらえながら読んだ。そこには、深い深い愛情と大きな優しさがたくさん込められていることを十二才の私はしっかりと感じた。うれしさと誇らしさで心がいっぱいになった。
今、社会では、親が子を子が親を殺害してしまう、という事件が毎日といっても過言ではないぐらい起こっている。一番身近で深い関係だからこそ、すれ違いが生じてしまうのか。家族ゆえに、家族だからこそ、様々な気持ちが混じり合って「憎しみ」を生んでしまうのか。「悲しすぎる。」と私はいつも思う。いくら嫌いになっても親子という関係は壊すことのできない絶対のものだ。だからその存在を当たり前と感じすぎてしまうのだろうか。人の世界には、永遠という言葉はない。いくら医学が進歩しても、百年後には父も母もいないのだ。それは、本当に近い未来かもしれない。もしかしたら、明日にでも別れが訪れるかもしれない。その可能性だって充分にあるのだから。
毎日、一緒に過ごす人達。去っていってしまった時間は取り戻すことはできない。その頃になって「今」を悔やみたくないと思う。いい子になろうとは思わないが、こうやって笑い合えることをもう少し、大切にしてみようかなと思う。
本当に大切なものは意外に気付きにくい。なぜなら、空気のように当たり前すぎているからだ。だから、もう少しだけ素直になって私の気持ちを伝えたいと思う。
「生んでくれて、私を家族にしてくれて、大切に大切に思ってくれて、笑顔をたくさんくれて、ありがとう。」
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★ 優良賞
「子どもの幸せ」
平生町立平生中学校 2年 岩木 夏月(いわき なつき)さん
最近、学校に行ってもどうも気力が出ない。一年中休みだったらどんなに幸せだろうかと、時々考える。「ああ、また明日学校かぁ」と思いながら眠るのが私の日課となっていた。
ある日、ちょうど目に止まったある番組に私は釘づけになった。兵器をかつぎ戦場へとかり出される少年たち、学校にも行けず、働きつづけなければならない子供たち、内戦で家族を失い、明日食べられるかも分からない子供たちが世界にはいるというのだ。しかも、そういった子供たちのほうが、私と同じような生活の子供たちよりも多いという。自分の生活から想像できない生活が番組の中の子供たちには日常だった。最近、国語の授業で「小さな労働者」という、幼いころから長時間で厳しい労働をさせられていた子供たちのことを勉強した。だが、この話しは産業革命ごろのことで、今はもうそんなことは無いだろうと思っていた。しかし、労働から救われたのは一部の国で、子供の過酷な労働は今もまだ終わっていなかったのだ。その番組は、自分の考えを簡単にひっくり返してしまった。
私が幸せだと思える時は、家族と旅行に行ったり、欲しかったものが手に入る時だった。しかし、あの番組を見て、私の生活そのものが幸せだということに気付いた。学校に行けること、友達と思いっきり遊べること、ご飯のおかわりができること、家族がいること、今ここにこうして元気にいきていること。いつものあたりまえの日々をありがたいと感じはじめた。
世界中に苦しい生活を送っている子供たちはいるが、その子たちはとても強いと思う。少なくとも私が見たテレビの中の子供たちはそうだった。食べるものがないし、家族もいない過酷な環境の中で彼らは日必死に生きている。生きていられることことが幸せなのだと感じているようだった。そして同じように食べ物が無い仲間に食べ物を分け、傷を負った子を細く小さな体でかかえ、病院まで走る。誰もがみな、過酷な生活の中でも相手への思いやりと温かさを持っている。自分の命はもちろん、他人の命まで大切にしている。互いに支え合いながら強く生きているのだ。
しかし、私たちの社会はどうだろう。会社をクビになったから、借金があるから、いじめにあったからという理由で自ら命を断つことが少なくない。死を考えるまで追いつめられたことがないので、その人がどんなに苦しいのかは分からない。だが、生きることをあきらめないでほしい。世界にはゴミの中から食糧を見つけたり、一生奴隷のように働かなくてはならなくとも、最後まで生きることをあきらめない子供たちがいる。死以外の道はきっとあるはずだから、この子供たちのように、自分の人生を最後まで生きぬいてほしいと思う。
