 H26少年の主張コンクール山口県大会発表者のみなさん |
【最優秀賞】(県知事賞)
気持ちを受け取る
周南市立熊毛中学校 3年 鬼武 亮輔
「今日も長いぞ。はいはい、分かりました。分かってるって。」これは祖母に対する僕の心の言葉でした。
僕には70歳になる祖母がいます。親の帰りが遅い時、祖母は僕の夕食を作ってくれます。夕食時に、祖母と学校の事や飼っている犬のことなどたわいもない話をしています。
そして、祖母はよく同じ話をくり返します。いつものことだから僕はてきとうに返事をしていました。
ある日、祖母から勉強のことで注意を受けました。同じ話をくり返し、どんどん熱が入ってくる祖母に初めは「わかった。はい。」と言っていたのですが、最後には「うるさいなぁ。分かってるって。」と吐き捨てるように言ってしまい、もちろんさらに祖母の怒りを買うことになりました。
分かっているのに何で何度も言うんだとイライラしながら自宅に戻り、テレビを見ていました。
その日の夜、仕事から帰ってきた母に、同じ注意を何度も言う祖母に腹が立ったことを話しました。母は僕に、「それで、おばあちゃんは何がいけないって言っていたの。どうしなさいって言っていたの。」と聞きました。
「いろいろ」と答える僕に、母は「いろいろって何?」その質問に勢いよく答えようとして僕は「あれっ?」と思いました。「なんだったっけ・・・。」思い出せない。僕は急速に勢いを失いました。
何度も勉強について注意をされた、怒られたという記憶はあるけど、具体的に何を言われたか思い出せなかったのです。あれだけ、「分かってるって」と言ったのに不思議と思い出せません。言われた端々の言葉は少し思い出せるけど祖母が何を言おうとしていたのか具体的には分かっていなかったのです。
母から、「ちゃんと聞いてないのに分かったと空返事してたのがおばあちゃんには分かったからさらに怒られたんじゃないの。」と言われました。
いつも同じ事をくり返すからといつからか僕は祖母の話の中身をいい加減に聞いていたことに気づかされました。
僕は少し気長に、そして祖母が何を伝えようとしているのか聞くように心がけてみました。くり返しの言葉の中にある、祖母の僕に対する二つの気持ちが分かりました。それは「心配」と「期待」でした。この言葉は祖母の話す言葉の中にはあまり出てこないのですが、話をじっくり聞いてみると様々な表現を使って懸命に伝えようとしてくれていることに気がつくことができました。
祖母の思いに気がつくと「長いな、同じ事ばっかり、分かってるはいはい、うるさいなぁ」という気持ちが不思議と和らいでいました。
言葉に込められた気持ちが分かるようになると素直に話が聞けるようになりました。
ある日、祖母に「いつもは話を最後まで聞いてくれないから少し怒ってしまっていたけど、今日は気持ちよく話せたよ。」と言われました。この言葉を聞いて、僕は、祖母の話の途中で言い訳をして、祖母を不快な気持ちにさせていたのだと改めて気がつきました。僕の甘えだったのかもしれません。
以前、国語の授業で、「若者と大人はどちらも考えに柔軟性を持って接しなければ分かり合うことはできない。」という主旨の文を読んだことがあります。相手が伝えようとしていることを分かろうとし、最後まで聞き、受け入れ、考え、そして自分の思いを伝えるようにすることが大事だと思います。
あわてないコミュニケーションが人と人とを温かくつなげてくれるように思います。
祖母への感謝の気持ちを忘れないようにし、祖母からいろいろな事を学ぼうと思います。
【優秀賞】(県教育長賞)
「便利の裏にかくれている恐ろしさ」
周南市立須々万中学校 3年 山根 希海
「LINE」このアプリは簡単に情報が交換でき、とても便利なのでよく使います。でも便利だからといって、安心して利用しているわけではありません。なぜなら僕は一度、LINEによって悪口をかかれた経験があるからです。
2年生の2学期、同級生の集まるグループに招待され、そこに入りました。そこでの会話は、ひまつぶしのジョークを交わすぐらいだったので、通知がたまったら既読するということを繰り返していました。
