「「今」の私ができるまで…」
周南市立桜田中学校 1年 �眈勝ヾ�杏
私には、ある特性があります。周りのことが、よく見えていなかったり、物をよく忘れたりするのが一例です。それが、自閉スペクトラム症、ADHDという発達障害だと知ったのは、六年生の終わりごろのことでした。おそらく、大抵の人は、自分に障害があるということをカミングアウトすることには、抵抗があると思います。周りからどう思われるのかが不安だからです。それでは、私がなぜこうしてカミングアウトしようと思ったのかこれからお話ししていこうと思います。
私は、小さい頃、保育園に通いながら、リハビリテーション病院の訓練にも通っていました。ここでの作業療法、言語療法の先生たちとの関わりは、とても楽しいものだったように記憶しています。ほめてもらい、共感してもらうことが多かったからだと思います。
そして、小学校入学を迎えました。保育園は隣の市だったので、知っている人は一人もいませんでした。そんな一年生になったばかりのころ、私は授業中にもかかわらず、教室から逃げ出してしまうこともありました。
「のあんちゃんが、いません。」
と、担任の先生がSOSを出して、支援員の先生に探してもらっていたということを、少し大きくなってから聞きました。また、クラスメイトにもあまり関心がなく、友達も作ろうと思わなかったため、友達と呼べる人は誰もいなかったように思います。さらに、被害妄想も激しく、周りの人のことを、みんな敵のように感じていたように思います。どうしてなのか、今思い出しても、よく分かりません。ただ、その時は、自分ではそんなに困っていたという印象はありません。多分、困っていたのは、先生や周りの人だったのでしょう。
そんなとき、私に声をかけてくださったのが、支援学級の先生でした。私は、一年生のころは、まだ支援学級の児童ではありませんでした。
「のあんちゃん、きららで一緒に勉強してみない?」
との言葉に、私はすぐにきららに行ってみることにしました。人数が少なく落ち着けそうだし、パズルや教具も魅力的だったからです。そこで学習を続ける中で、支援学級の先生は大切なことを教えてくださいました。それは、授業など、やらなくてはならないことからは逃げ出さないこと、みんながみんな敵ではないこと、自分を分かってくれる人は必ずいることなどです。そして、何でもやってみれば「私ならできる。」ということを、優しく、根気強く、何度も繰り返し話してくださいました。学習に対する不安や、できなくて落ち込むことの多かった私が、少しずつ「できた。」を体験することができ、学校生活が楽しいものに変わっていったような気がします。
もう一つ、私を支えてくれたのは、友達の存在です。二年生からきらら学級に在籍しましたが、普段の授業や生活では、今までと変わらず話しかけてくれました。人との関わりが苦手だった私にも、仲良しの友達ができました。その友達とは、勉強の話をしたり、同じ趣味の話で盛り上がったりしています。まだまだ、おっくうになることもありますが、少しずつ、自分から誘うこともできるようになってきています。
自分に自信がなく、すぐ諦めていた私、何か嫌なことがあると、逃げ出していた私。そんな私が変わってきたのは、周りの人のおかげだと感じています。支援学級の先生は、私の特性を理解して、最大限のサポートをしてくださいました。その事実に、私は救われました。そうして、相手のことも、自分のことも大切にすることができるようになったので、良い友達もたくさんできました。
私のことを分かってくれる人がいる。支えてくれる人がいる。そう思うことで、自信をもてるようになりました。小学校二年生から六年生まで、支援学級に入り、支援学級の先生や生活指導員の先生、担任の先生、家族、友達など、たくさんの人に支えられてきました。そして、中学生になった今、私は支援学級を卒業し、通常の学級でスタートを切りました。たくさんの人からの支えによって「今」の私ができています。
これから先も、たくさんの困難が待っていると思います。くじけそうになったり、つらかったりすることも、多いことと思います。人生は、人との関わりによって大きく変化します。これまで、私のことを理解してくれる人に出会えたことに感謝しています。そんな私は幸せ者です。これらのことは、私の生涯の宝物です。今の私は、たくさんの人からの支えによってできている。そのことを知ってほしいと思い、カミングアウトしました。これからも自分らしく生きていきます。