なぜ、苦しむ子供たちのいる国は、子供たちを救おうとはしないのか。なぜ全世界がともに助け合い、友好関係を築いていけないのか。私には今まだ分からない。中2になって始まった平和学習。それで分かったことは、戦いは悲しみと憎しみしか生みださないということだ。いつか、子供たちに、平和と夢と
自由、そして幸せになる権利が平等にある世界が来るといいなと思う。そして一日も早くこの地球から戦いの火が消える日が来てほしい。
今、私には子供たちを助けるだけの力はない。でも、今あるこの幸せを大切にすることはできる。大人になったら、自分以外の誰かを幸せにできる人になりたい。そのためには、今を精一杯生きることだ。そう思うと、一秒さえももったいないように思えてきた。「がんばろう!」と気力がみなぎり、いつのまにか毎日の日課であったため息が消えていた。
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★ 優良賞
「両親の愛情を感じること」
山口県立高森みどり中学校 3年 藏重 奈央(くらしげ なお) さん
親と子に関する事件が増えている。気になることがある。どの場合でも「親が自分を愛してくれない。」「親は自分のことを考えてくれていない。」「親が自分の成績について言ってくることに腹がたった。」というような親と自分の関係に悩んで犯罪を犯してしまうことが多いということだ。しかし、「親は自分のことを考えてくれていない。」ということは本当にあるのだろうか。私は絶対にそのようなことはないと思う。
2年生の初め、私は成績がぐっと落ちた。いつも通りきちんと勉強したつもりだったので、なんで成績がいきなり落ちてしまったのか全くわからなかった。勉強しようと思って机についても、やる気がでない。勉強しても思うような結果がでなかった。何回も親とケンカをした。ケンカをしては、口をきかなくなってしまう、その連続だった。
学年末テストの結果が返ってきた日だった。
私は、
「怒られるだろうな。」
と思いながら、母に成績表を渡した。しかし、母から返ってきた言葉は私が思っていた言葉とは違っていた。
「何で誰にも相談しなかったの。」
と言われた。そのときの母の目は全く怒っていなかった。逆に寂しそうに見えた。
「私は、奈央が悩んでいたことも知っていたし、苦しんでいたことも知っている。けれど私は奈央に何も言わなかった。いつ、相談してくれるのだろう、て。」
私は母がそんなことを考えていたとは思ってもいなかったので驚いた。
「親に何も相談してくれない、って親からすれば、本当に悲しいことよ。」
私は親や他の人に頼っても意味がない。他の人に聞いてもらっても何も変わらないと思っていた。私は、人に相談することは恥ずかしいことだと思っていたのだろう。自分の弱さを相手に話して、同情してもらうことが嫌いだったのだろう。
「なんで相談しなかったのか。」
という、母の言葉を聞いて、なんだか肩の荷が下りたよう気がした。今まで強がってきた意味がなくなってしまった気がした。
この一年間、母と話すことは成績のことばかりだったと私は思っていた。
「どうして成績が落ちてしまったの。」
「大丈夫?」
という母の心配に
「うるさいな。」
「関係ないでしょう。」
とひどい言葉を返していた。学校での出来事を話すこともなく、自分の部屋で過ごすことが多かった。
「奈央とは落ち着いて話すことが出来ない。いつも、話しかけたら機嫌が悪くなって終わる。」
母が父にそう話していたのを聞いてしまったことがある。その時は、
「いつもお母さんが口うるさいから、話さないだけだよ。」
と思っていたが、今、考えてみると、母が口うるさかった訳ではなく、悪くもなかったということだ。結局、私は母か逃げていただけだった。母と関わることで自分の弱さを認めてしまう事が怖かったのだろう。
母は、
「私はいつでも奈央のことを考えているよ。奈央がやろうとしていることに反対しようとは思わないし、奈央が頑張ろうと思っていることには何だって協力するよ。」