ある日、友達が僕の写った写真をグループに上げました。すると一人の女の子が、僕に対しての悪口をかいていました。「性格わかってる、魅力感じない」短文章でした。その子は僕がグループにいることを知らなかったそうです。僕はすぐに退会しました。その後個人のチャットに他の友達が再びLINEに入ることを勧めてきました。でも僕にはそんな余裕はありませんでした。そのグループの全員が僕の悪口を言っているのではないかと不安になりました。その女の子に対して特別な感情を抱いていたわけでもなく、嫌っていたわけでもありません。だから僕は、別にどうでもいいやと、開きなおったつもりでした。
次の日の朝、その子が僕に謝ってきました。「私の性格が悪いの、本当にごめんなさい。」と。僕は「別にいいよ、気にしてない」と少し暗い声で返しました。謝られたのに、謝ったかのようでした。自分のとる行動にすべて問題があるのか。励ましてくれる友達もいない。僕は一人なのか。自分自身に淋しさを感じました。
今になれば、あんなことあったなと思うぐらいですが、完全に僕の心から消えたわけではありません。対面で話すときに口から出る言葉には、どんなにあいまいであっても責任感を感じます。逆にLINE上では、どんなに仲がいい友達が送ったメッセージでも半信半疑になってしまいます。そのなか彼女は謝るという行為をLINE上ではなく彼女の口で伝えました。僕はこの子のことを恨んではいけないんだと思いました。
このような経験からLINEの恐ろしさを実感し、なぜそうなるのかを考えました。情報を伝え交換し合うLINEが、人を傷つける道具になってしまい、事件やトラブルになってしまうケースは、ニュースでも最近耳にします。ではなぜそうなるのか。体験した僕から一つ言えることがあります。それは、オンライン上に自分の言葉を残す以上、発言に責任をもち、やってはならないことを自分自身で十分、理解する必要があるということです。今の若い人は、やってはならないことへの理解が足りてないと思います。やってしまった自分が悪いと分かっていても、結局理解しきれなかったのが事実だと思います。今後このようなアプリはますます発展するでしょう。僕たちは、判断する力、理解する力をもっともっと磨いていかなければなりません。
普段の生活の中で友達に対する不満はなかなか口にできません。それを可能にするのがLINEといったアプリなのかもしれません。でもそれは間違っています。口で伝えるという行為から逃げてはなりません。それをしてしまうと、必ず自分ではなく他人を責めるでしょう。対面でケンカすることの何が悪いのでしょうか。
僕はあの日以降、安心してLINEを利用したことはありませんが、いつか安心して利用できる日がくる。安心して利用できるよう努力していく。そう信じています。
今後、LINEによって悲しむ人がいなくなるように願い、正しい使い方を共有、伝承していきたいです。LINEに安心という文字がぴったりあてはまるために。
【優秀賞】(県民会議会長賞)
一つの命
萩市立大井中学校 2年 長嶺 千佳
みなさんは、考えたことがありますか。動物にも心があるということを。その心をしっかりと受け止め、愛情を与え続ければ、それだけ信頼が深まるということを。
日本で飼われている犬や猫は約2,060万匹だそうです。私にとって一番身近な動物です。しかし、みなさんは、犬や猫が年間約20万匹も殺処分されているという事実を知っていますか。700匹以上もの命が1日に殺されているのです。殺処分は保健所で行われます。その数のほとんどが飼い主の持ち込みによるものです。考えてみてください。理不尽に命を振り回される、動物たちの気持ちを。動物は、物ではありません。それを分かってもらいたいと強く思います。
では、飼い犬や猫の殺処分を減らすにはどうすればいいのでしょうか。
以前私の家に、のら猫が来たことがあります。人に飼われていた経験があるらしく、人なつっこい猫でした。私が飼いたいと思いましたが、家族の反対もあり、結局はその猫を別の場所に置いて帰ることになりました。そこは、観光客やお店の人からえさをもらえる場所だったからです。しかし、私は、家に来たときの、あの猫のまなざしを忘れることができません。助けを必死に求めるような瞳。今もはっきりと覚えています。
