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山口県青少年育成県民会議

 
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令和7年度少年の主張コンクール発表作文紹介(優良賞)
2025/10/03

「「今」の私ができるまで…」
周南市立桜田中学校 1年 �眈勝ヾ�杏

 私には、ある特性があります。周りのことが、よく見えていなかったり、物をよく忘れたりするのが一例です。それが、自閉スペクトラム症、ADHDという発達障害だと知ったのは、六年生の終わりごろのことでした。おそらく、大抵の人は、自分に障害があるということをカミングアウトすることには、抵抗があると思います。周りからどう思われるのかが不安だからです。それでは、私がなぜこうしてカミングアウトしようと思ったのかこれからお話ししていこうと思います。
 私は、小さい頃、保育園に通いながら、リハビリテーション病院の訓練にも通っていました。ここでの作業療法、言語療法の先生たちとの関わりは、とても楽しいものだったように記憶しています。ほめてもらい、共感してもらうことが多かったからだと思います。
 そして、小学校入学を迎えました。保育園は隣の市だったので、知っている人は一人もいませんでした。そんな一年生になったばかりのころ、私は授業中にもかかわらず、教室から逃げ出してしまうこともありました。
「のあんちゃんが、いません。」
と、担任の先生がSOSを出して、支援員の先生に探してもらっていたということを、少し大きくなってから聞きました。また、クラスメイトにもあまり関心がなく、友達も作ろうと思わなかったため、友達と呼べる人は誰もいなかったように思います。さらに、被害妄想も激しく、周りの人のことを、みんな敵のように感じていたように思います。どうしてなのか、今思い出しても、よく分かりません。ただ、その時は、自分ではそんなに困っていたという印象はありません。多分、困っていたのは、先生や周りの人だったのでしょう。
 そんなとき、私に声をかけてくださったのが、支援学級の先生でした。私は、一年生のころは、まだ支援学級の児童ではありませんでした。
「のあんちゃん、きららで一緒に勉強してみない?」
との言葉に、私はすぐにきららに行ってみることにしました。人数が少なく落ち着けそうだし、パズルや教具も魅力的だったからです。そこで学習を続ける中で、支援学級の先生は大切なことを教えてくださいました。それは、授業など、やらなくてはならないことからは逃げ出さないこと、みんながみんな敵ではないこと、自分を分かってくれる人は必ずいることなどです。そして、何でもやってみれば「私ならできる。」ということを、優しく、根気強く、何度も繰り返し話してくださいました。学習に対する不安や、できなくて落ち込むことの多かった私が、少しずつ「できた。」を体験することができ、学校生活が楽しいものに変わっていったような気がします。
 もう一つ、私を支えてくれたのは、友達の存在です。二年生からきらら学級に在籍しましたが、普段の授業や生活では、今までと変わらず話しかけてくれました。人との関わりが苦手だった私にも、仲良しの友達ができました。その友達とは、勉強の話をしたり、同じ趣味の話で盛り上がったりしています。まだまだ、おっくうになることもありますが、少しずつ、自分から誘うこともできるようになってきています。
 自分に自信がなく、すぐ諦めていた私、何か嫌なことがあると、逃げ出していた私。そんな私が変わってきたのは、周りの人のおかげだと感じています。支援学級の先生は、私の特性を理解して、最大限のサポートをしてくださいました。その事実に、私は救われました。そうして、相手のことも、自分のことも大切にすることができるようになったので、良い友達もたくさんできました。
 私のことを分かってくれる人がいる。支えてくれる人がいる。そう思うことで、自信をもてるようになりました。小学校二年生から六年生まで、支援学級に入り、支援学級の先生や生活指導員の先生、担任の先生、家族、友達など、たくさんの人に支えられてきました。そして、中学生になった今、私は支援学級を卒業し、通常の学級でスタートを切りました。たくさんの人からの支えによって「今」の私ができています。
 これから先も、たくさんの困難が待っていると思います。くじけそうになったり、つらかったりすることも、多いことと思います。人生は、人との関わりによって大きく変化します。これまで、私のことを理解してくれる人に出会えたことに感謝しています。そんな私は幸せ者です。これらのことは、私の生涯の宝物です。今の私は、たくさんの人からの支えによってできている。そのことを知ってほしいと思い、カミングアウトしました。これからも自分らしく生きていきます。