と言ってくれた。この母の言葉は私の心に残っている。この言葉は私の支えになっている。ここまで親に信じてもらえることは本当に幸せなことだと思う。たしかに、友達に信頼されることはすごく大事なことだと思う。しかし、今、私が信じてもらって嬉しい人は母と父、両親だ。私の後ろには両親がいる。頑張って、疲れたらきっと後ろで私を支えてくれるに違いないだろう。両親が嫌いだと言っている人や、親なんかいない方がいいと思っている人に私は言いたい。両親の愛情の温かさは感じることはできる、自分を見直すことにつながる一歩にそれがなる、と。
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★ 優良賞
「ニュースから見えてくること」
下関市立夢が丘中学校 2年 市川 那実(いちかわ なみ) さん
最近、私は、世の中の政治、経済の動きや、出来事などを報道する「ニュース」に興味を持ち始めました。世界中で起きているいろいろなことが、私たちに何かを語りかけているような気がして、その「何か」とはなにか、考えるようになってきました。
私が今、考えていることは、中国でおきたチベットの暴動についてです。チベットの人々は、なぜそんな暴動をおこすのでしょうか。また、チベットの人々は、どんなことを考えているのでしょうか。
私の知っている限りでは、昔から、中国政府がチベットの人々に対して、弾圧をかけ、自由を奪っていて、それらのことに不満をもったチベットの人々が暴動をおこしているそうです。つまり、中国政府に支配されたチベットの人々は、自由を求めて暴動をおこしている、といえると思います。その、チベットの人々が求めている「自由」について、考えてみました。
今の私の生活は、「自由」に満ちあふれていると感じます。もちろん、世の中、すべてが自由にできるわけではありません。生活の中には、それなりのルールや規則があって、自分一人で生活していくわけではないので、ルールは守らないといけません。しかし、今の私は、自由がきかなくて苦しんだり、自由を求めたりしたことなんて、ありません。
こういうことから考えると、チベットの人々が暴動をおこしてまで自由を求めている、ということは、それだけ中国政府がかけた弾圧が大きいものだということを意味していると思います。
では、中国政府はなぜ、そこまでして弾圧をかけるのでしょうか。それは、中国はとても面積が広く、人口が多いので、いろいろな民族の人がいて、それらを一気にまとめるのは困難だからだと思います。中国政府の立場になってみると、チベットのように文化、考え方などが大きく違う民族がいると、国を統一させにくく、支配せざるをえないと思います。
しかし、自由を奪い、文化までも支配するのは、人権に関わることです。人権とは、辞書には「人が生まれた時から持っている、自由で平等な権利」と示されていました。私なりに解釈してみると、「生まれてきたすべての人が幸せになる権利」です。つまり、中国政府は、チベットの人々の人権を傷付けた、とも言えると思います。
よく考えてみると、人権の問題というのは、チベット問題だけでもありません。江戸時代にフランスで出された「人権宣言」でも、自由を求め、人権の尊重を訴えています。私たちの身近でも、「いじめ」など、人権に関する問題は、時と場所を問わず、昔からいろいろな所で問題となっています。この事実から人権というものがどれだけ大切にされてきたか、伝わってきます。
これほど大切な人権を傷付けられ、支配されてきたチベットの人々が、中国政府に対して不満を持つのは、当然のことだと思います。中国政府が、この不満をいかに和らげるかが、解決につながる第一歩だと私は考えます。
暴動をおこしてまで必死に政府に訴え続けるチベットの人々を見ていると、友達とうまくいかなかったり、日々の生活の中でいろいろと悩んだり、そんなことが、とてもとても小さなものに感じられます。同じ空の下で同じ時間がきて、過ぎてゆくのに、海を渡っただけでこんなにも苦しんでいる人たちが近くにいるという事実が、とても考えられなく、すごく悲しいです。