私は、まず飼い主の動物に対する意識を変えることが大切だと思いました。人は動物をかわいいからという軽い気持ちで飼い始めます。それが悪いとは言いません。しかし、命を預かるという自覚をもつことが大切なのではないでしょうか。最後まで責任をもって飼えるかどうかを、しっかりと考えてから犬や猫を飼ってほしいと思います。
私はうさぎを飼っています。寝ている様子やえさを食べている仕草。ふわふわの毛をなでると、心が和みます。私は、その命に責任をもち、最後まで向き合っていこうと決めています。動物を飼うということは、決して容易なことではありません。けがや病気にかかったときには気づいてあげなければいけません。食事の世話もあります。汚れた小屋の掃除もします。どんなに疲れていても、辞めるわけにはいきません。それは、命が一回きりだから。そして、私だけが頼りで、私を見つめているからです。生き物を飼うということは、その生き物と共に生きるということで、長期間の覚悟が必要なのです。
世界を見ると、ドイツでは、犬や猫の殺処分数がゼロです。どうしてなのでしょうか。それは、動物に対しての意識が高いからです。殺処分施設もありません。その代わりに「ティアハイム」という施設があります。そこは、捨てられた動物の里親を捜すためのものです。日本の保健所では、殺処分されるまでの期間が、3日から7日ですが、ティアハイムでは、滞在期間がありません。ドイツでは、動物を飼いたいと思えばティアハイムに行きます。そこで、90パーセント以上も里親が見つかっているのです。日本では良くも悪くも、様々な場所で、簡単に気に入った動物を飼うことができます。
私は、日本もドイツのような取り組みを取り入れるべきだと思いました。国全体として意識を高めるためにも、飼い主が軽い気持ちで飼わないように、法律も変えていく必要があるのではないでしょうか。
動物の命を守ること。そのためには、飼い主の動物に対する責任感。それが一番の解決策です。動物があなたを見つめるまなざしを見てください。それは、一つの命なのです。飼うことが決まったときから、頼れるのは、飼い主のあなただけなのです。
動物は、いつでも気持ちを発信しています。まなざしや動作。体全体で、あなたを見つめています。それをしっかりと受け止めてください。一度飼うと決めたからには、愛情を与え続け、信頼し合える関係を築いてください。飼い猫や犬の、命の輝き。そして、まなざし。1回きりの命を、たった一人のあなたに預けて生きている小さな命。それを、飼い主である、あなたとのかけがえのない絆で、全うさせてください。何も言えない動物たちの声を聞いてください。それが私の願いです。
【優良賞】
平生からはばたく夢
平生町立平生中学校 2年 山田 瑞季
小学校の卒業文集に書いた私の夢。それは医者になることだった。私をこの夢に導いてくれたのは、小学校3年生の時に入院した病院の方々との出会いだった。
インフルエンザだったが、少しひどくて入院することになった。その時私についてくれた先生は、私をいつも心配してくれた。最初は親が妹を幼稚園に迎えに行っただけでさみしくて、涙を流していた私を優しさで包んでくれた。そんな優しさの中で私は安心して入院生活を送り、無事に退院する事ができた。その病院で私はたくさんの事を学ぶことができた。家族のありがたみ、感謝の心をもつという人間としてあたりまえの事を、この時初めて実感することができた。これも私を安心させてくれた病院の先生のおかげだと思う。
私の場合、たった1週間の入院だったが、たくさんの事を患者に教えることのできる病院の方々を尊敬すると同時にあこがれをもった。
医者という存在は大きな存在だと思う。人の病気が治ったり、けがが治ったりする。人に元気を与えられる。そんな医者という職業にひかれていった。それが私がこの夢を追う始まりだった。
しかし、その夢は簡単に叶うものではない。中学生になり、通知票が5段階評価になった。そこでの成績は医者をめざす私にとって、とても満足できるものではなかった。私はしだいに医者になるという夢をあきらめそうになっていた。
