『空気の読めない私にできること』
下松市立久保中学校 3年 中島 実優
「空気を読め。」
と言われた経験はあるだろうか。また、他人に言ったことはあるだろうか。その場の空気を読むことは、生まれたときから身近な大人に自然に教わってきたことだと思う。
一方で、世の中には先天的な障がいによって、本人がどんなに努力をしても空気の読めない人がいる。私もそのうちの一人だ。ADHDと自閉症を併せもって生まれた私は、先天的な障がいのために協調性に乏しく、人の気持ちを理解することや周りに合わせて行動することが苦手だ。他人が為すことに興味・関心が抱けず、逆に、自分にとって不都合や不満があればすぐに癇癪を起こしていた。また、私は、こんなことを言ったら相手が傷付くなんて理解も想像もできないので、思ったことをすぐに口にした。そのため、周囲からは『空気の読めない、変な子』と認識されていたようだ。
そんな私は、中学校に入学してから困難を強いられるようになった。中学校生活はクラスの枠を越えた活動が増えたからだ。そのため、今まで以上に協調性が要求された。しかも、一つ一つの行動に責任が伴う。
ある日、私はこう言われた。「空気を読め」と。それまで障がいを盾に言い訳してきた私の心に、深く刺さった。私の大嫌いな言葉だ。それと同時に、今まで私がとっていた行動が、自分勝手で他人に迷惑をかけていたことを知り、自分自身に苛立ちを覚えた。
それからというもの、私は空気の読み方を私なりに考えた。いろいろな場面を想定し、その対処法を考え、実践した。しかし、なかなか上手くいかない。そして、私は悟った。人の何倍も状況判断をする努力をして、ようやく私は他の人と同じスタートラインに立てるのだと。その後、私は自分にしかできないことを探そうとした。
2年生に進級し、私の価値観は大きく変わった。いつも陰日なたなく、みんなのために一生懸命働いている友達の存在に気づいた。彼らの、誰に対しても思いやりの心をもって接する姿に感動した。もしかしたら私にも何かできるかも……と思い、彼らの真似をした。私は手伝うことから始めた。手伝い終わって他の人から感謝されたとき、私でも人の役に立てた、頑張って良かったと思えた。とても嬉しく、幸せだった。その後も、みんながなかなか挑戦しないことに積極的に挑戦した。友達から、「実優のその前向きな姿勢に勇気づけられたよ」という声を聞いたときは嬉しかった。
いろいろなことに挑戦した私だが、一番印象に残っているのは、文化祭の合唱コンクールだ。始めは上手く指示できるか不安だった。でも、その心配は杞憂。数名の「頑張ろう」という声で、クラス全体に頑張ろうという前向きな空気が生まれた。コンクールの結果は金賞。本当に嬉しく、やって良かったと思った。空気を読むことができないと言われている私が、クラスメイトの支えもあり、空気を作ることができた。
とかく少数派や個の意見・考えは、多数決によって埋没してしまう。授業中、誰かが意見を言うまで発言しにくい、もしくは誰も発言しない。こういう消極的な空気に包まれる場面を何度も見た。そこで発言した人に、空気が読めない人として冷ややかな視線を浴びせる場面も見た。でも、本当に正しいのは何だろう。私は、これからも正しいと思ったことを、正しいと思ったように行動していきたい。もちろん、うまくいかないこともあるだろう。でも何もしないよりはいいと思う。
私は空気が読めない。でも、空気を作ることはできる。その空気が良くなるか、悪くなるかは本人次第。だからこそ、私は良い空気を作っていきたい。