私は、この世の中に生まれてきたからには、すべての人が幸せにならないといけないと強く思います。「幸せになる」これこそが、人間の最大の権利であると、チベットの人々から学びました。
このように、一つの出来事から見えてくることは、私にとっては限りなくたくさんあるように思います。その一つ一つにこめられている思いを自分なりに想像し、見つけていきたいです。そして、いろいろな立場からものを見て、考えることのできる、広い心を持った人になりたいです。
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★ 優良賞
「小さな小さな手のひらから」
宇部市立桃山中学校 2年 繁田 里沙子(しげた りさこ) さん
「何かいいことあったの。」
そう問いかけたくなるような、生まれて間もない弟の笑顔。ふと見せる、にやけるように笑う顔を見ると、私は思わず前進の力が抜けて、こちらまでふんわりした幸福感でいっぱいになります。そんな弟は、私の宝物です。
弟は、私に比べると、とてもとても小さいです。まだ言葉も言えません。毎日がただ寝て、泣いて、ミルクを飲んで、また寝て、その繰り返しです。けれども、その弟が小さくてやわらかくて、あたたかくて、とても優しい手で私の指を握るとき、とても赤ちゃんとは思えないほどの力強さを感じます。弟の小さな小さな手のひらから、一生懸命に生きようとする力強さが、私の指を通して全身へと伝わってくるのです。そんな時、一生懸命生きようとする力強さは、決して立派に成長した大きな命にだけではなく、ついこの間生まれたばかりの小さな命にも宿っているのだと感じ、胸がいっぱいになります。そして、小さな体で一生懸命生きている弟を、何が何でも守ってあげようと心の底から思うのです。
けれども、私が弟と一緒にいて守ってあげられるのは、一日のうちの数時間だけです。それに、家にいるときでも弟のそばにいる時間は多くありません。それに比べて、弟からほとんど離れず、自分よりも弟のことを優先する人がいます。それは、母です。母は、夜中の授乳で何度も起きて疲れているはずなのに、弟の前ではいつも明るく元気です。
親が子供を愛することは当たり前のことです。それはだれでも知っています。しかし、私たちはそれを理解しているでしょうか。
「子は親の生きがい」この言葉は、大人はもちろん、子供でも多くの人が知っています。私も前から知っていました。ただ、よく考えてみると、知っているだけでした。それが、いとおしくてたまらない弟の行動のおかげで短い言葉の中に、どれだけ大きく手をひろげても表しきれないほどの大きな愛が隠れていることをしりました。この言葉に込められた子供をもつ親の深い愛情を理解することができました。
今の私には、「命の尊さ」というものが心の底から分かるような気がします。それはきっと、親が子供に注ぐ愛情があるからこそ存在するものだと思います。私たちには、親や兄弟、友達や先生など、身の回りの多くの人からの愛情が注がれています。生まれたばかりの弟でさえ、私に生きることの意味を教えてくれたのですから。しかし、その中でも一番に私たちを愛し、守ってくれているのは、やはりそれぞれの親ではないでしょうか。私の弟に接する母の姿を見て私はそれを確信することができました。
私の弟の命は、これから、何よりも大きい親の愛情や助けを受け、一歩ずつ大きくなっていきます。そう思うと、私たちも、そんな風にして育ててもらったのだと改めて実感します。親には感謝しないといけないことがたくさんあります。けれども、「ここまで大きく育ててくれてありがとう。」なんて、思ってはいても恥ずかしくて素直に伝えることができません。だから私たちは、言葉の代わりに、親から授かった命を大切にすることで、感謝の気持ちを伝えなければならないと思います。
日々繰り返される悲しく、胸の苦しくなるようなニュースの数々。中でも、自分の子供が自ら命を失ったことにひどく悲しむ親の姿を見るたびに私の心は痛みます。なぜなら、私たちが今ここに生きている、それだけのことが親にとってはとても大きなことであり、どんなことより幸せなことだと思うからです。私たちは、一人一人が「命を大切にする」という何よりも重要な役割を持って生きている、このことを決して忘れてはならないと思うのです。