そんな時、私は中学校のキャリア教育講演会で平生中学校出身の大先輩の講演を聞く機会をもった。講師の方は、平生というこの小さな町から、世界へと飛びだした方だった。講演の中でその方は小・中学校時代の成績は特に良くもなく、悪くもなく、いわゆる普通の評価だったとおっしゃった。その方が変わったきっかけは、夢やあこがれをもったことだった。その方は、平生の美しい星空に興味を持ち、星へあこがれ、空へあこがれ、飛行機にあこがれた。そして実際に多くの飛行機の設計を手がけ、最後は宇宙開発にも携わっておられた。
その方がもう一つ言われたことがある。それは「くじけないで、あきらめないで」ということだ。平生という小さな町の普通の中学校からも可能性はあると希望がもてた。私は講師の方へのお礼の手紙で、次のような気持ちを伝えた。「私は医者になるのが夢です。道は険しいですが頑張って医者になりたいです」と。私はもう1度医者になるという夢を追いかけてみたいとこの時思った。
小学校の卒業文集にはもう一つ書いたことがある。どんな医者になりたいか、という事だった。私は、人に元気を与えられる、頼りにされる医者になりたい。目標は、もちろんあの先生だ。
中学校での講演会は、夢を思い出すきっかけを与えてくれた。「くじけないで、あきらめないで」という言葉はその時の私に勇気を与えてくれた。だから、大先輩に感謝している。先輩のように夢・あこがれをもつことは、本当に大切だと思う。
講師の方に教えてもらった最後の言葉がある。それは、「心のスイッチを入れる」ということ。人間は心のスイッチがオンになると細胞が元気になり、本当に頭や体も動くという事も教えてもらった。
これから、たくさん乗りこえないといけない壁が次々と私の前に立ちはだかってくると思う。しかし、壁に見えても必ず通る道はあるのだ。その時は心のスイッチをオンにして、不可能なことも可能にしていきたいと思う。私も平生から夢に向かってはばたきたい。
【優良賞】
身近な恐怖
周南市立周陽中学校 2年 石丸 奈由
いつものように中学校へ登校している時のことです。昨日までなかったコンビニの袋やペットボトルが道の端の方に散らばっていました。ゴミがそこにあるだけで、朝からとてもモヤモヤしたし、誰がこんなことをしたんだ、という怒りでいっぱいでした。
私は、年に1回お父さんが働いている仕事場が企画しているゴミ拾い活動に参加しています。初めての時は正直驚きでした。みぞにカンを無理矢理おしこんで入れていたり、たばこの吸いがらを草むらに捨てていたり。1歩間違えれば火事になるところです。本当にこんなことをする人がいるのかとうたがうほどでした。
さらに、小さい頃は、なんで人が捨てたゴミを自分が拾わなければいけないんだ、とずっと思っていました。でも最近になり、つらくだるいこの作業も、自分が町をきれいにしている、という達成感に変わっていきました。それと同時に、これからもこの活動に参加して、いろんな人を気持ち良くさせたいと思うようになりました。
インターネットでゴミのポイ捨ての量について調べてみると、1年間で7.5トンものゴミが捨てられているそうです。だけどこのデータは、山林や道路付近だけのことなので正確とは言えません。本当はもっと多いはずです。
そもそもなぜポイ捨てがおこるのか、不思議に思っています。ただたんに捨てるのがめんどくさかったり、ましては誰かが拾ってくれるだろうと考えている人も少なくはないはずです。それは人としてどうなのでしょうか。自分が使わせていただいている施設をよごして、罪悪感はないのでしょうか。
また、こうしたデータを聞いて、私達にできることはないか、考えてみました。ポイ捨てがよくされているところにポスターをはって防止したり、友達同士で呼びかけあったり、ゴミ箱を増やしたりです。しかし、どれも捨てる人の気持ちを変える大きな案にはなりません。では、どうしたらいいのでしょうか。
私は、ゴミのポイ捨てによっておこる様々な問題を具体的にあげてみるのがいいと思います。例えば、環境問題です。先日テレビで消したはずの炭を森に捨て、そこから大きな山火事につながったというニュースを見ました。炭を消したはず、と思っていても中はまだ熱く、燃えていたからです。これは森林破壊につながります。その人のちょっとした甘い気持ちだけで今回のニュースのような大事故になるのです。だから、平気でポイ捨てをする人にはこういった大事になるかもしれないとしっかり伝えてあげたいです。それが、普段からお世話になっている地球への感謝の気持ちになると思うからです。