 

令和7年度少年の主張コンクール発表作文紹介 優秀(県教育長賞)
2025/10/03

「私だから伝えられること」
周南市立富田中学校 3年 田邊 優衣 

 「私は原稿を読むことができません。」
視線が集まる。空気が変わる。自分の言葉で伝えきると覚悟した。
 私は富田中学校の生徒会副会長を務めている。そして私は吃音症である。吃音とは円滑に話すことが難しくなる症状のことを指し、言葉を繰り返したり、出づらくなったりすることがある。緊張してうまく話せないといった経験のある人は多いかもしれないが、波はあるものの、私の場合はそれが常に続き、自分の意思でコントロールはできない。だから、できないと決めつけて諦めたことがたくさんあった。小学生低学年までは行事の司会や発表などに積極的に参加していた。高学年になると授業での発言も減り、からかわれることを恐れた。そして中学生になり、始めは人前で話すことを避けていたが、環境が昔の私に近づけてくれて、授業での発言やクラスメイトへの呼びかけを始めた。そして、私は生徒会役員となった。一年間吃音を隠すように活動した。それが、私の挑戦にストップをかけていたのだと思う。本当に悔しかった。他のメンバーの力になれなかったことが。だからこそ、次の生徒会役員選挙に絶対に出る。
 肌寒さとともに、生徒会役員選挙に対する意識を感じる時期になった。緊張により、吃音の症状は現れやすくなると言われている。私も例外ではなく、その影響を受けていた。話そうとすると、言葉が出なくなる。喉の奥に話したいことが渋滞して、その音たちは口に上がってこようとしない。思い通りの言葉が出ずに話すことを諦めてしまったり、黙り込んでしまったりすることも多くあった。この状態で選挙に出ることができるのか不安でしかなかった。こんな自分に生徒会なんてできるのだろうか、と吃音をきっかけにマイナスな気持ちが侵食してきて諦めることも視野に入れていた。だが、ある高校生が中学時代生徒会長をしていたことを伝える動画を見た。その人は吃音をもっていて、そのことを選挙で全校生徒に伝えたそうだ。そして、その人はこう話す。
「吃っても良いという安心感を得て、吃音への気持ちも前向きに捉えることができるようになりました。」
「逆境を乗り越えながら自分の思いを伝え続けるってすごくかっこいい。」
そう私は強く思った。
 そして本番、私は原稿通りに演説をしなかった。できなかったのではない。しなかったのだ。事前に先生の許可を得て、実現することができた。私の公約は「やってみるができる学校づくり。」名乗ることもできず、公約の詳細も十分には語れなかった。だが、「私が伝えていきます。」この言葉は何があろうと伝えた。決して方法は一つだけではない、「やってみる」のハードルは下げられるということを。結果は当選。生徒がどんな私でも認めてくれたのだと嬉しく思った。最初は自分の後悔を拭うためだったが、いつしか、誰かの不安を拭いたいと望んでいた。
 私は何度も今のように吃音について伝えてきた。ときには厄介になることもあるが、吃音がなかったら私ではないのだと思う。もちろん、私に見えないことはあるが、他の人が見えないことを私はしっかり見ている。
「私は原稿を読むことができません。」
から始まった私の演説。何かと吃音を理由に様々なことを諦めてきてしまったが、そんな必要は微塵もない。私はそれが分かったから今ここに立っている。他の誰かと同じようにする必要なんて、もっとない。逆境を乗り越えながらも自分の思いを伝え続けるって、すごくかっこいいじゃないか。
 これからも私だからできることを続けていく。


 