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★ 優良賞
「「軽い気持ち」を「強い心」へ」
防府市立華西中学校 2年 金重 輝子(かねしげ きこ)さん
最近、「学校裏サイト」や「薬物乱用」という言葉を、よくテレビや新聞で見たり聞いたりします。私は、学校裏サイトの内容に直接触れたことはありませんが、友達から書かれてある内容を何度か耳にすることはありました。
ま ず、学校裏サイトについてですが、自分の名前を名乗らずに悪口を書いて相手を傷つける。自分がやった事が分からなければ、それでいい。誰にもばれなければ注意されることもなく、自分には罪がなく善人でいられる。そう思っているのではないでしょうか。
では、悪口を書かれた人について考えてみます。書かれた相手は傷つき、誰か分からない人からの中傷に不安や恐怖を感じるのではないのでしょうか。そして、人間不信になり、人との関わりを避けるようになり、不登校や引きこもり、遂には自殺を図ってしまう人もいるかも分かりません。
そう考えてみると、軽い気持ちで学校裏サイトに入り、悪口を書いたことで相手を深く傷つけてしまう。そのことより、自分自身も深く傷つきます。
私も以前、裏サイトではないのですが、友達と交換日記の中で友達の悪口を軽い気持ちで書いたことがあります。悪口を書いた相手がそこを目にして、傷ついてしまいました。その時に担任の先生が
「文字は形に残るので、言うことよりも人を余計に傷つけるものですよ。」
と、教えてくださいました。今でも思い出す度に心が痛みます。
学校でも、授業の時間を使ってこの問題が取り上げられ、先生方一人一人からお話がありました。
「インターネットや携帯のサイトは、人を中傷するために作られたのではない。病気で困っている方達が、遠くに住んでいる家族とコミュニケーションがとれるようにという思いから作られたものだ。」
と、おっしゃいました。
人を傷つけるためではなく、役に立つ利用をしてこそ意味のあるものだと思います。そして、どのような使い方をするかは、私達ひとりひとりの心掛け次第なのです。
次に、薬物乱用についてですがこの問題は今、私の身近な所ではあまりない事だとは思いますが、全国的に大きな問題になっています。いつ身の回りに起こりうるか分からないと思います。
最初は軽い気持ちで始め、いつしか抜け出せなくなり、薬物中毒に陥ってしまう。最初にもっとしっかり考え、強い意志を持っていれば近づかないのではないでしょうか。
今、薬物の乱用を防止するために様々な取り組みがされていますが、アメリカではその事に関する歌を子ども達の手で作り、全米に流してみたところ、薬物乱用の防止に効果があったと道徳の授業で学びました。
私達みんなで考え、真剣に取り組むことにより、薬物中毒の恐ろしさを知り、より深く考えるようになると思います。
「軽い気持ち」、この気持ちが時として私達を窮地に追いやります。学校裏サイトの件も薬物乱用の件についてもそうではないでしょうか。学校の先生がいつか、学校裏サイトのことで見ない、近寄らない、関わらない。この3点が大切だと言われました。関わらなければ変なことには巻き込まれないのも確かです。しかし、言葉では簡単なことですが、今の私達には色々なことに興味をもつ欲があります。そして、時にはどんなものか試してみたくもなります。また、いけない事だと分かっていても、自分の気持ちに負けてしまうこともあります。そんな時、ちょっと立ち止まってみることが大切なのではないでしょうか。自分で考え、周囲の友人や大人と相談し、「これでよいのか」と問い正す必要があるのではないでしょうか。
みんなが自分の良心に従い、「強い心」を持ち、人の立場に立って正しい行動をすることが出来るようになると、学校裏サイトや薬物乱用をはじめ、様々な事件も防ぐことができるのではないかと思います。