それに、ゴミのポイ捨ては軽犯罪ながらも立派な犯罪です。中学生がゴミのポイ捨てをするのは、未成年者が犯罪を犯すことと同じなのです。そして、それを続けていくとだんだん罪を犯すことに慣れていき、大人になる頃には犯罪がエスカレートしていくことだってあります。つまり、今している行動は、自分の将来を潰すことになるのです。そんなことは、なにがなんでも防がなければなりません。
改めて考えてみると、ゴミのポイ捨てはとても怖いものだなと思います。心の弱さからなる、身近にひそんだ恐怖であると言っても過言ではないです。
だけどその恐怖は、自分がもつ意思で変えられます。一人一人の行動が、私達の大切な未来へとつながっていくのです。
【優良賞】
あたりまえの幸せ
下関市立彦島中学校 3年 中川 知優
私の胸に何かがつきささった。それは受験生となって3度目の全校集会のとき、ナイジェリアで起こった「生徒拉致事件」について校長先生が話された時の話である。そのとき「もしも私が被害者側の立場なら。」などといろいろな感情がこみ上げてきた。そして私は事件についてもっと知ろうと、家で詳しく調べてみた。するといくつかのことが明らかになった。それはこの事件がイスラム過激派によるものだったということと、拉致されたのが17歳前後の女学生233人であったということだ。私はそのとき初めてナイジェリアという国の状態を知った。1億6千人以上を超える人口のうち、70万人が奴隷状態であるということ。そしてその多くが誘拐や親族の借金のために売られた人なのだという。その上、この事件を起こしたイスラム過激派は激しすぎるテロ活動で知られているそうで、この組織は今までに千人以上の人の命を奪っているらしい。この事件の目的を彼らは、「拉致した少女たちを拘束して、花嫁として売り飛ばす。」とまで宣言していた。人が人を売りさばいていいわけがない。私はとても残虐な話であると思った。しかし私にはそれ以上の感情はわかなかった。「悲しみ」や「怒り」といった思いは浮かんできても、「怖さ」や「恐れ」といった感情が出てこなかった自分に気付きはっとした。きっとどこか日本とは無縁のことだと思ったのだろう。戦争は日本にとってそう遠い未来のことではないと思う。しかし私たちにとっては日本という国が平和であることがあたりまえになっている。まして私たちが奴隷となる日が来るなんてとうてい考えられない。日本人は世界の争い事を客観的な感情でしか見ることができないのではないだろうか。だけど私はこのままではいけないと思う。実際、被害者も、もちろん加害者も私たちと同じ人間なのだから、一つ一つの問題を一人の人間として見つめ直す必要があると思う。
このような国際問題はまだまだたくさんある。それにより毎日数えきれないほどの人々の命が失われている。内戦から直接的に死に至る人もいれば、内戦による食料不足などで命を落とす人もいるのだ。
ではいったい世界ではどのくらいの人が飢餓に苦しんでいるのだろうか。きっと私たちが思っている以上にいるはずだ。しかし苦しんでいる人たちがいる一方、私たちはどんな生活をしているだろうか。無意味な時間を過ごしてはいないだろうか。私はテレビで貧困地域の子どもたちの特集を見たとき、何とも言えない感情に襲われた。その痩せ細った体で1日1日を一生懸命に生きている姿に、言葉がでなかった。だけどそれ以上に私は自分自身に悲しくなった。私はその日、給食を残したからである。そのときふと思い出した。それは小学校頃、学級活動としてしていた「完食記録」のことだ。どんなに休みの人が多くても完食し続け、1年間の完全完食を成し遂げた。そのときは、残さないのがあたりまえ。しかし今はどうだろう。残飯があるのがあたりまえとなってはいないだろうか。