令和7年度少年の主張コンクール発表作文紹介(優良賞)
2025/10/03

「挑戦」
山口県立高森みどり中学校 3年 北奥 桃嘉

 私は今、生徒会長として、学校のスローガンに「挑戦」を掲げています。その理由は私が生徒の皆さんに一番頑張ってほしいと思っているものが「挑戦」だからです。私の今の目標は、学校全体の明るい雰囲気や向上心を高め、生徒の皆さんの夢や目標を叶えることです。実は私は今まで、やってみたいことがあったとしても、「私にはできないかも」と尻込みすることが多かったのです。でも今では「挑戦」の大切さを心から実感しています。そのきっかけは、「小学生時代の苦い思い出を繰り返したくない」という一心でした。
 私は小さな頃から人見知りで、人に素の自分を見せたり、素直に気持ちを伝えたりすることが苦手です。小学生の頃は、何をするにも周りの目を気にしていました。だから何かやってみたいことがあっても、失敗するのを恐れて、挑戦するのをあきらめようとしていました。その度に行動できなかったことを後悔し、「次こそは」と心に誓う日々が続きました。中学生になってからは、その教訓を胸に、私はやりたいことには何でも挑戦しようと決意し、実践してきました。しかし、唯一挑戦しようかどうか、とても葛藤したことがありました。
 私は小学六年生の頃から、生徒会というものに大きな憧れを抱いていました。生徒一人一人のために考え、よりよい学校生活を送れるように努力している姿が憧れでした。だから「中学生になったら絶対に生徒会に入る!」と思い続けていました。入学して半年後、生徒会役員選挙の時期になりました。私は一大決心をして立候補し、友達に推薦者を依頼し、たすきやポスター作りに奮闘しました。しかし、私には不安がありました。なぜなら、全校生徒の中に私のことをよく知っている人があまりいなかったからです。同じ小学校の出身者が少ない上に部活にも入っておらず、何と言っても私はとても人見知りな性格です。だからこそ立会演説会で強い印象を残さなければ、勝ち目はありませんでした。ライバルたちが熱心に取り組んでいる姿に不安が増し、「もし票が入らなかったら……」と考えると、周りの目がまた気になり始め、「やっぱり諦めようかな」と思うようになっていました。でも挑戦せずに終わるのは悔しい……。 
 そんな時に私を支えてくれたのは、家族の存在でした。伝えたいことがまとまらず、苦戦している私に、いつも肯定的な言葉をかけてくれて、積極的にアドバイスをしてくれました。そして「大丈夫だよ」と私を勇気づけてくれました。私は小学生の時の教訓をまた胸に刻み、家族の励ましでもう一度前を向いて進むようになりました。そこから選挙本番まで、私は必死に努力しました。本番では家族の前で練習したようにジェスチャーを付けたり、大きな声で話すことを意識して全力を尽くしました。当選者発表の日には、心臓の鼓動が鳴りやまず、発表までの授業がまるで耳に入らなかったことを今でも覚えています。校内放送で、「北奥桃嘉。」そう名前を呼ばれた瞬間、私は今までにない喜びを感じました。それほどこの生徒会役員選挙は、私にとって大きな挑戦でした。
 今、私は生徒会長として、他の役員の人の力も借りて、小学生の頃憧れていた姿に近づくことができています。生徒のみんなから、「ありがとう」や「企画楽しかったよ」と言ってもらえるたびに、あのとき勇気を出してよかったと感じています。挑戦することは大事だとよく聞きますが、実行に移せなかった頃の私には、その理由がはっきりとは分かっていませんでした。でも今なら分かります。どんな小さなことでも挑戦してみることで、自分の夢や目標を叶えることができます。そして、「挑戦できた」という経験は、必ず自信につながります。さらにその自信と達成感は、次のステップに向かう原動力になると思います。だからこそ、生徒のみんなにも失敗を恐れず、やってみたいことにはどんどん挑戦してほしいと思うのです。「挑戦」、それは私を作ってくれたもの。「挑戦」、それは私を成長させてくれたもの。どんなに怖くても自分を信じて、一歩踏み出すところからまた私の「挑戦」は始まります。


 

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草原
やまぐち子育て連盟 http://yamaguchi-kosodate.net
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