「あたりまえ」とは一体何なのかと私は思った。今私にとって学校へ行けること、食に不便がないこと、家族がいること、私の居場所があること、全てがあたりまえであると思う。日本人の誰もがそう思っているのではないだろうか。だが他の国ではどうだろう。私たちの逆のあたりまえがあるかもしれない。
ではそう思うことがいけないのか。それは違う。私は、あたりまえと思えることは幸せの証なのだろうと思う。だから、私はあたりまえのことへの感謝を忘れないようにしていきたいと思う。そして私の周りがたくさんの自然の笑顔であふれる、あたりまえの幸せが「あたりまえだ」と言える人になりたい。
【優良賞】
安心な国 日本
田布施町立田布施中学校 3年 石川 花鈴
みなさんは、毎日の暮らしの中で、安心して暮らせていいなぁ、と思ったことがありますか。災害や交通事故にあわなくて良かった、というようなことではないのです。
私は今年の5月までアメリカ合衆国のアリゾナ州で暮らしていました。父の仕事の関係で生まれてすぐに渡米したのです。アリゾナは1年のうちの300日以上が晴れで、夏の気温は45度にもなります。
私が通っていた学校は日本人と大きく違っていました。まずは窓の数です。日本の学校の窓は日が差し込む方向の一面が窓ガラスで覆われています。でも、私が通った学校は違います。窓がないのです。あるのは明かり取り程度の小窓で、厚い防弾ガラスがはめ込まれています。ドアも防弾の鉄製です。学校に入る門は全て鍵がかけられ、警察官とガードマンが見張っています。そして学校をパトロールしています。もちろん2人とも拳銃を持っていました。
2012年、アメリカのコネチカット州では、小学校に銃を持った男が侵入し、何十人もの子どもたち目がけて、銃を乱射しました。そして、無残にも多くの尊い命が奪われるという事件が発生しました。
アメリカでは、このような事件は決して珍しいことではなく、日常的に次々と起こっているのです。
また、アメリカでは、通学方法はスクールバスや車です。そして、アメリカのスクールバスは優先車両になっています。日本のように小学生が歩いて学校に通うことなどあり得ないことなのです。1人で歩いていたら、だれかにさらわれそうで怖いのです。
私は日本に帰ってきて、「なんて日本は油断しているのだろう」と日本とアメリカの学校のセキュリティの違いに驚きました。もちろんアメリカも日本も生徒の安全を第一に考えていることに変わりはありません。ただ、その方法が全然違うことがとても不思議でした。私が、今、通っている中学校の正門は1日中あいています。不審者がいつ入ってもおかしくない状況です。不審者に「どうぞ、お入りください。」と言っているようなものです。
けれども日本で暮らすうちに、アメリカのようなセキュリティは必要ないことがわかってきました。
なぜ、日本は安全なのか、私なりに考えてみました。
アメリカでは、ちょっとした不満やトラブルでも拳銃を乱射するような凶悪な人たちがいますが、日本にはそのような人はいません。少なくとも私が住んでいる町はとても穏やかでやさしい人たちばかりです。
また、日本人は大変礼儀正しい国民だと思います。学校も町も大変きれいです。そして、自分たちで使うところは自分たちで掃除をして、きれいにしようと心がけています。困ったことがあれば、となり近所や地域で助け合う気持ちを持っています。何よりもお互いを信じ合う気持ちを持っています。だから、拳銃を持って身の安全を守ることは必要ないのだと思います。安心してのびのびと生活が送れる日本は世界のどんな国よりも理想的であり、すばらしい国なんだと改めて思うようになりました。
今、アメリカでは、安全な学校生活を守るため、新たな問題が起きています。「ガン・コントロール」という大問題です。これは、全国の学校の各教室に拳銃を保管しておき、いざ犯罪者に襲われたら、その教師が拳銃を手に持ち、攻撃をしても良いという制度です。これだともちろん生徒の命を救う可能性は高くなるかもしれません。けれども、拳銃に慣れていない教師は誤って人を傷つけてしまうという反対の意見もでています。長い議論が今でも続いています。
最近、日本でも凶悪事件が増えていると感じている人もいるかもしれません。日本がアメリカのようになってしまう恐れがあります。しかし、そんなことになってはいけません。
私は、これからも安心して生活できる学校や街であってほしいと思います。いや、絶対にそうでなくてははならないと思います。日本人の思いやりの心や礼儀正しい心は全世界が見習うべきだと思います。
私は14歳までアメリカで暮らしましたが、今、日本人として安心して暮らせるこの国を本当に誇りに思っています。
【優良賞】
「水のありがたさ」
萩光塩学院中学校 3年 齊藤 彩華
昨年、私達の住んでいる山口県を大きな水害が襲いました。「水」の恐ろしさを肌で感じた出来事でした。大量の水によって泥が流され、家も学校も破壊されたのです。しかし、その後、住民たちは、生活用水の不足による不自由さを強いられました。
「水。」私達の生活とは切っても切れない大切な「水。」そこで、私は「水」について調べてみることにしました。
私は、水を使うときに「使いすぎていないか?」と思うことがあります。また、この水が無くなったらどうなってしまうのだろうとも思います。蛇口をひねれば当たり前のように水がでてきます。私たちは、1日にどれくらいの水を使うのでしょうか。同時に、どれくらいの水を無駄にしてしまっているのでしょうか。みなさんは普段何気なく使っている「水」について考えたことはありますか?
朝起きて顔を洗うのに1回、歯磨きをするのに2〜3回、学校や家で手を洗うのは10回以上、お風呂では大量の水を流します。飲む、洗う、流す、かける・・・数え切れないほどの量の水を私達は生活の中で利用しているのです。水はゼロ円ではありません。そう考えると、節水を考えます。私は、実際に節水をしてみようとしました。しかし、蛇口をひねれば当たり前のように出てくる水を目にすると、節水しようと思っていたことを忘れてしまいます。そして、どうしようと気がついたときにはもう遅いのです。大量の水を使ってしまっています。
私は、水に関する問題などについて知りたいと思い、インターネットのホームページで水について検索したところ、NPO法人ネットワーク「地球村」のホームページに次のような記事を見つけました。
「地球は水の惑星と言われていますが、98%が海水で、淡水は2%、その大部分は南極や北極の氷山などで、私たち陸上生物が利用できる水は全体の0.01%にも満たないのです。」
地球上には、多くの生物が共存しています。もしも、地球上の水が風呂桶1杯ならば、我々生物が使える水はほんの1滴の水しかないそうです。「1滴の水。」すべての陸上生物で分かち合うべく命の水が、わずか1滴・・・。実は、現在、世界の約7億人が水不足の状況で生活しているのです。不衛生な水しか得られないために毎日4900人(年間約180万人)の子どもたちが亡くなっているそうです。
この少ない水を分け合って生活している私たち自身に感動しました。しかし、私たち日本人が水をどれだけ無責任に使っているのかということに気付きました。世界各地で起きている水不足を引き起こしている原因の大部分は、アメリカやEC、日本などの先進国の水の大量消費にあるとも言われています。私たちの豊かな生活を支えるために水の使用量が急増したことが、最も大きな原因だそうです。今、地球の「水」は危機にあります。水を汚し、無駄に使っているのが自分だということを知らなければなりません。水を大事に使うなんて簡単なことじゃないかと、思うかもしれません。しかし私たちは、しなくてはならないと頭の中で思っているだけで、台所で油を流してしまうなど、ついやってしまい、節水することを忘れてしまうのです。節水は難しいです。
今後、2050年に人口は90億人になると言われています。食料生産や途上国の経済発展に伴ってますます水需要が増加します。さらに、温暖化により、世界各地の雨の降り方も大きく変化し、乾燥化が進むところや洪水により、かえって飲み水などが不足する地域も出てくるということが予想されています。予測されていることを元に、防ぐことができるといいと思いました。だから、身近なものから節水を心がけたいです。私は今回、「水」について初めて知ることが多かったです。
私たちの身近にある「水。」コップの回りにつく水滴を見て、私たち地球に住む生物が分かち合う「水」の大切さを改めて、今感じています。